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NPBはこんな時だからこそ、「プレーボール」をコールしなければならない

2011年03月16日 | Baseball/MLB

 

 3月25日にセ・パ同時開幕予定だったプロ野球だが、震災による被災で仙台と千葉での開催見通しが立たないパ・リーグは開幕延期の方向、セは予定通り開幕と、久しぶりの同時開催は難しい状況のようだ。

 また、計画停電やガソリン不足(実際は不必要な「買いだめ」の集中の色合いが強いが)など被災を免れたり、被害が軽度だった地域でも「自粛」の空気が濃くなるなか、一部のメディアなどでは戦時中の「欲しがりません勝つまでは」的なムードをあおる論調(数日前の朝日「天声人語」など)も見受けられる。

 もちろん、こうした事態に直面しているわけだから、イベントの中止もやむを得ない部分もあるだろう。パチンコ屋の営業などは電力の消費に加えて、大きな自信に遭遇した場合、パチンコ玉が天井などから大量に落下して「凶器」と化すことが想定できるため、当分の間自粛したほうがいい。

 しかし、球場の使用不能や、移動困難などの物理的理由ではなく、「欲しがりません勝つまでは」的なムードに抗しきれずにプロ野球やJリーグの開催が中止されることには大いに異を唱えたい。こういうときだからこそ、プロスポーツやエンタテイメントには果たすべき役割があるからだ。

 本ブログなどでも過去に何度か紹介したことがあるが、太平洋戦争開戦(真珠湾攻撃)直後、当時のMLBコミッショナーだったケネソー・マウンテン・ランディス元連邦判事は、フランクリン・ルーズヴェルト大統領に戦時下でのメジャーリーグ開催の可否を尋ねる書簡を送った。

「ベースボール(当時のメジャーリーグ16球団)は、(1942年シーズンの)スケジュールを組み、プレーヤーたちと契約し、トレーニングキャンプに行くための膨大な手紙を作る時期にさしかかっています。大統領閣下、あなたはどうしてほしいとお思いでしょうか? もしあなたが戦争遂行のために、ベースボールの公式戦を中止すべきであるとお思いであるのなら、私たちには直ちにその意思に従う用意があります。もし、あなたがベースボールを戦時下においても続行すべきだとお考えでしたら、われわれは喜んでそうするでしょう。われわれはあなたのご指示をお待ちしております」


 

 2日後、ホワイトハウスからルーズヴェルトの署名入りで、下記の返信が届けられた。

 

 

「私は心の底から、ベースボールを続けることが、わが国にとって最良の選択であろうと考えています。(戦時下において)仕事をしていない人々はほとんどこの国にはおりませんし、すべての国民が、かつてないほどに、長時間、しかも厳しい労働を強いられています。ということは、いままで以上にすべての国民がリクリエーションの機会を持つべきですし、またいままで以上にすべての国民がそれぞれの厳しい労働の合間に休息の時間を持つべきであるということを意味するのです。ベースボールは、2時間から2時間半程度の時間しか費やさず、お金の面でも非常に手軽に人々が楽しむことのできるリクリエーションであることが立証されています。また別の見方をするならば、もし(メジャーとマイナーを含めたプロ野球の)300チームが、5000から6000人のプレーヤーを擁しているのならば、少なくとも彼らは、2000万人の市民のためのリクリエーションにおける財産となりうるでありましょう。私自身も、プロ野球選手にはその価値が十分にあると判断しております」

 

 戦時下におけるプロ野球の続行を認めたこのルーズベルトの手紙は「グリーンライトレター(青信号の手紙)」と呼ばれ、現物はクーパースタウンの野球殿堂博物館に保管されている。この大統領によるベースボールへの「お墨付き」には、当時首都WashingtonD.C.を本拠地としていたSenators(現Minnesota Twins)のオーナーだったクラーク・グリフィスの尽力もあった。ホワイトハウスを訪ねたグリフィスに、ルーズベルトが「合衆国政府が野球に対してできることはどんなことだろう」と助言を求めたところ、グリフィスは「アメリカ国民のリクリエーションのために、(戦争中も)試合を続けられるよう、野球界に許可を与えることです」と答えたと、甥のカルヴィン・グリフィスは証言している。
 もちろん、兵役年齢に達した選手への兵役免除などは与えられず、ジョー・ディマジオ(ヤンキース)、ハンク・グリーンバーグ(タイガース)、テッド・ウィリアムズ(レッドソックス)、ボブ・フェラー(インディアンス)といった当時のスタープレーヤーたちが次々と入隊し、1943年から45年までのメジャーリーグは「老人と子供のリーグ」とまで呼ばれ、著しくプレーや試合のレベルが低下した。

