青島の湖南路と江蘇路の交差点に建つこの気品のある近代建築は、カトリック教会宿舎の跡地というプレートが掲げられていました。


だいぶ古そうです。
調べてみると、竣工はドイツが青島の統治を始めて間もない1899年です。この一帯の古い洋館はだいたいこの時期のものが多いように思います。

アンゼル(Johann Baptist Anzer、1851-1903)というドイツ人のカトリック宣教師の住居として使われたようです。
中国語の文献によると、アンゼルは1879年にドイツから中国に派遣された宣教師団のひとりで、香港で中国語を学んだ後、1880年に山東に到着したとあります。
1897年に発生した曹州教案を受けて、ドイツ政府に膠州湾の占領を進言した人物でもあったそうです。つまり、ドイツによる青島租借のきっかけをつくった一人でもあるということです。政治力を持った聖職者だったのでしょうか。
その後、1903年までドイツ政府の支援を受けて山東でカトリックの布教に務めた人物だと伝えられています。


青島市政府が掲げたプレートにはアンゼルが暮らした家だと書かずに「カトリック教会宿舎」とぼやかしているのは、アンゼルが中国にとって望ましくない人物だったからでしょうか。


だいぶ古そうです。
調べてみると、竣工はドイツが青島の統治を始めて間もない1899年です。この一帯の古い洋館はだいたいこの時期のものが多いように思います。

アンゼル(Johann Baptist Anzer、1851-1903)というドイツ人のカトリック宣教師の住居として使われたようです。
中国語の文献によると、アンゼルは1879年にドイツから中国に派遣された宣教師団のひとりで、香港で中国語を学んだ後、1880年に山東に到着したとあります。
1897年に発生した曹州教案を受けて、ドイツ政府に膠州湾の占領を進言した人物でもあったそうです。つまり、ドイツによる青島租借のきっかけをつくった一人でもあるということです。政治力を持った聖職者だったのでしょうか。
その後、1903年までドイツ政府の支援を受けて山東でカトリックの布教に務めた人物だと伝えられています。


青島市政府が掲げたプレートにはアンゼルが暮らした家だと書かずに「カトリック教会宿舎」とぼやかしているのは、アンゼルが中国にとって望ましくない人物だったからでしょうか。
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