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放浪のページ別冊ブログ

キャンプ・ツーリングに林道ツーリング。スキーや食べ歩きも。ホームページや巡礼と芸術の別ブログもあります。左下のリンクで。

スーパーカブではじまってカブでおわる

2023年04月03日 21時45分05秒 | バイク・旅の話題

     
ホンダのHPより


あがりのバイクはなににするか、という話題がある。人生で最後にのるオートバイはなにか、という話だ。すると、ホーク11だとか、ハーレーだ、などという的外れな答えがでていて、鼻白むことがある。そうではないだろう。あがりのバイクはカブなのだ。

人生最後のバイクは大型バイクだと言う人は、30か40くらいの若い人なのではなかろうか。この方たちはいくつまでバイクにのるつもりなのだろう。50か60くらいでバイクをおりるつもりなのか。そうではあるまい。バイク乗りは体がきくかぎり、オートバイにのりたいとおもっているはずだ。

私は生きていれば、80でも、可能なら90になってもオートバイにのっていたいとおもっている。そんな年になって大型バイクにのれるのか。のれるわけがない。あたりまえのことだが、人間は老いておとろえるのである。

大型バイクをあがりのモデルだと考える若い人は、老いたら人間がどうなるのか、想像もつかないし、そもそも考えたこともないのだろう。今の自分の心身の状態で、これがあがりのバイクにちょうどいいだろうとおもうわけだ。80や90になったときの体の状態を想像することは、たぶん若いとできないのだろう。


ホンダのHPより


年をとってゆくと、まず車にのれなくなるだろう。車体感覚がとらえられなくなって、視力もおとろえ、反射神経もわるくなる。事故をおこして、誰かに危害をくわえてはならないとかんじ、自動車からおりることになるのだろう。しかし、バイクはその先でもまだのれるだろう。体力がおちても、目がわるくなっても、車幅や前後長のみじかいオートバイならのれるはずだ。

それでも年とともに大型バイクにはのれなくなり、小型のバイクに移行するだろう。小型のオートバイでゆっくり走るなら、かなりおとろえても、人を怪我させるようなことにはならないのではないか。アクシデントがあっても、自分が傷つくだけですむのではなかろうか。それがあがりのバイクになるわけだ。


ホンダのHPより

私がはじめてのったバイクは、友人宅にあったスーパーカブ50だった。16のときのことだ。カブは原付だったが、そのパワーにおどろいたものだった。そんな人はおおいのではなかろうか。はじめてのバイクはカブでなくとも、スクーターなどの原付、というパターンだ。

釣りのことばに、フナにはじまってフナにおわる、というものがある。魚釣りは、家のすぐ近くでできるフナ釣りからはじまり、その後は磯釣りや船釣り、大物釣りなど、様々な方向に発展してゆく。海外に遠征することもあるかもしれない。しかし年をとって体がきかなくなったら、また自宅近くの川でフナをつって、釣り人生をおえるということである。

フナと川をたとえとしてつかっているが、海の近くの人なら、堤防で釣れるアジやイワシにでもなるだろう。山間の人なら山女になるのかもしれない。自宅のちかくではじまり、またそこにもどったおわるということである。バイクならカブやスクーターなどの原付ではじまり、そこにもどって終わるということなのだ。


ホンダのHPより


私はDR650のキックがふめなくなったら、セルつきのバイクにかえるとおもう。DRのエンジンをかけるにはかなりの力がいるのだ。そして大型バイクにはのれないとかんじたら、カブをあがりのバイクとしてえらぶつもりだ。カブはクロス・カブやハンター・カブではなくて、オーソドックスなモデルがいい。

バイクは、スーパーカブではじまりカブでおわる。小型バイクではじまり、小さなモデルでおわる。あがりのバイクはカブ、小型バイクなのである。

バイクはカブにはじまってカブでおわる。

1983年カニの家の追憶

2022年10月17日 17時30分52秒 | バイク・旅の話題


1983年 帯広ユースの朝の集合写真

HPやブログに1980年代の旅の記録を書いていると、それについてメールをいただくことがある。昨年、私と同じように80年代に北海道を旅されたSさんという方からおたよりをいただいた。Sさんは周遊券とヒッチハイクで旅をされたそうだ。私の古い放浪の記録をよんでなつかしんでくれているとのこと。その後の私の2001年の北海道ツーリングでは、あまりにも観光地化されてしまった神威岬や、たてかえられた札幌駅を惜しむ記述がある。Sさんも北海道の変貌や発展について私とおなじようなことを感じていらっしゃるようだ。そのSさんからのメールをここに転載させていただいて、神威岬や札幌駅のことなどにふれたいとおもう。そしてSさんのかかれれている、1983年のカニの家についての文章も紹介したいとおもうのだ。



