日露戦争の激戦地となった旅順の二龍山の堡塁跡地に行ってみました。
一度ご紹介した東鶏冠山と尾根が繋がっています。

(山頂に建てられた満州戦績保存会による記念石碑です。大正5年10月とあります)
観光用に整備が行き届いた東鶏冠山と違い、二龍山の方はあまり手が入っておらず、生々しい当時の姿をほぼそのまま留めているようでした。
1904年8月から4か月半、両軍が激しい戦闘を繰り広げた場所です。
この要塞は、1904年12月29日、第九師団(金沢)によって陥落に成功します。ロシア軍が降伏する3日前のことです。

(茂みから要塞が顔を出しています)

(堡塁の中に入ってみました)
僕が砲台や堡塁の跡地をゆっくり見て歩いている間、一帯には誰も入ってくる様子がありません。
聞こえてくるのは風が吹き抜ける音と虫の鳴き声だけです。
木陰で10分ほど座り、目を瞑ってみます。
僕には霊感のようなものはありませんので、何も胸に語りかけてくるものはないのですが、それでも約110年前に散った多くの両軍の英霊たちと向き合っているような気分になります。
「戦った日露両軍の兵士、そして戦地となった中国・・・。やっぱり今の繁栄は、多くの犠牲の上に成り立っているのだ。ここで散っていった英霊たちの分まで、自分はしっかりやらなければならないんだよな・・・。自分がやるべきことは・・・。うーん・・・」
などと、まるで中学生が授業で討論しそうなテーマですが、こういう場所に来ると、こんな年になってもなお、平和というものを原点から考えさせられます。
一度ご紹介した東鶏冠山と尾根が繋がっています。

(山頂に建てられた満州戦績保存会による記念石碑です。大正5年10月とあります)
観光用に整備が行き届いた東鶏冠山と違い、二龍山の方はあまり手が入っておらず、生々しい当時の姿をほぼそのまま留めているようでした。
1904年8月から4か月半、両軍が激しい戦闘を繰り広げた場所です。
この要塞は、1904年12月29日、第九師団(金沢)によって陥落に成功します。ロシア軍が降伏する3日前のことです。

(茂みから要塞が顔を出しています)

(堡塁の中に入ってみました)
僕が砲台や堡塁の跡地をゆっくり見て歩いている間、一帯には誰も入ってくる様子がありません。
聞こえてくるのは風が吹き抜ける音と虫の鳴き声だけです。
木陰で10分ほど座り、目を瞑ってみます。
僕には霊感のようなものはありませんので、何も胸に語りかけてくるものはないのですが、それでも約110年前に散った多くの両軍の英霊たちと向き合っているような気分になります。
「戦った日露両軍の兵士、そして戦地となった中国・・・。やっぱり今の繁栄は、多くの犠牲の上に成り立っているのだ。ここで散っていった英霊たちの分まで、自分はしっかりやらなければならないんだよな・・・。自分がやるべきことは・・・。うーん・・・」
などと、まるで中学生が授業で討論しそうなテーマですが、こういう場所に来ると、こんな年になってもなお、平和というものを原点から考えさせられます。









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