青島旧市街の金融街である館陶路の入口に立つこの洋館は、かの英国の海運大手スワイヤー商会青島支店(太古洋行、Butterfield & Swire)だった建物です。

住居表示は館陶路2号です。堂邑路を北上すると正面に見えてくるのでとても目立つ建物です。
1936年の竣工と伝わります。
スワイヤー商会の青島への進出は1910年代前半で、当時は別の場所にオフィスを構えたようです。英国企業としてはいち早く中国への進出を果たしていたスワイヤーは青島進出後はいち早く海運ビジネスで足場を固めたそうです。16隻の船を所有していたそうですが、それらの船はすべて黒だったので、「黒煙突」と呼ばれたのだとか。
1914年に日英連合軍がドイツを破って青島を支配するようになると、この写真の北側に大型の倉庫を建設しました(右側のクリーム色の建物)。
そして36年にこのオフィスビルを建築しました。ここから港まで約500メートルです。
スワイヤーがいい場所を取ったことがよくわかります。
現在は病院として使われているようです。
写真を撮ったのがこの1枚だけだったのが惜しまれます。次に行ったら違う角度からも撮影しようと思います。
スワイヤー商会天津支店はここ(2022年11月11日の日記)でご紹介しました。

住居表示は館陶路2号です。堂邑路を北上すると正面に見えてくるのでとても目立つ建物です。
1936年の竣工と伝わります。
スワイヤー商会の青島への進出は1910年代前半で、当時は別の場所にオフィスを構えたようです。英国企業としてはいち早く中国への進出を果たしていたスワイヤーは青島進出後はいち早く海運ビジネスで足場を固めたそうです。16隻の船を所有していたそうですが、それらの船はすべて黒だったので、「黒煙突」と呼ばれたのだとか。
1914年に日英連合軍がドイツを破って青島を支配するようになると、この写真の北側に大型の倉庫を建設しました(右側のクリーム色の建物)。
そして36年にこのオフィスビルを建築しました。ここから港まで約500メートルです。
スワイヤーがいい場所を取ったことがよくわかります。
現在は病院として使われているようです。
写真を撮ったのがこの1枚だけだったのが惜しまれます。次に行ったら違う角度からも撮影しようと思います。
スワイヤー商会天津支店はここ(2022年11月11日の日記)でご紹介しました。
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