1983年 函館のユース・北星荘の朝。

以下Sさんのメールを抜粋。

ーー『1983年北海道ツーリング』には、懐かしい場所の記述も出てくるのですが、昨今の開陽台の変わりぶりと、『2001年ツーリング』の神威岬と札幌駅の変化には、読んでいて心に来るものがありますね。
私の記憶の開陽台は何もない丘の上に粗末な八角形の展望台があっただけの場所。神威岬は手彫りのトンネルを通って、風の吹き抜ける草むす土手の上から神の岩を眺める場所。札幌駅は色とりどりの寝袋と自転車とバイクが壁沿いにずらりと並び、いつ行っても若い旅人が集まっている場所。ーー

念仏トンネル 昔日の神威岬

1980年代の札幌駅での野宿風景

ーー私はもう30年以上も北海道には足を踏み入れておりません。バブルを挟んで人の心も変わり、その後、地域経済を支えていた北海道拓殖銀行もなくなり、かの地がどのように変わってしまったのか?
かつての想い出が、かの地の今の姿で上書きされるのではないか、という漠然とした不安を持っています。ーー

ーー「地元の方は近代的な施設と発展を望んでいる」というのは、学生の時からよく見ていた現象です。結論から言えば私たち旅人は土地の利害関係者ではないので、口を出すべきではありません。そして田舎の人には、残念ながら手が加わっていない自然の大切さは分かりません。利害関係者が選択したのなら、我々がどう思おうと失われるのは仕方のないことなのです。そのはかなさを前提に、私たちはその時間のその場所を旅していたということなのだと思います。ーー

そのSさんが書いた帯広のカニの家を追憶する文章がある。それがあるのはカニの家OB会公式ホームページで、カニの家の歴史を記録するために運営されているそうだ。

カニの家 Sさんの文章

カニの家OB会公式ページ


私はカニの家にとまったことはないのだが、当時のようすをつたえる貴重な文章だとおもう。Sさんの作品にはもっと素敵なものもあるのだが、それはある方のブログにのっているので、転載するのははばかられる。いずれにしても追憶はあまく、せつない。




ゆるキャン なでしこの歩いた道

2022年06月27日 20時27分10秒 | バイク・旅の話題


2022年の5月。静岡に旅行した際に東名高速の富士川SAに立ち寄った。売店を見ていると『ゆるキャン』のコーナーがある。ゆるキャンとは女子高生がキャンプをするアニメだ。作中で私も何度も利用したキャンプ場、野田山健康緑地公園が登場するのだが、それについての展示まであった。



野田山健康緑地公園は富士川SAの北の山の中にあるのだが、道が狭くて車でゆくはかなりきびしい。西にある蒲原からのルートのほうが道はよいが、いずれにしても行くのはたいへんだ。そこをゆるキャンの登場人物のなでしこが、ソロキャンをするために歩いてゆくシーンがあるのである。そのルートの解説があった。これって聖地化してる?



野田山健康緑地公園は山の上にあるキャンプ場だ。以前は無料の野営場だったが、現在は有料となっているようだ。私は2016年と2018年に利用したが、当時は富士市の林業課に電話をして予約をした。



水が飲めないことと、火をつかうのは炊事棟だけというルールがあった。火事があったからのようだ。じっさいに野営場の下草が広範囲にこげているのをみたことがある。



そして作中でなでしこも見ているが、夜景がきれいなところだ。眼下には富士市と田子の浦を見下ろすことができる。



いつかまたたずねたいと思ってたのだが、聖地となっているのなら、大混雑しているのだろうか。2016年の記録は『2016年11月野田山緑地公園キャンプツーリング1』。2018年は『2018静岡キャンプツーリングの1』をどうぞ。

