北羽歴史研究会

出羽国北端より奥羽地方と北の歴史を展望し
北羽地方の風土文化作りに寄与する。

十和田史談会・現地学習会・5月

2008-05-17 19:05:28 | 催事情報

郷土を語る会「現地学習会」の開催

テーマ:戊辰戦140年県北路をさぐる(大館~二ツ井方面)

日時:平成20年5月30日(金) 午後0時45分まで十和田図書館前集合、市大型バス利用、1時出発・帰着予定午後5時15分

講師:鷲谷豊(大舘市)

会費:会員・一般・200円当日徴収

参加申込先:十和田図書館

 

 

 


戊辰戦争・南部盛岡藩主の謝罪文

2008-05-09 11:56:15 | 雑録

戊辰戦争、南部盛岡藩主の謝罪文 

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                     臣 利 剛 <o:p></o:p>

恐懼頓首奉嘆願候

当春会津容保御征討之砌奉応接之命速ニ出兵仕候得共

同藩謝罪之儀仙米両藩ニテ周旋ニ付同盟仕候 

其後秋藩ヨリモ及違儀候砌 

同盟諸藩進撃之上弊藩ヘモ屡々才足ニ付 

遂ニ進撃ニ至り候処 今般重臣三戸式部京師蒙御内旨 

且久我様ヨリモ御内諭有之帰国ニ付 

到仁好生之叡智ヲ以相伺奉感風候 

朝廷之御趣意柄ニ相戻り候儀と今更悔悟恐懼之至りニ不堪候 

全東垂之国柄当今情態通徹不仕一時誤方向重恐入候

然ル処此度御内旨蒙国臣一定仕候上ハ奉仰朝裁之外他事無之

深謹慎罷在候

臣雖不省勤王之素志当夏九条殿弊藩へ御滞陣中奉建言候通り 

誓天地二念御座候間 前後御燐察被成下蒼生安堵ニ至り候様 

偏ニ奉嘆願候 誠恐誠惶謹言

 

 

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       賊軍の汚名をよくよく反省せられたし

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北歴会報抜粋・・戊辰戦争雑感・・金沢長一郎

2008-05-08 10:28:20 | 雑録

■ 戊辰戦争雑感               金沢長一郎<o:p></o:p>

 

 今年は戊辰戦争140年にあたる。1998年の130年のときは、わが北羽歴史研究会でも展示会やシンポジュウムを行った。秋田市での秋田歴研協主催のシンポ・旧角館町のシンポに参加したことが、つい昨日のことのような気がする。<o:p></o:p>

 

 さて、盛岡城跡にある櫻山神社境内に「戊辰戦争殉難者碑」が建っている。また平民宰相原敬が有名な「戊辰戦争には賊も官もない、政見の違いのみ」と祭文を読み上げたのは、「戊辰戦争殉難者50年祭であった。「殉難」とは「国家社会宗教などの危難のた<o:p></o:p>

めに身を犠牲にすること」と広辞苑にある。<o:p></o:p>

 

 我々、攻められ甚大な戦禍を蒙った大館秋田藩側としては、攻撃した方が「殉難者」とするのは違和感をもつ言葉である。このようなことは他にもある。鹿角市のある史談会の研究発表の紹介記事(04,10,15北鹿新聞)で、「歴史上負者の弁は抹殺される傾向にあるが地方村方に断片的に残っている」として、秋田藩から「南部の火付け」と言われるが「南部方に兵糧を取られるより自分たちで火を付けたのが真実だ」と発表したとのことである。どこか違うような気がする。もし本当だとしても攻められなければ火を付ける必要もなかったのではないか。<o:p></o:p>

 

 南部側はあくまで攻撃側で大館は被害者である。「奥羽越列藩同盟」を裏切った秋田藩を赦せないということだろうが、なぜこの段階で参戦したのか。司馬遼太郎は、「伊達藩への義理で一藩をつぶした」と言っている。義理で攻められ戦禍を蒙った大館側としてはたまったものではない。<o:p></o:p>

 一方、秋田藩も「勝った勝った」、東北唯一の「官軍」だなどと威張ったのは頂けない。実質は敗戦を糊塗するために声高に言ったような気がする。しかもその後は維新政府に疎外された被害者としての面ばかり強調され、秋田はダメになったとされているが、政府の足を引っ張った面も大きかった。反政府の巣窟とみなされてしまったことは、その後の秋田に大きな影響を与えた。<o:p></o:p>

 