 それでも、敵国である日本の為政者たちが「欲しがりません勝つまでは」と、ひたすら国民に忍従を強いて、野球ばかりでなく多くの娯楽を禁止したり制限していたのに対し、アメリカでは大統領が「国民が戦時下で苦しい生活を送っているときだからこそ、娯楽が必要である」と、野球興行の続行を許可していたことに、日本のスポーツ関係者、メディア、ファンは、こうした事態に直面している今だからこそ、改めて注目すべきだろう。日米の勝敗を分けたのは、軍国主義と民主主義という「大義名分」や、物量の差が大きかったのはいうまでもないことだが、もうひとつ、指導者の国民に対する「思いやり」の姿勢の差も少なからず影響したのではないかと、私は「青信号の手紙」の実物を前にして痛感したものだ。

 日本全体が厳しい状況に直面しているのは確かだが、それでもアスリートたちはディマジオやウィリアムズのようにユニフォームを軍服に着替え、バットを銃に、ボールを手榴弾に持ち替えることを強制させられることはない。もちろんプレーを止め、被災地に入ってボランティア活動に従事する方法もあるだろう。だが、彼らが試合で本来の社会的使命を果たせば、より多くの貢献を行なうことができる。彼らの真剣なプレーは傷ついた人たちの励みになるだろう。入場料収入をチャリティーに回すことも、またファンに募金の呼びかけを行うことも可能だ。

 日本高野連が阪神・淡路大震災の直後と同じく、選抜高校野球大会の開催を決めたのも、こうした「ゲームの力・貢献度」を認識しているからだろう。日本野球界の頂点にあるNPB12球団も当然、試合を開催することで、復興の一助を担うべきだ。

 日本の野球史には震災にまつわる苦い記憶もある。関東大震災の勃発直後、その2年前に結成された日本初のプロ野球チーム「日本運動協会(芝浦協会)」の本拠地だった芝浦球場が、救援物資置場として戒厳司令部に徴発され、そのまま返還されず、いったん解散に追い込まれている。崇高な理念を持って設立・運営された芝浦協会は、プロ野球チームとして軌道に乗り始めていたが、阪急電鉄に引き取られて「宝塚協会」として再出発したものの、震災のダメージから立ち直れないまま、1929年に再び解散し、日本におけるプロ野球の発展は一度大きな挫折を味わうことになった。

 もし仙台や千葉が当面使えないのであれば、東京ドームや横浜スタジアム、甲子園球場、神戸、あるいは松山や宮崎などの地方球場でイーグルスやマーリンズの試合を代替開催してもいいはずだ(Jリーグも同様)。

 もちろん、選手や観客の安全には十分配慮がなされなければならない。だが、「欲しがりません勝つまでは」的なムードが充満し、それに押される形でプロスポーツが活動を縮小すれば、そのあとの再起には数多くの困難が待ち構えることになる。

 こんなときだからこそ、NPBは「プレーボール」を、Jリーグは「キックオフ」を高らかに宣言し、人々を励まさなければならない。それが彼らにとって傷ついた日本全国の市民に果たせる一番の役割だ。

 

 ※仕事等の都合により、長い間更新を行なわなかったことをお詫び申し上げます。なお、この間にご質問のコメント等も頂戴いたしましたが、個人的なご質問に類するものと判断いたしましたので掲載はいたしません。メールアドレスをコメント欄を通じてお寄せいただければ、時間のあるときに回答いたします。 

 

 



 



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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
賛成です (野球Z)
2011-03-16 14:34:05
全面的に賛成です。

自粛して経済活動が停滞すれば、実際被災地の人に対する援助はどんどん遅れていきます。

親が東北出身で多数親戚がおりますが、彼らに必要なのは気持ちを考えることではなく、現実的なお金です。

延期を呼びかけるのではなくプロスポーツをチャリティとからめて行なうことが大事。

私も同様の趣旨でブログを書いてます。 http://blog.livedoor.jp/yakyu_z/archives/1389497.html
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ありがとうございます (Ryo Ueda)
2011-03-17 00:23:58
野球Z様