昔のユースホステル・ハンドブックはタイムマシーン

2022年06月16日 18時34分32秒 | バイク・旅の話題


本棚を整理していると、1978年版のユースホステル・ハンドブックがでてきた。財団法人ユース・ホステル協会が発行したガイドブックだ。この本、当時の旅好きな若者はみんなもっていたのではなかろうか。



ハンドブックには往時のようすがのっている。この本をよんでいると瞬時に若いころの記憶がよみがえった。



1981年に自転車旅で旭川ユースにとまった。こんな、辛い、旅なんか、もういやだ、旅を終わろう、汽車にのろう。ユースではさとう宗幸のうたう北海道ユースホステルの歌、『旅の終り』がエンドレスでかかっていた(歌詞の一部だけ記憶していたのだが、ネットで調べたら歌の名前や歌手までわかった。私はさとう宗幸がうたっているとおもったがちがっていたのかもしれない。)。ソロで自転車旅をしていた私は、若さゆえに休むこともせずにペダルを踏み込んでしまった。先へさきへと。朝から夕方まで。当然サイクリングはくるしいものになって、この歌とおなじ心境だった。そのころの札幌駅での野宿風景は『1980年代の札幌駅での野宿風景』をどうぞ。



当時はトムラウシにユースがあったのだ。そして帯広ユース。



1983年のバイク・ツーリングで利用した。朝の集合写真。当時はホステラー(宿泊者をこう呼んだ)やヘルパーさんがあつまって毎度写真大会をやったものだった。



函館の北星荘。この頃からユースで酒がのめるようになった。同じく1983年のツーリングだ。そのときのようすは『1983年の北海道バイク・ツーリング』をどうぞ。



夜バイクの宿泊者だけで函館山にいって夜景をみた。帰りに競争になり、ショートカットして勝利したことを思い出す。



尻屋崎ユース。北星荘の翌日に日本一周中の青年ととまった。その彼と日本縦断ライダーのエピソードは『日本縦断ライダーと日本一周ライダー』をどうぞ。



高校生のときに自転車でたずねた茨城県の筑波山荘。規律がきびしかった。



埼玉県の鎌北湖ユース。友人が土曜日だけステーキがでると聞き込んできて、ランドナーをつらねてでかけた。ミーティングなどがやけにたのしかったことだけをおぼえていて、食事の印象はのこっていない。



大学受験がおわり、発表までのあいだにサイクリングをした伊豆のかえりに真鶴ユースを利用した。伊豆では伊東ユースと下田ユースにとまった。この後浪人が決定するのである。



キャラバン・シューズの宣伝。



ユースでねむるときにはスリーピング・シーツを使用することになっていた。これが面倒くさかった。



予約はがきの書き方。



1983年には伊勢や和歌山にもツーリングにでかけた。その際に大津ユースにとまった。琵琶湖毎日マラソンの前日で、レースに参加するという方と話をした。その方は一般参加の選手だったが、3時間ほどで完走すると言うので、それはすごいですね、と話したことをおぼえている。ユースにとまってマラソンにでるというのは当時としては当たり前のことだが、今となればものすごくストイックだ。



高校生のときに能登半島から京都をまわるサイクリングにでた。その際に京都のユース松三を利用した。そこのばあさんがどこから来たのかと問うので、答えると、車は走っているのか? と言う。京都よりもたくさん走っているとこたえると鼻でわらわれた。学のないばあさんだった。



小西六(現在はコニカ)のカメラ・フイルムの宣伝。キャラクターは欽ちゃん。商品はサクラカラーだ。



東亜国内航空の宣伝。TDAは日本エアシステムに社名変更したのちにJALと合併した。その後はJALは倒産してしまったから、先のことはわからないものである。現在のJALは再出発会社だ。



北海道のページをくっていると養老牛青年の家をみつけた。その地図に開陽台育成牧場とある。ここが現在の開陽台だろうか。



そして北海道ユースの歌・旅の終りの宣伝もあった。歌手名は青木清とある。ネットで検索してみると、この曲をきくことができた。山名敏晴という人もうたっている。ただ私はさとう宗幸の歌をきいたとおもうのだ。さとう氏の声は特徴的だし、青木氏と山名氏の歌もきいてみたが、この声ではなかったとかんじている。しかし昔のユースホステル・ガイドブックはタイムマシーンだ。読んでいると、高校生や大学生にもどってしまう。

