シルバーのマンション暮らし

傘寿も過ぎました

8月31日

2007-08-31 | 日々の出来事
暑かった 8月も終わり、今日は母の23回忌久しぶりに妹弟4人それぞれの連れ合いと集まりひと時を過ごした。以前は同じ町に住んでいましたが、何事か無ければ4人が一緒に会うということはめったにありませんでした。

母の思いで子供の頃の話など、あらぁそんな事があったのなどと話は尽きない。
あの夏も今年と同じで暑かった、亡くなった翌9月1日は210日で、大荒れバケツをひっくり返したような大雨でしたが、お通夜が終わり外へ出ると、きれいな月夜でした。
早いものですね間もなく私も母の亡くなった年に追いつきます。


いらっしゃいませ!!

2007-08-30 | Weblog






どちらからお出でになりましたの?こんな高い所へ、この辺でお姿は勿論
鳴き声もお聞きした事もありませんのに、風に乗っていらして下さったのですか

大分弱っていらしたようですが、その後どうなさったのかと案じています

みて!!見て!!

2007-08-27 | 日記










もう少しで2歳になる姪の子チ~ちゃん 今年2度目のお里帰り、今度は50日も
滞在、会うたび大きく智恵も付いて回らないお口での、お喋りやお歌がなんとも言えず可愛い、デングリガエリもジャンプも出きる様になり、何をしても可愛い
チ~ちゃんの行く所笑いが絶えない。何時までもこのまま大きくならないで、なんて思うのは大おばの我がままですよね 

青空

2007-08-26 | Weblog
今日も暑かったですね。

暑い中近くのホテルでマンション親睦会の、夏祭りがあり参加しました
食べ飲み放題ですが、生ビ~ル1杯でグロッキ~情けな~い。

最近はバイキングで元を取るのが難しい・ヤッパリ年のせいでしょうか。

昨朝青空が綺麗でしたので、カメラを持ち出かけてみました、ヒマワリが青空に
向かい伸び上がって元気に咲いていました。






       桔梗

2007-08-24 | Weblog


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桔梗
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暑いあついと引き篭もっているうちに秋ですね桔梗が咲いていました。

まだまだ予想では気温は30度と暑い日が続きそうですが季節を知り

咲く桔梗に・どうして秋が解るのと聞いてみたい。


お迎え??

2007-08-22 | 日記
8月22日  予想最高気温33℃

今日も暑くなりそう、昨日は  なのに30℃

むしむしと暑く不快で何をする気も起きなかった。
さすが北海道夜は涼しくなったが、それでも寝苦しい。
何もしないのに疲れが溜まっている様でボーっとしています。

朝方久しぶりに母方の祖父に会いました、相変わらず働き者で高い
二階の屋根の雪下ろしをしている、母が大きな声で危ないから降りなさいと
怒鳴っている、あーぁ危ないとハラハラしながら屋根を見上げていた私

どういう訳か疲れたときに肉親の夢を良く見る、父だったり母であったり
晩年の祖父の夢は本当に久しぶりで、一緒にに暮らした日々を懐かしく
思い出しました、夢に出て気をつけなさい体調が良くないよと注意して
くれているのか、それともお迎えに来ているのかとついつい考えてしまう。

早朝さんぽ

2007-08-20 | Weblog


日中の暑さでお買い物も控えていたため、運動不足気味久しぶりにカメラを
持ち早朝散歩に出かけました。日中のあの暑さは何処からと思われる涼しさです。

もう秋なのですね、コスモスがあちこちで咲き乱れています。


          あの日  (S 20年8月15日)

2007-08-15 | 日記
 もうあの日から 62年もの年月が過ぎたのですね、あの日も今日と同じように
暑いカンカン照りの日でした。お盆と言うことで、母に着物を着せてもらい
はしゃいでいたおかっぱ頭そんな私は国民学校6年生でした。

当時は何処の家庭にもラジオなど無い頃で、重大な放送があると言われ近所の人も何人か集まり、放送が流れる時間には皆でラジオの前に座り頭を下げ玉音放送を聞きした。が・雑音と難しい言葉は誰も理解でき無かったようで、同居していた祖父が、もっと頑張って戦えと言ったのだろうと言う。そうだそうだと皆納得した様子でした、が・夕方役場の職員が戦争は負けた。と連絡に来ました、小国民の私にはとても納得できませんでした、絶対負けることは無いと,まさかの時には神風が吹くと教えられていました。しかし現実は敗戦でした。原爆の落とされたことも知らされず。勝つまではと我慢・我慢の毎日、畑や水田の草取り芋ほりと小学生も援農に駆り出され、竹やりや、なぎなたの訓練・食料も着る物、履物も配給、今思うと悪夢のような日々でした、あの大戦で310万もの方が亡くなられた、再びあのような思いを孫にはさせたくない。憲法9条など難しい事は解りませんが、
無念の内に亡くなった戦没者の方の死を無駄にしない、再び戦争など起こらない事を心から願います。

父は昭和18年4月応召され、北千島の占守島に居ると言われていました
昭和24年秋シベリアに抑留されていた父が、栄養失調では有りましたが,
6年6ヶ月ぶりに帰ってきました,余りにも辛い日々だったのでしょう、シベリアの話は余りしませんでした。

美術館見学

2007-08-12 | Weblog










暑いあつい 1日でした気温34,9度、酷暑、猛暑,とに角戸外へ出ると
クラクラめまいを覚える。選りによってこの夏1番の暑い日に
高齢者学習の美術館見学、普段芸術等と、程遠い日を送り
絵画など理解できないが、緑に埋もれる美術館へ出向く。

理解出来ないながらも、北海道四季折々の自然の美しさや自然の厳しさ

特に岩橋英遠の 道産子追憶の巻 は、雪解け
花が咲き木の芽が芽吹く春、緑の中で働く農夫、やがて秋・無数のトンボが
群れ飛び秋が深まる、稲のハサ掛け・そして冬雪が降り積もり
ストーブを囲む家族。馬橇、屯田兵の訓練を眺める少年
まん丸な冬の月、私の祖父母たちもこうして暮らしたであろう、
遠い日が思われる。60,7×2908,8の 絵巻大作 感銘を受けました。