北羽歴史研究会

出羽国北端より奥羽地方と北の歴史を展望し
北羽地方の風土文化作りに寄与する。

大館市十二所の真山神社

2012-08-05 15:25:13 | 催事情報

大館市十二所の十二所城跡のすぐ南方にある「真山神社」は、地域の歴史を語る神社です。  「真山神社」の元点は、秋田県男鹿半島、現男鹿市北浦真山の「真山神社」です。 慶長10年、それまで比内新田村(現ニ井田)に駐在の佐竹家臣のうち、赤坂朝光らが領界警護を重要視して十二所へ移動、これに男鹿脇本城駐在の諸兵から11騎がが派遣され十二所へ入ました。 十二所に入った諸氏一統は男鹿の真山・本山権現を駐在地に分祀し、武家一統の守護神として奉じました。 十二所真山神社の始まりです。 慶長17年には、二井田館駐在の男鹿脇本36騎が、十二所に移動し一体となります。


古い十二所の絵図には「真山社」の記述が見られます。また真山神社(真山社)に関係して、十二所には「真山岱」という小字名があります。 「上藤原」と言う地名でありましたが、男鹿脇本から来た武士団が居住し、真山本山権現を祀ったことから、「真山岱」と改称されました。 「真山岱」から東に並んで「藤原」「中藤原」の小字名が現在もあります。 「藤原」の地名は、そもそも古くは陸奥出羽押領使藤原氏から四代藤原泰衡にも至ったものでしょうか。  十二所は「藤原肥後」の支配地であるとの伝承で、現在まで「藤原」地名が生きていることになります。 現在の真山神社は、真山岱と小道を隔てる「藤原」側にあります。経過については不明です。戊辰戦争では激戦の地帯であったことの影響をうけたものか、残念ながら不明です。


十二所の真山神社は、古き大館十二所の歴史をもっています。大館市の大切な文化財としても大切に保存されてしかるべきと考えます。  現在の真山神社は、かなり手入れの必要な状態が見受けられます。 時代を経て神社講中は3戸ほどの小数と聞いております。きわめて残念な状態といえます。 十二所町の皆さんの改めての関心と参加を期待するとともに、大館市の文化財保護事業への取り上げを切望します。 また市民各位の推進を期待します。 (鷲谷)


 註:講中代表吹谷祐孝、平成24年旧四月八日、真山神社碑建立。