 ところで、戊辰戦争といえば、ともすれば戦闘(秋田北部戦線では8月9日~9月25日)のことが主に語られているように思うが、当時の人にとっては戦後が大変だったのではないだろうか。家は焼かれ田畑が戦場となり、その上に凶作が重なり経済が混乱し、騒擾が各地に発生している。 武士階級は武士階級で、連戦連敗で権威を著しく失墜し支配力は低下した。加えて八坂丸事件などが起りどうにもならなくなったのである。<o:p></o:p>

版籍奉還(M2,6,22)などを経て廃藩置県(M4,7,14)に至り、武士階級が消滅するという大激動に遭遇してしまったのである。 明治以後、岩手県(南部)と秋田で差が出たのは人材においてである。(会津も同様なのかもしれない) 朝敵藩である両藩には日本を代表する人材が輩出した。これは絶対に薩長に負けまいという気概によるのであろうか。<o:p></o:p>

秋田は負けを認めず、ただ官軍だったという虚名にしがみついたのみでは向上心は生れなかったということだろうか。                       <o:p></o:p>

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矢立峠歴史の道

2008-05-07 17:22:02 | 雑録

矢立峠歴史の道

4月2日に歴史の道の状況を見に出かけた。今年は例年に比べて積雪の少ない年だったので、もう歩行はできるだろうということで…、

たしかに秋田側はよいのだが、道の駅駐車場から矢立杉跡株へ上るところは、山盛りの除雪で、遮断状態になっている。毎年の事なのだが、今年は特に左手の遊歩道脇道への通過もできない雪塊があった。 春すでに散策シーズン近しというのに、配慮のない除雪作業だと思いつつ、乗り越えてようやく通過する。長靴が埋まり雪が入り込むなど。

秋田側の古街道・明治新道には雪は無し、青森側明治新道に雪あり。でも歩行は可と思われる。この日は、矢立杉説明板などが雪で倒れていないかと気になってでかけたので、明治新道の案内板もOKだったので、秋田側で検分は終り。

 

4月29日、春の連休ではかならず、矢立峠に山菜とりとか人がはいるので、気になり出かける。

明治新道秋田側、赤湯沢橋跡の通路渡橋の土塁が、かねて大雨のとき流れ陥没しており、うっかりすると足をすべらせる危険があるので、補修を森林管理署にお願いしていた。ところがさっぱり補修されないので、怪我する人がでたらと、どうも気になる。さすれば 暫定補修をしようと、思いいたり、この日に作業することにした。

ありあわせの材料で不十分だが、まあ1-2年は大丈夫かなと。応急補修完了。

それから連れと二人で、歴史の道を相当時間をかけて全ルートまわり、倒木の枝きりを数ケ所やったり、案内標を立て直したりした。

とりあえず報告。矢立峠歴史の道をよろしく。

 


千住・安藤昌益・報告集刊行

2008-05-07 16:28:10 | 活動情報

昨平成19年10月に開催された「安藤昌益全国フエステイバルin千住」の報告集が刊行されました。

開会冒頭からの次第をふくめて、各ご挨拶からはじまり、基調報告・安藤昌益の医学、特別報告・安藤昌益の平和思想・同報告・安藤昌益の飢餓感、など。

分科会の千住の昌益・八戸の昌益・大館の昌益・医者の昌益・思想家の昌益、の各報告など、会場の雰囲気がよく伝わってくる記録となっています。

また昌益の旅たち…一人芝居、昌益発見伝…講談、のシナリオも収録しており見やすい編集となっております。

A4版204ページ、頒価1000円送料160円。

刊行元…安藤昌益と千住宿の関係を調べる会

事務局…東京都足立区関原2-14-20-105、矢内信悟 TEL03-3887-8021


秋田歴研協

2008-05-07 16:18:19 | 活動情報

秋田歴研協・歴史フオーラム

7月6日 13:00~15:30  場所 秋田市中通・秋田文学資料館

テーマ 「院内銀山遺跡に光をあてる…秋田の鉱山遺跡の保存と活用をめざして」

基調報告 「院内銀山の遺跡と文化財」…渡辺和男氏(院内銀山史跡保存顕彰会)

特別報告 「金山神社修復事業の現状と課題」…高岡正氏(史跡環境整備実行委員会)

 


北羽歴史研究会・古文書学習会

2008-05-07 16:11:34 | 活動情報

平成20年度第2回古文書学習会を開催します

日時・5月22日 13:10~15:30   於・大館中央公民館

テーマ  佐竹氏に仕官した秋田安東氏の旧臣系譜

    テキスト1  「先祖口上書」安東弥治右衛門

     同  2   「由緒書」安東茂兵衛

     同  3   「覚」 安東左兵衛

                                 以上