北羽歴史研究会

出羽国北端より奥羽地方と北の歴史を展望し
北羽地方の風土文化作りに寄与する。

イザベラ・バードの道~矢立峠道

2007-05-26 19:25:10 | 雑録

平成19年5月23日、秋田青森県境、矢立峠の歴史の道、旧羽州街道で、明治新道ことイサベラバードの道でもある、この地を訪れた方がありました。

茨城県の青木陽二さんという方(国立環境研究所)。外国人の風景記述を研究しているとのこと。イサベラ・バードが明治のはじめに、矢立峠をおとずれ、スイスとの風景の比較について記述しているというのが、調査のポイントとのこと。

「私は日本で今まで見たどの峠よりもこの峠を誉め讃えたい。光り輝く青空の下であるならば、もう一度この峠を見たいとさえ思う。この峠は、(アルプス山中の)ブルーニッヒ峠の最もすばらしいところとだいぶ似ており、ロッキー山脈の中のいくつかの峠を思わせるところがある。」

明治新道の秋田側から新緑の道を、頂部切通しを経て、津軽側へ歩く。山中の景観は外欧人の好む要素多いとの感じを申されていた。この地を知らしめる手立ては課題だが・・ということですが。

 


横手市史編さん室 羽後新報復刻版

2007-05-11 13:48:07 | 雑録

横手市史叢書9・羽後新報復刻版(明治41年)三、 が刊行されました。

編集は、明治41年の9月から同年12月まで。冒頭の9月1日に、大石良雄の末裔についての記事、先八月廿日岡山市で末裔が死去した内容が感慨深い。鹿角だより・花輪町の奮発という記事は、繭糸共進会行事への花輪の熱の入れ方の紹介で面白い。この9月は秋田県へ東宮殿下(大正天皇)行啓があり、この関係記事がつづく。

9月16日記事、「東宮殿下行啓  度々詳しく報せる如く愈々来る十九日午後二時二十九分を以って、横手駅御通過相成るに付き、奉迎者は必ず一時間以前にプラットホームに罷り出で係員の指揮を仰ぎ、かねて掲載の注意事項に違わぬ様最も謹慎に整列し充分に誠意を表すべきなり」  9月20日記事、「鶴賀奉迎 東宮殿下の御車には、御巡啓御日割の通り昨日午後二時二十九分横手駅到着、五分間御停車にて直に秋田市に向はせられたり・・・」 以下行啓記事は、十月十二日記事「東宮殿下還啓 東北地方巡啓中なりし皇太子殿下十日午後四時五十五分無事御帰京ありたり」 まで続いている。この間の行啓彙報・行啓余聞の記事では、郡部から人々が秋田市に集まり、この際の中小旅館の儲けぶり(9月27日記事)など裏話も伝える。 「金澤柵へ御使」「古戦場(戊辰戦刈和野)へ御使」とかという記事(9月23日)もあり、当生には印象深い。

9月8日の冒頭記事は、「能代の気質」という寄書だが、「七夕理屈」というのが褒められていて面白い。「船舶の出入り頻繁にして、市中の賑わい・・今や戸数三千五百を称し、人口ほとんど弐万を算し、下三郡の中心たり、方に秋田市を凌がんとする勢あるもの蓋し誇張の言にあらざるべし。之れ一に能代人士の奮励努力の結果なり・・・」などと、能代の方々が読んだらさぞ心地よいでしょう文がありました。能代の方必読です。

10月27日に「里見村の耕地整理」という記事、11月8日と20日に「世の地主諸君に告ぐ」という耕地整理推進の論調、12月16日には「小学校教師に一言を呈す」という時代を感ずる論調などもある。 経済の動き社会の動き、地域の事件などを「羽後新報復刻板」は伝えている。紙面に様々な広告がある。これも一つの歴史考察になるでしょう。  「毛はえ薬」の広告に、「十日間に請合」「用て無効には返金すべし」とか宣伝文句あって、これは明治もいまも相変らずと感じいる次第、お笑いですね。

以上、

横手市史編纂室の資料提供に感謝いたします。北羽歴研鷲谷


矢立峠旧羽州街道明治新道イサベラバードの道

2007-05-10 21:10:51 | 活動情報

明治10年新開通の道を、青森側(碇ヶ関村設置)の説明板は、旧羽州街道と記している。その以前の矢立峠道は、古羽州街道と記す。旧街道と古街道との使い分けが他所の呼称からするとまぎらわしいので、当方では古街道と旧街道=明治新道と呼称することにしている。明治新道すなわち明治11年イサベラ・バードの通過した道である。明治14年には明治天皇行幸路。

国道という制度で明治9年に、秋田~青森までは国道3号線だったので、矢立峠越えの国道3号が新しい付け替え工事をしたということなのだろうか。工事経過の資料、明治9年から12年まで綴りこみの秋田県庁文書には、「矢立峠新道工事」という標題で纏められ、国道3号の文字もないし、羽州街道も文字も一切ない。