コメントありがとうございます。
エントリーの真意を理解していただき、真摯なご意見をお寄せいただき、ホッとしております。残念ながらエントリーを転載した別Blogでは、文章の読解力、というよりもデリカシーと知性、人間としての本質的な思いやりが欠如した人間による「揚げ足取り」の不愉快なコメントを寄せられ閉口しておりました。
おかげさまで、生まれたこの国、この地球に絶望しないですみます。本当にありがとうございました。
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反対 (中河甲子園)
2011-03-17 20:53:12
久しぶりです。
私もこの件について一度は同じような原稿を書こうと思いました。ただ、当時の米国は戦地ではありません。つまり、米国内にあって安全がが確保されていたのです。逆に安心ではないとして2003年の日本での開幕戦をブッシュ大統領は中止要請を出しています。今回は原発に停電というダブルパンチです。仙台、関東圏以外で試合をするのはいいでしょう。ただし、政府が放射能は微量だからといっても、より高い安全宣言がない限りやるべきではないと思います。
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中河後楽園様 (Ryo Ueda)
2011-03-17 23:10:33
コメントありがとうございます。

福島原発の被害が広がっている現在、当面の開催が難しい仙台、千葉に加え、屋外の横浜スタジアム、さらに観客の移動を考えると東京、西武ドームでの開催も延期か最小限にすべきかとは思います。イースタン7球団の練習場確保の問題もありますしね。
3月25日の開催はこのエントリーを書いた時点で難しいと考えておりますし、私は開幕戦は両リーグとも(だいたいリーグ事務局を廃止して、今年からは審判部も統一されたのに、まだ「セ」「パ」の足並みがそろわないのもおかしいと思いますが)4月下旬のGW前に延期し、公式戦は130試合、交流試合は甲子園、ナゴヤ、大阪、東京ドームで集中開催し、2試合×6の総当たり12試合に縮小、CSは取りやめるか、2位チームとのゲーム差が3以内の場合のみ、ワイルドカードとして2試合先勝(1位チームアドバンテージあり)でいいと考えています。
 せっかく12球団がそれぞれ本拠地を持ち、地方分散が進んだプロ野球が変則開催になるのは残念ですが、将来の地方市場開拓や球団数拡張に向けての市場調査も兼ねて、四国、新潟、静岡、金沢、岡山、宮崎、沖縄など、比較的観客席の多い地方球場を大いに活用すべきではないでしょうか。
 またイースタン、ウエスタン両リーグについては、今回の震災でかなり厳しい状況に置かれることも予想される独立リーグとの連携を図ってもいいと考えています。
 いずれにしても私が言いたいのは、Jリーグも含めて、「シーズン全休」は絶対に避けるべきだということにつきます。ケースは違いますが、1994年のMLBのことを考えると、シーズンがなくなることのダメージは計り知れないものがあると思います。
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そうですね (中河甲子園)
2011-03-17 23:47:24
足並みを揃えられない点だけでも、プロ野球のマイナスイメージは計り知れないでしょう。少しでも早く、関東圏で安心して観戦できる日が来るのを待ち望んでいます。1994年の悲劇を再現させてはいけません。本当に1日でも早く、平常が戻ってくる事を祈っています。
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中河様への返信補足 (Ryo Ueda)
2011-03-18 13:41:39
中河後楽園様

最初にお寄せいただいたコメントの中で、ひとつだけ、他のご訪問者のためにも補足説明させてください。

>当時の米国は戦地ではありません。つまり、米国内にあって安全がが確保されていたのです。

これは必ずしも正確ではないと思います。
実際、太平洋戦争は真珠湾への日本軍の攻撃で勃発し、翌年のミッドウェイ海戦で米軍が日本軍を破って東太平洋の制海・制空権を確保するまでは、米本土に日本軍の空襲があってもおかしくない状態でした(ミッドウェイ島の占領を日本軍が狙ったのも、米本土への攻撃拠点とすることが目的でした)。
また、その後も日本軍は「風船爆弾」を開発して実際にアメリカに飛ばし、爆弾による犠牲者も出ています。

もちろん、当時のメジャーリーグはもっとも西のフランチャイズが中西部(といってもかなり東寄りに位置していますが)のSt. Louisでしたから、球場が攻撃を受ける危険は日本に比べれははるかに少なかったと思いますが、西海岸にはパシフィックコーストリーグなどのマイナーリーグが存在していましたし、灯火管制によるナイターの開催制限、移動の制約(そのために1945年のオールスターは中止)など、かなりの影響があったのは、ご存じのとおりです。

日米開戦直後、ルーズヴェルト大統領の孫がSeattleに在住しており、東海岸への避難を打診したところ、大統領は「私の血縁者が市民を差し置いて安全な場所に逃げてはいけない」と申し渡したそうです。ずいぶん前にアメリカの方に戦時体験を聞いたことがありますが、「決して安穏と日々を送っていたわけではない。戦後に気付いた部分も多いが、日本の空襲や原爆投下は決して他人事ではなかった」と語っていました。

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