北羽歴史研究会

出羽国北端より奥羽地方と北の歴史を展望し
北羽地方の風土文化作りに寄与する。

戊辰戦争で重責を果した本荘藩

2008-12-08 18:40:40 | 雑録

『思考・戊辰戦争で重責を果たした本荘藩』著者発行・小番貞憲(こつがいさだのり)・昭和63年刊。・・・


抜粋「奥羽列藩同盟と本荘藩」・・・ 閏4月初旬、仙台・米沢二藩が盟主となり奥羽列藩へ使いを遣し白石に会合す。本荘藩より六郷大学、用人柴田泰輔を副へ、その他祐筆源間弥三郎、渡合弁吉及び今の周吉、斉藤岩之丞を率いて出席する。  閏4月21日、白石に到れば「案」既に成りて示さる。 六郷大学が滞留終日して密やかに聞くに、京師の官軍白河に到り又鎮撫使保護の兵も暫時応援に到ると聞く。


六郷大学、白石より脱せんと欲するも得ず、偽りて病と称し、密意を柴田康輔に伝え、急行して本荘にかえり藩主に陳べることとす。ここにおいて家老守屋杢右衛門を密使として久保田藩を経て、それより能代に到りて白石会合の顛末を総督府に具申す。参謀大山格之助その赤誠を嘉す。


一面白石にては盟主の重臣より、本荘藩用人柴田康輔の出会を促す。康輔窮す。 六郷大学、本荘より白石の康輔へ急のふれ文を出す。その要点に曰く。「官軍荘内征討のため海路大いに到らん、本荘は小藩微弱、速やかに帰り防御の計あれと」、康輔は列藩の重臣に示す。


重臣ら使夫を呼び親しく訊う。五十嵐亀吉、口才あり故らに質朴を装い虚大を語り、官軍の軍艦、連日船川港に到る。片時も忽にすべからずと、盟主(仙台米沢)の重臣ら軍艦の旗章を問う、亀吉曰く、丸に十の字、又一の字の下に三つ星等なりという。 重臣ら黙然たる事久しい、ついに康輔の帰国を承諾する。


康輔愴惶旅装を整え急行して帰る。 数里毎に関所あり、衛兵拒んで曰く。「久保田藩未だ決せず、貴藩(本荘藩)また結托せしならん、仙府の命を端たざれば通過を許さずと、康輔びっくりし、つぶさに白石の事情を陳べるに僅かに許されて通る。既にして虎口を脱するを祝す。以後行くほど又二、三の関所あり、閑道を微行するに如かず。 若し一日を緩らせば、仙使殺戮の件、白石に達し或は免れきらんと、議一決し、山野を渉り夜行して帰る。


果たして白石に於いては柴田康輔に帰国を許せることを悔い、爾来仙台に於いては、本荘藩を敵視し、江戸より藩地へ回航の兵器、貨、財を石巻港に於いて略奪し、及び小銃百挺付属の弾薬、天幕等を陸送するものを仙台の一門、伊達主殿の領地川崎に令して没収し、その宰領田代乙治、志村千代助、小野彦七、庄司善治等を捕らえて獄に下し、日々杖で叩き、尚飲食の分量をいたづらに増減して困窮せしむ。殆ど堪える能わず、四人の者屡々死を請うも許さず、然し仙台藩降伏後約四ケ月にして幸いに免れるを得たり。  」


以上、仙台藩の列藩同盟強行策の一端を知るべし。


奥羽列藩同盟に意義は無い 仙台藩の誤り 

2008-12-08 16:12:41 | 雑録

奥羽列藩同盟は無益な反政府戦争を拡大した。歴史的意義は一つも無い。<o:p></o:p>


奥羽列藩同盟、仙台藩が反抗同盟をつくったことが間違いの元、単なる薩長と解釈したのは、時流を自覚しない妄動であった。仙台藩の妄動がなければ、会津・庄内のみで終息していた筈である。 長岡藩の抵抗も、同盟があったからである。河井継之助は反政府の確信犯であった。 薩長を除外した政権をつくることができると、仙台藩は考えていたのか。薩長のみならず、白河以南の全諸藩と戦うことになってしまった。薩長なくして明治維新はない。明治維新なくして日本の近代社会はない。<o:p></o:p>


仙台藩の新政府への反乱戦争は、新生日本への妨害行動であった事になる。仙台伊達の大藩62.5万石が、東北の弱小藩を捲き沿いにした反政府戦争だった。反政府行動、反政府武力行使→奥羽越列藩同盟へ、保守反動の性格を顕す。妨害行動、叛乱である、なんらの大義を有せず。 列藩同盟 別国家を立てることにした?上野後公卿崩れ幕府崩れを役職とす。戊辰戦争140年行事、賊軍ではないぞーと、恨み節の言葉を連ねている。歴史の足を引っ張り後退させようとした人たち。反乱を反省せず。<o:p></o:p>


11/23 宮城県白石市主催 [戊辰戦争140年in白石]・・列藩同盟の意義を再考する… どんな意義? … 列藩同盟加入の自治体が会盟の地「白石」で一堂に会し、同盟の意義を全国に発信する? … それって「井のなかの蛙」の認識不足ではありませんか。・・仙台藩主の降伏謝罪文をみると、「遠隔の地で天下の情勢を知らず、順逆を間違えた」などと言ってますが、ウソ? 仕方なく書いた降伏文書でしたか。<o:p></o:p>


*賊軍と言われた分子は都合よく、なんとか天皇をでっち上げておいて、懸命に天皇を尊ぶのは同じで対等だ賊軍ではないぞと主張する。歴史を進展を妨害した結果の人達の言い草、誤りを認めず、我を通す。謙虚さは全くない。下々の兵士領民に与えた犠牲を全然考えていない。己の誤りを認めず。<o:p></o:p>


恭順は軍備を捨てて従順することで成り立つ。具備恭順は矛盾である。会津と同調する仙台藩、「義においておよばず」だと、それはなんの義理か?佐幕の義理なんだろうが、反動的なんだなー。 *仙台藩主導の列藩同盟は無益な戦争の拡大と犠牲の拡大、武門の意地と称するものが、領民大衆を悲嘆に陥れたに過ぎない。何の歴史的価値があろうか。いまなお悔悟せぬ人々に憐憫を思う。  <o:p></o:p>