5月10日、青森県側湯ノ沢口から入り、旧街道・明治新道の排水溝つくり、それに踏橋かけを7地点、青森側コースの中間点まで作業した。70代高齢者には無理は禁物、あと半コースに4件ほどあるのだが、この次来週ということとする。

青森側明治新道コースは、数年前の状況からすると、当生らも奮闘してきましたが、最近は営林署の作業もあり、かなり変わった。雑木が伐採されて道は広く、明るくなり、笹薮もない。と同時に植生も変わってきた。いまどき草花が咲いてるのは初見なのでないかな。これから蕗、みず、秋の茸などどういう按配なのかは気がかり。ともあれ歩きやすくなり、多くの方々が探訪くだされば、幸甚。

矢立峠の歴史の道を守る会・w


イサベラ・バードの道、矢立峠、明治新道

2007-05-06 21:31:39 | 活動情報

矢立峠歴史の道を守る会、

矢立峠歴史の道明治新道の青森県側は、道脇から滲出水でぬかるみが出来る。子供がズック靴でも歩ける散策路にしたいものだが容易ではない。

今日5月6日は、ぬかるみ排水溝つくりに、出動。午前から夕刻までかかったが、処理必要箇所の半分ぐらいをようやく処理した。残りまだまだあり、完全処理は至難である。機械力での恒久整備を願いたいものです。前に碇ヶ関村役場に陳情したこともありますが、実現せずでした。各地のイサベラバードの道を尋ねての探訪者も居られるようですが、そんな方が矢立峠にきたら、今の状況ではがっかりするだろうなーと思ったりしているんです。 それで秋田県の私めが青森側を整備作業しているというわけ。

排水溝作業には、さらに丸一日はかかりそうです。今日は疲れました。2~3日おいて疲労回復してからまた出かけます。       (鷲)

 

 


矢立峠歴史の道、春一番のコース点検

2007-05-04 18:04:52 | 活動情報

矢立峠の歴史の道を守る会の旗を道の駅駐車場端に立てておく。

5月4日、春一番のコース点検。

今春は例年より積雪が少ないので、通行支障の倒木は無いだろうと、考えてのびのびにしていたのだが、ルート点検に行って見たところ、そうは問屋がおろしませんでした。矢立杉跡は、標柱に異常なし、杉株囲いの綱張りを手直し。説明板、ヤワなひさしが曲がっていたので手直しですんだのですが・・・。

以下ルートの作業状況。

1)古街道峯道。津軽側の杉の大木、秋田側に倒れて道をふさぐ。落雷なのか、途中から裂けて倒れ雑木もつぶす。とても一人では手に負えない。数多い太い枝や雑木を相当時間かけて伐採して、大木をくぐりぬけ出来るようにした。手のこぎりではやむなし。

2)古街道秋田側を下り点検。道にかぶさる雑木を3件を刈りはらう。また杉の地べた横倒し一本あるが、通行支障なしでそのままとしておく。

3)明治新道秋田側を上り点検。道をふさぐ倒木はなくて幸い。遊歩道交点近くでの要改善箇所はあり。案内板手直し。

4)明治新道青森側へ下り点検。第一カーブぬかるみ地点、営林作業で伐採の伐木が山斜面から通路に落ち込んでいる。太い蔦が幾重にも絡み、この伐木を排除するのは相当に大変だった。ぬかるみ改善、排水溝処理は今後の作業となる。 第2カーブでかぶさりを一件処理。さらに中間点道標より下り100M地点での杉の倒木、これも本処理はできず、枝はらい、雑木はらいで、またいで通行するように処理する。さらに下って排水溝掘りの必要箇所が相当数あるが、これは今後の作業となる。

5)古街道青森側、湯ノ沢口より上り点検。矢立橋を渡り、登り道に倒木あり。雑木、蔦絡みなどを取り除いて、くぐりぬけるようにしておく。登り段道にさらに一件伐木。休屋跡で更に処理一件。

ぐるりと廻ってきて矢立杉跡に戻る。かなり疲れた。ひととき休息し、のどを潤す。終り午後3時であった。

鷲谷

 

 


北羽歴史研究会・5月学習会

2007-05-03 21:39:27 | 催事情報

平成19年5月22日、北羽歴史研究会・平成19年ど第2回通例学習会。時間13:10~15:30,  於・大舘市中央公民館

テーマ1・・・戦国時代・飢餓と戦争・・・・・担当・金澤長一郎氏

テーマ2・・・「福者」と天正の遣欧使・・・・・担当・丸屋悧氏

 

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以上の予定でしたが、予定担当金沢氏のご都合により、当日は以下のように、担当が代わって実施されました。

テーマ1・・・「福者」と天正の遣欧使・・・・・担当・丸屋悧氏

 テーマ2・・・南部御境木次谷源十郎事件の古文書の件・・・千葉克一氏

テーマ3・・・『岩手の歴史・なぜ?どうして?』より・・・鷲谷 豊氏

      源義経・大崎葛西一揆・九戸政実・水沢留守氏、