青島の聖ミカエル大聖堂前の広場沿いに建つこのルネサンス様式の建築物は、カトリック聖言会礼拝堂とよばれるチャペルでした。

曲阜路と浙江路の交差点で、高台になっている場所です。
交差点に向かって建つ六角形の壮麗で精巧なデザインの尖塔が目を引きます。
ドイツ人建築家による設計で、ドイツ占領下の1899年から1902年にかけての間の建築とされています。ドイツが膠州湾の租借権を得た翌年のことです。
聖ミカエル大聖堂の30年以上前ということになります。

文献によると300から400人を収容することができたそうです。
当時、ドイツから見知らぬ地だった青島に移り住んだ在留ドイツ人にとってこの礼拝堂は心の拠所だったのではないでしょうか。
外から見たところ、今は使われている様子がありませんでした。願わくば一度中に入ってみたいものです。

この礼拝堂の半径100メートルほどの一帯にはドイツ租借初期に建てられた教会関連の建築物がぎゅっと密集しています。
当時の中国人にとっては突然見慣れない宗教施設が短い時間のうちに次々に建ったので、自分の街が外国に占領されてしまったことを思い知らされたのではないでしょうか。

曲阜路と浙江路の交差点で、高台になっている場所です。
交差点に向かって建つ六角形の壮麗で精巧なデザインの尖塔が目を引きます。
ドイツ人建築家による設計で、ドイツ占領下の1899年から1902年にかけての間の建築とされています。ドイツが膠州湾の租借権を得た翌年のことです。
聖ミカエル大聖堂の30年以上前ということになります。

文献によると300から400人を収容することができたそうです。
当時、ドイツから見知らぬ地だった青島に移り住んだ在留ドイツ人にとってこの礼拝堂は心の拠所だったのではないでしょうか。
外から見たところ、今は使われている様子がありませんでした。願わくば一度中に入ってみたいものです。

この礼拝堂の半径100メートルほどの一帯にはドイツ租借初期に建てられた教会関連の建築物がぎゅっと密集しています。
当時の中国人にとっては突然見慣れない宗教施設が短い時間のうちに次々に建ったので、自分の街が外国に占領されてしまったことを思い知らされたのではないでしょうか。
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