青島の安徽路の坂道を歩いていると、クリーム色の古そうな洋館が目に入ってきました。


多くの市民が集まってきます。どうやら病院のようです。
ここは1905年にドイツ同善会と欧州人協会、独英米国人の居留民が資金を集めて開設した西洋人専用の病院だったそうです。
青島で亡くなったドイツ人医師の名前を取って福柏医院とよばれていたそうです。
福柏はフーバーと読むでしょうか。
フーバーは同善会の宣教師であり、人類学者、医学博士、文学者でもあり、1898年に青島に到着して、同時に学校や病院を興し始め、翌年病死したとされます。
この福柏医院は1907年に正式に開業したそうです。欧州から医師を招き、ドイツ人が経営に当たったのだとか。医師団は医療だけでなく布教も行ったそうです。


現在、青島市皮膚病防治院として使われています。



多くの市民が集まってきます。どうやら病院のようです。
ここは1905年にドイツ同善会と欧州人協会、独英米国人の居留民が資金を集めて開設した西洋人専用の病院だったそうです。
青島で亡くなったドイツ人医師の名前を取って福柏医院とよばれていたそうです。
福柏はフーバーと読むでしょうか。
フーバーは同善会の宣教師であり、人類学者、医学博士、文学者でもあり、1898年に青島に到着して、同時に学校や病院を興し始め、翌年病死したとされます。
この福柏医院は1907年に正式に開業したそうです。欧州から医師を招き、ドイツ人が経営に当たったのだとか。医師団は医療だけでなく布教も行ったそうです。


現在、青島市皮膚病防治院として使われています。
