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HBD in Liaodong Peninsula

中国と日本のぶらぶら街歩き日記です。2024年5月からは東京から発信しています

ドイツ膠澳総督府・ゲルプケ大法官公邸 / 山田良水陸軍少将公邸旧址

2023-02-24 | 山東を歩く
青島旧市街沂水路に建つこの気品のある様式の洋館は、ドイツ占領時代のドイツ人高官用の宿舎として建てられたものだそうです。





サイトによると、膠澳総督府の格爾皮克(Paul Gelpcke)なる大法官の公邸だったと紹介されていますが、何と読むのでしょうか。
中国語をそのまま読むと「ゲルプケ」でしょうか。

1899年の竣工です。
ドイツ人建築家による設計です。

レンガと木造の組み合わせたハーフティンバー様式で、英国やドイツでよくみかけるスタイルです。

ここがドイツの租借地であったことを強く印象付けます。



帽子のような赤いトタンの尖塔がアクセントになっています。

足場の赤っぽい石は御影石でしょうか。



黄色く塗られた漆喰の壁、コーナーに嵌め込まれた角石、どれも趣がたっぷりです。

ところで、文献によると、ゲルプケ大法官このは邸宅にはほとんど住むこともなく青島を去ったようです。
ゲルプケの役目は植民地政府としての基本法整備の協力を行うことでしたので、自分の役割を終えたらドイツに帰国したのだとか。

その後はドイツ海軍の軍医をはじめ、様々な時の政権の幹部の住まいとして使われたとされています。

1914年に日本が青島を租借するようになってからは、山田良水陸軍少将がここで暮らしたそうです。

山田は旅順にも爪痕を残した人物です。
山田良水(1862-1928)は高知生まれ、陸軍士官学校卒の軍人で、日清戦争と日露戦争に従軍しました。

日露戦争では乃木希典率いる第三軍の一員として旅順攻囲戦にも参加しています。

かの激戦地となったロシア軍最大の永久堡塁だった二龍山の山頂に立つ満洲戦績保存会による石碑の碑名を記した人物です(2013年9月20日の日記2013年12月30日の日記)。



この立派な石碑の碑名を任されたぐらいですので、二龍山の攻略で功があったということでしょう。当時の山田の階位は歩兵第19連隊長中佐でした。

第一次世界大戦では日英連合軍の青島要塞攻囲軍歩兵第24旅団を率いて青島攻略で名を揚げたそうです。

建物は戦前の古写真にも写っています。





この建築もまた、築120年を越える歴史がありますが、良好な状態で保存されています。
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