北羽歴史研究会

出羽国北端より奥羽地方と北の歴史を展望し
北羽地方の風土文化作りに寄与する。

実地研修会・明利又と阿仁地方探訪

2008-08-30 13:33:35 | 活動情報

■ 実地研修会終わる・・8月20日


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 8月20日の実地研修が終了しました。無事終わると告げたいところですが、あいにくの雨に降られて、充分ではありませんでした。朝の出発の際は、陽の射して良い天気でしたが、ほどなくして天気予報通り雨となり、明利又につく頃には相当大降りであったりしました。


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雨傘を持参してない人が大半でしたので、車から降りての観察も充分できなかった場所や省略もあり残念でした。「阿仁町郷土資料館」のほか、雨の晴れ間で、全員下車見学できたのは、阿仁前田前田館(八幡社)、阿仁町・専念寺、下小阿仁・正法院丈六地蔵、本城・浄福寺畠山重村墓碑、米内沢龍淵寺開基記念碑、川井延慶碑などでした。(まあ充分と言うべきでしょうか。)


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ほか北欧の社公園天皇御立台に寄る。 車中からみた城館跡は、風張城・高田城・七倉城.佐竹氏入部小阿仁一揆首謀の杉花館・福館.それに畠山重村の阿仁城などでした。(中世城館跡の実地探索は季節的に春先が適当です。)


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三里の熊野神社は予定外でしたが、当地方では釜沢熊野神社同様珍しい神社名なので寄ってみました。それに翆雲公園(あじさい)ひとめぐり。今回は比内地方歴史愛好会から多くの参加を得ての実地研修となりました。 wa <o:p></o:p>


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戊辰戦争の標柱を立てる、秋田北部戦線

2008-08-19 09:15:17 | 活動情報


今年は明治戊辰の140年です。かって130年の以前に立てた各標柱も手作り木柱で、根腐れペンキ剥げなど寿命が来てしまっている。


北部戦線の大館落城の8月21-22日の激戦地の標柱を、8月7日に木製手作り標柱ではあるが、新しく復活した。9日は南部盛岡藩の侵入攻撃開始の日にあたるが、この日は標柱が道路から見やすいように標柱廻りの雑木草刈をした。道路からみて良い景観になっている。


正面に 「明治戊辰激戦之地」、右側面 「扇田街道・相善堂跡


左側面 「慶応四年八月九日南部盛岡藩秋田領侵入攻撃、 八月二十一日~二十二日 山王台 東台主戦場となる。」


裏面 「両日の大館側戦死二十三名。八月二十二日大館落城。」 「北羽歴研」


と説明を記している。標柱の場所は、大舘市東台一丁目6-38、馬頭観音塚と庚申塚もあり、古扇田街道に面する。近くにシルバー人材センター事務所。同ルートに秋田職業能力開発短期大学がある。


追加、薬師森(今泉) 


加えて8月10日、国道7号線北秋田市今泉、薬師森下(スキー場入口)に戊辰戦標柱を立てる。ここには戊辰戦130年に今泉集落簾内さんの立てた標柱があるが、いま文字が薄れて残念ながら見えなくなっているのが現状。復活を願うが、北部戦線地としては大事な場所なので、とりあえず当方でも標柱を立てる。盛岡南部藩の最後の侵略地点、ここの戦いから奥羽鎮撫総督府派遣田村乾太左衛門(佐賀藩)指揮による官軍秋田側の反撃が始まる。表示は以下のとおり。


「戊辰戦争 史標」 「薬師森 今泉・小繋 山境」


「慶応四年(明治元)八月二十七日盛岡南部藩攻撃、官軍秋田側撃退す」 「北羽歴史研究会」