かんぬき、ではなく、かんばつ

2022年03月31日 18時19分27秒 | バイク・旅の話題


このところ気になっていることばがある。貫通している林道のことを、かんぬき、と呼ぶことだ。漢字では『完抜』とかく。これを、かんぬき、とよんでいるのだが、かんばつ、のまちがいだ。kanbatsu

貫通している林道、行き止まりではなく、通り抜けられる林道を、完抜林道(かんばつりんどう)とよんでいた。これは林業関係者のことばか、道路整備者の用語だったとおもわれる。40年ほど前のバイク雑誌には、完抜林道、ということばが、林道の紹介記事によくつかわれていた。そこにルビなどふってなかったが、だれも、かんぬき、というよみかたはしていなかった。



それが最近、ツィッターでかんぬき林道をはしってきた、とか、かんぬきしてきた、かんぬけしてきた、のようにつかう例が散見される。漢字のよみかたには音読み(中国読み)と訓読み(日本語読み)がある。漢字の熟語は音音読み、訓訓読みとそろえてよむものである。音訓読みの、かん+ぬき、ではおかしい。かん+ばつ、の音音読みだ。完成は、かんなり、ではなく、かんせい。完走は、かんはしり、ではなく、かんそう、だ。

ウェブ雑誌の記事にも、かんぬき、ということばをつかうライターがでてきたので、とても気になっている。

かんぬき、ではなく、かんばつ、だ。

2021キャンプと車中泊のまとめ

2022年01月12日 18時14分22秒 | バイク・旅の話題


2021年のキャンプと車中泊についてふりかえってみた。何十年もなかったことだが、2021年はキャンプはしなかった。ホームページの副題に『ひたすらキャンプ・ツーリング』とつけているくらいキャンプがすきなのだが、現在はキャンプ・ブームで、野営場は大混雑しているから避けたのである。キャンプ場にいる全員が焚き火をしているのも、前回のキャンプ・ブームのときに、皆がコールマンのツー・バーナーでビーフシチューをつくっていた光景とだぶって見える。はやりものにのってやっている人間がいなくなるまで、キャンプはひかえるつもりなのだ。



一方で車中泊は29泊した。車中泊も流行のきざしがみえるが、このまま沈静化してほしいとおもう。



車中泊はバイクをつんでいったトランポ・ツーリングが13泊。



トランポでゆくと雨も暑さも関係ないからとても快適である。



スキーが9泊。



そして家内との旅行が7泊である。約1ヵ月間ハイエースに寝泊りしたのであった。




クラッチワイヤーが切れたバイクで走る方

2021年10月09日 09時14分51秒 | バイク・旅の話題


クラッチワイヤーが切れてしまったバイクではしる方法をご存知だろうか。先日『セローのクラッチ、ブレーキの予備レバーを購入』という記事を書いたところ、掲示板でベテラン・ライダーの皆さんとトラブル対応の話でもりあがった。そこでクラッチ・ワイヤーが切れたバイクで走る方を話題にしたのだが、知らない人もいると思うので、ここでまとめておくことにした。



私はクラッチ・ワイヤーの切れた、スズキGSX400FとカワサキZ750GPではしったことがある。むずかしいとかんじるかもしれないが、やってみると意外と簡単だ。

1 バイクには乗らずに、ニュートラルでエンジンをかける。
2 エンジンのかかったバイクの左にたって、ハンドルをにぎる。
3 サイド・スタンドをはらう(サイド・スタンドをはずさないとエンジンがかからない安全装置がある場合は2と3は逆になる)。
4 エンジンのかかったバイクを押して走る。
5 5メートルほど走ったところでバイクに飛び乗り、ギヤをセカンドにガチャンと入れ、エンストしないようにアクセルをあける。
6 バイクが走りだしたら、クラッチをつかわずにシフト・アップとダウンをして走行する。ギヤ・チェンジの際はアクセルをもどして操作するのがコツだ。
7 信号で止められそうになったら、ニュートラルにして停止し、バイクから降りて左にたつ。
8 信号が青になったら、またバイクを押してはしり、飛び乗ってセカンドにいれて走行する、というのを繰り返してゆくのである。

