北羽歴史研究会

出羽国北端より奥羽地方と北の歴史を展望し
北羽地方の風土文化作りに寄与する。

「東北から今一つの戊辰戦争論」をよむ・・北羽歴研

2010-11-28 14:06:19 | 出版物

東北から今一つの戊辰戦争論  神宮滋(戊辰戦争出羽戦線記より)一部<o:p></o:p>


 戊辰戦争なしで中央集権国家は成立し得たか 


 戊辰戦争では出羽戦線においても多数の死傷者、甚大な被害が出たことは資料の伝える処である。これを以て民衆史をかかげる論者は被害は常に民衆にある、平和的な解決ができなかったのかと論究する。 これに対して編者は、戦争の被害が必ず民衆に押付けられることは間違いないが、戊辰戦争について言えば、話合いによる戦争抜きの平和な解決が可能だったとは考えない。…


戊辰戦争に至る長い過程で模索され、一時かなりの勢力を得た公武合体論や公儀政体論では、打倒されるべき旧勢力が妥協の範囲で温存されたに違いない。鳥羽伏見で戦端を開いた戊辰戦争が当時の公儀政体論を粉砕したのは偶然ではない。薩長などの倒幕勢力が国家再建の基本命題として中央政権による統一国家をめざす限り、武力制圧は必要にして必然であったと考える。… 仮にも武力によって旧幕府軍や親幕諸藩が打倒されなかったならば、従来の延長ではなかったにせよ、暫くは江戸時代の封建的な幕府体制が延命し、諸藩連合政権か慶喜が目論んだ朝廷プラス雄藩連合政権が実現したに違いない。


また仮にも(万一にもあり得ないが)奥羽越列藩同盟や榎本政権の存続を黙認するか、武力をもって打倒し得なかったならば新政府はたかだか京都政権となり、日本の統一政府はきっと地域連合政権に堕したはずである。これでは中央政権をもつ近代国家は成立し得なかったであろう。今日、多々問題があるにせよ、日本国と日本国民が高度の文化と豊な生活水準を享受できるのは、当時の国際環境から推して、ひとえに十九世紀半遅くない頃までに封建的な幕府体制を打倒し、近代的かつ資本主義的な中央集権国家を成立し得たことに帰一すると編者は考える。・・・  <o:p></o:p>


<o:p> </o:p> 北方政権論は東北正義論の前座であっていいか   


東北戊辰戦争の一方の当事者であった奥羽越列藩同盟とはそもそも何だったのか、… いずれにしても、藩政の改革が全くか不十分にしか行い得なかった東北諸藩の結集である列藩同盟では、たとえ同盟が一定期間存在し得たとしても、国政(域内)改革はごく限られ、守旧勢力は圧倒的な力をもって、封建的な身分関係や収奪関係の存続を図ろうとしたに違いない。にもかかわらず敗者のまた敗者なるが故に(正確には「敗者」と認識とするが故に)研究書及びそれに順ずる書においてすら東北諸藩に対して、また同盟に対して繰返し愛惜のエールとも思える評価があたえられる。こうした不思議な現象はさて措き、問題は、高橋富雄に発端するらしい北方政権論が近年、「奥羽政権」「東日本政府」などと形をかえて主張されるとしても、そうした所論に付きまとう如く見え隠れする「東北正義論」である。…/ 佐々木克書・・・星亮一書…/ 北方政権論の系譜に立つ所論はいずれも東北に関係する研究者の主張である。奇しきことである。北方政権論は史料に則してなお細密な研究を要するが、東北正義論の前座であってはならない事だけは確認されなければならない。<o:p></o:p>


<o:p> </o:p> 雪冤(セツエン)物語が繰返されていないか   


・ 佐々木および星の両書は列藩同盟を政権ないし政権構想として高く評価する一方で、大正六年(1917)九月八日盛岡で挙行された戊辰戦争殉難者五十年祭において政友会総裁の原敬(翌年九月総理大臣)が奉読した祭文に対して共に並々ならない親和と共感の情を寄せる。 同盟に対する評価と祭文への親和と共感が表裏一対のようである。…  


南部藩士系譜の原敬が、当時の強まる天皇絶対主義思想のもとで「戊辰戦争は政見の異同のみ」と矮小化してみせ、「誰が朝廷に弓引くものあらんや」と弁明する雪冤の祭文を奉読した…   家再建の基本命題(幕府制の廃止・中央集権国家の成立)に関する対立と、原の政敵との対立を同一視して見せ、旧南部藩が欲してやまない雪冤の論理をこともあろうにそのまま(佐々木書は)あっさりと受容するのである。…まさに二書(佐々木・星)は列藩同盟の新雪冤物語と言うほかない。・・・・


(二部に続く)


<o:p></o:p> 


<o:p></o:p> 


最新の画像もっと見る