北羽歴史研究会

出羽国北端より奥羽地方と北の歴史を展望し
北羽地方の風土文化作りに寄与する。

「東北から今一つの戊辰戦争論」の紹介・・・北羽歴研

2010-11-28 11:25:13 | 出版物

東北から今一つの戊辰戦争論  第二部   神宮滋著より


 小異と愛惜は論理の外であってよいか 


 東北の(あるいは東北人の手になる)戊辰戦争に関する文書や書本は、薩長の、ことに大山および世良両参謀が為したと称される非礼や横暴に非をならす。こうした文書や書本に導かれ、前掲工藤威書は「奥羽諸藩が敵対したのは新政を構成する薩長両藩なのである」「奥羽諸藩には新政権を倒そうとする意識はなかった」「薩長排除を目的とした軍事同盟であった」とする所論を展開する。… 


奥羽諸藩にとって薩長両藩への反発は一体何であったのか、工藤の解説によれば、「天皇を推戴する政府は公明正大で寛大なものでなければならない」「それが薩長両藩によって遮断され歪められているため、本来の姿を示せないのだ」という論理なのだという。これは編者に言わせれば、天下の兵革に遅参した者の無いものねだりであり、極言すれば回天の果実が見えてきた段階における掠めどりの論理ではないかと思う。 <o:p></o:p>


薩長両藩への反発は具体的には現地で接触する事になった両参謀の非礼や横暴に対する反発であったと推測される。これも視点を転ずれば、両参謀は武力制圧という政府の方針の忠実なる履行者であったと評されるべきである。非礼もその過半は価値の転換をともなう維新(あえて革命と称さないまでも)になじまない者の言い分であったろうことは想像に難くない。


このことが国家の基本命題を相争そうならいざ知らず、小異(大山、世良の両参謀が為したと称される非礼や横暴)にこだわり大道を踏み外すこととなったことに気付こうとしない。さらに東北の文書や写本は会津の悲劇と東北諸藩の被害を繰返し伝える。…・天保飢饉死者十万、門閥幕藩首脳による人災は如何か…<o:p></o:p>


<o:p> </o:p>薩長など西南諸藩軍に出た多数の戦死者(この中には十代の若者もいれば稀に六十台の老年者もいる)に対し、東北の研究書はほとんど惻隠の情すら示さない。出羽に派遣された西南軍の中には藩軍とは異なる自主組織で、澤副総督直属の随従兵となったらしい「長崎振遠隊」があったが、こうした振遠隊の存在や活躍、まして振遠隊の中から少なからざる若者の戦死に対して言及する事は無い。<o:p></o:p>


…今こうして高い生活と文化を享受する我々は、当時異郷とも言うべき奥羽の山野に斃れたほとんどの無名の戦士こそが主として近代国家に欠かせなかった柱石となったことをわすれてはならない。


 最後にもう一つ、これまでに見た東北者の手になる諸本作成の基本資料には相違があることを指摘しておかねばならない。主として佐々木書は「賊軍」となった米沢藩士宮島誠一郎の日記を駆使した論考をもって作成され、星書は「賊軍」となった仙台、会津藩の史料によっており、工藤書はかろうじて「賊軍」をまぬがれた津軽藩史料によっていると見える。  


これに対して本書は奥羽鎮撫副総督の、いわば官製の記録史料である.…前三書と本論の視点の相違は用いた基本史料によるとは思えない。そろそろ戊辰戦争論は「賊軍」「雪冤」の論理を超えたものであって欲しいと願うばかりである。 」 第2部終


 註:文中のは文章の中略を示す。◆神宮滋氏は秋田県神宮寺出身。 ◆『戊辰戦争出羽戦線記』澤為量奥羽鎮撫副総督の征討記録より…神宮滋著・無明舎出版・定価2100円。<o:p></o:p>


   


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