これで自宅やバイク屋まではしることができて、トラブルに対応することができた。これはクラッチ・レバーが折れてしまったときにもつかえる手である。

私はバイクに飛び乗ったらギヤをセカンドに入れたが、ローギヤに入れる、という人もいる。トルクのある大型バイクはセカンドだとおもうが、小さなオートバイはローでもいいのかもしれない。また、セルのあるバイクは、ローにいれたバイクを、セルでエンジンをかけながら発進させて、シフト・アップしてゆくという方法もあるようだ。ただし、これは私はやったことがないから、じっさいのところはわからない。いずれにしても、いざというときに知識があるとあわてなくとすむ。もしもの場合はおためしあれ。




ぐっさんのバイクはDR650SE

2021年07月31日 18時39分32秒 | バイク・旅の話題


         
画像はバカリズムのツィッターより拝借しました


BS日テレで放送していた、バカリズム、大人のたしなみズムをたまたま見た。今回のテーマが房総ツーリングだったからだ。よく走りにゆく千葉の引き出しが増えればいいな、という軽い気持ちで視聴したのだ。

番組がはじまってみると、案内役はぐっさんこと山口智充氏で、ぐっさんはマツダのトランポにバイクを積んできていた。そのバイクがDR650SEだったのである。番組を見ていた私はのけぞって驚いてしまった。



画像はバカリズムのツィッターより拝借しました


ぐっさん自身も、これはレアなバイクだと話していたが、まさかDRがテレビに登場するとは思わなかった。しかし思い返してみると、ぐっさんは愛車遍歴にも出演していて、変わった車が好みだと言って、珍しいマツダのバンをさがして手に入れたと語っていた。その嗜好がバイクに反映された結果がDRだったのだろうか。

ぐっさんのDRはダークなカラーで再塗装されているがノーマルのようだった。もちろんDR650だけでなく、他に何台も所有しているのかもしれない。以前バイク誌ではカワサキW650に乗っていると読んだことがあるから。しかしDRに乗っていると知ると、応援したくなるよね。

画像はバカリズムのツィッターから拝借しました。



武蔵野ガレージセールへ

2021年04月12日 22時01分32秒 | バイク・旅の話題


毎月第一日曜日に開催される武蔵野ガレージセールにいってきた。バイクのパーツなどのフリー・マーケットである。場所は埼玉県川越市の荒川の河川敷にある、オフロード・ビレッジというモトクロス・コースだ。



セローででかけたがバイクの入場料は200円だった。



入口をはいるとエンジンの単体を展示している人たちがいる。



かなり年季の入ったエンジンだ。エンジンだけを楽しむようだが、なんだか盆栽のようで、私は良さがわからなかった。



こちらは原動機付き自転車。



古いパーツを売っている人がたくさんいる。



W1の白バイ。



ガラクタのような部品がならんでいるが、欲しい人には宝物なのだろう。



バイクも売っていた。



会場を何回かまわった。これは初期型ダックスのエンジンでしょう、と話している人がいる。エンジンを見分けられるのだからすごい。



ホンダCL72の部品。



こちらはシート。



灯火類。



レバーやグリップ。



コーヒー屋さん。BMWのイセッタかと思った。



しかしちがった。改造車のようだ。



みんなバイクが大好きなのだ。



ガレージセールののぼり。



来場者のバイク。これはホンダCL72?



スズキ・ウルフか。



ヤマハYDS?



W1。



私も以前乗っていたホンダ・シルクロード。ピカピカだ。



若者が、これってなんのエンジンなんだろう、と話していたが、CB250RSーZのだよ、と心のなかで呟いた。

DR650RSEのカタログ

2021年01月30日 18時16分51秒 | バイク・旅の話題


ネットを見ていると、DR650RSEのカタログが売りにでているのをみつけた。



私のバイクはDR650RSだが、カタログはDR650RSEのものである。Eはエレクトリック・スターターの略で、セル・モーターがついているモデルなのだ。1992年ころの製品で、このカタログは手に入れたいと思った。



ダイナミック・アドベンチャー、砂漠のインペレーションと題されたカタログには、ビック・ボアのシングル・エンジン。エレクトリック・デコンプ付きのセル・スタート。デジタル・イグニッション。デュアル・バランサー・シャフト。デュアル・エグゾースト・マフラーなどの特徴が紹介されている。私のバイクはキック・スタートだから、このセル付きがうらやましい。



ブラックカラーのカタログ。



こちらは仏語のものだ。



このブルーもいい。



上の英語版と仏語のスズキ・フランスのカタログが微妙にちがうのがおもしろい。