シルバーのマンション暮らし

傘寿も過ぎました

          あの日  (S 20年8月15日)

2007-08-15 | 日記
 もうあの日から 62年もの年月が過ぎたのですね、あの日も今日と同じように
暑いカンカン照りの日でした。お盆と言うことで、母に着物を着せてもらい
はしゃいでいたおかっぱ頭そんな私は国民学校6年生でした。

当時は何処の家庭にもラジオなど無い頃で、重大な放送があると言われ近所の人も何人か集まり、放送が流れる時間には皆でラジオの前に座り頭を下げ玉音放送を聞きした。が・雑音と難しい言葉は誰も理解でき無かったようで、同居していた祖父が、もっと頑張って戦えと言ったのだろうと言う。そうだそうだと皆納得した様子でした、が・夕方役場の職員が戦争は負けた。と連絡に来ました、小国民の私にはとても納得できませんでした、絶対負けることは無いと,まさかの時には神風が吹くと教えられていました。しかし現実は敗戦でした。原爆の落とされたことも知らされず。勝つまではと我慢・我慢の毎日、畑や水田の草取り芋ほりと小学生も援農に駆り出され、竹やりや、なぎなたの訓練・食料も着る物、履物も配給、今思うと悪夢のような日々でした、あの大戦で310万もの方が亡くなられた、再びあのような思いを孫にはさせたくない。憲法9条など難しい事は解りませんが、
無念の内に亡くなった戦没者の方の死を無駄にしない、再び戦争など起こらない事を心から願います。

父は昭和18年4月応召され、北千島の占守島に居ると言われていました
昭和24年秋シベリアに抑留されていた父が、栄養失調では有りましたが,
6年6ヶ月ぶりに帰ってきました,余りにも辛い日々だったのでしょう、シベリアの話は余りしませんでした。