KISSYのひとりごと

日々感じたこと、ドライブ日記やDVDのレビューなど…徒然なるままに綴っています。

NHKスペシャル「黒い雨~活かされなかった被爆調査」

2012-08-08 00:23:47 | 教養・ドキュメンタリー

 広島と長崎で被爆直後に降った「黒い雨」。これまで「黒い雨」がどの地域にどれだけ降ったのか、どれだけの放射線被害があったのかは明らかにされてきませんでした。番組は昨年12月に放射線影響研究所(放影研=国所管の機関)が公表した1万2000人を超える「雨にあった」という証言データをもとに、これまで考えられていた範囲を超えて「黒い雨」の被害があったことと同時に日米両政府の対応をを告発します。

 公開されたデータは、広島と長崎のどこで「黒い雨」にあったのかを示す分布図です。このデータは戦後、被爆の影響を調べる大規模な調査によって集められたといいます。どうして、このデータが活かされなかったのか・・・番組は問いかけます。

 このデータが世に出るきっかけになったのは長崎市内の医師が発見したひとつの報告書でした。広島と長崎で被曝者の調査をしてきた米国の研究機関ABCC(原爆障害調査委員会)の内部向けの報告書です。そこには広島と長崎で「黒い雨」を浴びた人に被曝特有の症状が表れていたことが記されていました。

 医師は、ABCCの調査を引き継いだ放影研にデータの開示を求めますが「個人情報だから」と断られたとのこと。医師の働きかけによって放影研は分布図だけを公開。放影研はこれまで公開しなかったのは「データの重要度が低いからだ」としています。

 その根拠は、爆心地を中心として同心円状に発がんなどのリスクが軽減されるという誤った見方でした。爆心地から2km以内の初期放射線量が100mSvだったことから、それより外側には影響がみられない、「無視してよい程度の放射線量」だというのが放影研の見方だったのです。公開された分布図では、半径2kmの外側にも「黒い雨」を浴びた人がいたことが分かっています。ABCCの調査で「黒い雨」を浴びたとされている人でさえ、「黒い雨」の影響ではないとされてきたことも明らかになりました。

 ABCCはなぜ、被曝の影響があると知りながらそのままにしてきたのか・・・。当時、米国の原子力委員会(現エネルギー省)は、核兵器の開発と同時に核の平和利用を同時にすすめていたといいます。1953年には国連総会でアイゼンハワー大統領が核の平和利用を表明、その一方で核実験を繰り返していました。米国内では被曝の不安が高まり、ABCCは被曝の安全基準をつくることになります。当時のことを知る研究者は言います。「被ばく者のデータは絶対的な被ばくの安全基準を作るものだと最初から決まっていました。残留放射線について詳しく調査するなんてなんの役にも立ちません」。「黒い雨」など残留放射線を調べるつもりは最初からなかったということです。

 さらに原子力委員会は、調査をする研究者に対して「広島、長崎の被害について誤解を招く恐れのある根拠の希薄な報告を押さえ込まなければならない」と圧力をかけます。押さえ込もうとした「根拠の希薄な報告」とは、まさに残留放射線の人体に与える影響の報告でした。事実、原子力委員会は、ABCCが報告した「残留放射線が人体に与える影響は、実際の調査よりも深刻だったのではないか」という調査結果を政治的思惑から黙殺することになります。

 原子力委員会の元研究者は言います。「放射線被害について人々が主張すればするほど それを根拠に原子力について反対する人が増えてきます。少なくとも混乱は生じ 核はこれまで言われてきた以上に危険だという考えが広がります。原子力はアメリカにとって重要であり、原子力開発にとって妨げとなるものは何であれ問題だったのです」

 人命よりも核開発が重要視された米国、そしてその米国に追随する日本政府によって、原爆被害の実相が歪められてきました。日本政府は原爆症の認定制度をはじめますが、認定の対象となるのは初期放射線量が100mSvを超える爆心地から2km以内で被曝した人に限られます。「黒い雨」など残留放射線で被曝した人はほとんど対象とされてきませんでした。

 番組の最後に、被爆地・広島の研究者たちのとりくみが紹介されています。被曝者ががんで死亡するリスクの研究です。初期放射線の量は距離とともに少なくなるので、死亡のリスクは爆心地から同心円状に減っていくはずです(これは放影研の誤った見方でもあります)。ところが調査結果は、爆心地から北西方向へはリスクが下がらず、いいびつな形になりました。初期放射線だけでは説明ができないリスクだといいます。これこそ「黒い雨」の影響ではないかというのです。

 このことは、すでに数年前から推測されていたことでした。番組では紹介されませんでしたが、1945年12月には広島管区気象台が「降雨エリアは爆心地から北西方向に延びる長さ29キロ、幅15キロの卵形の範囲。うち長さ19キロ、幅11キロの卵形の範囲で1時間以上の激しい雨が降った」という報告をしています。今回、明らかになったデータは、そのことを裏付けるものとなったといえると思います。

 しかし放影研は、「黒い雨」が降ったとしても、被曝線量が具体的にどれだけだったのかという資料が必要がなければ議論できないという姿勢を変えていません。この番組が放送された8月6日、野田首相は広島「市などが求めていた援護対象区域拡大について『科学的合理的根拠がなければ難しい』と述べ、拡大は困難との見解を表明した。厚生労働省の検討会は今年7月に『新たな降雨地域の認定は困難』との報告をまとめており、小宮山洋子厚労相も同日、これに沿った考えを示した」(「毎日」jp)といいます。

 いま、日本では広島・長崎とともに福島の放射線被害が深刻な問題となっています。さらに原発の再稼動による不安も高まっています。こういうときだからこそ、正確な情報を国民に開示することと、どんな小さな可能性でも政府の責任で調査し補償することが求められると思います。

 最後に、2年前の「中国新聞」が「黒い雨」について連載を組んでいますので、ご紹介します。

   「黒い雨」解明に挑む 最新調査研究 成果と課題 2010/7/5

   被爆65年「黒い雨」に迫る<1> 線引き 2010/7/5

   被爆65年「黒い雨」に迫る<2> 一人の挑戦 2010/7/6

   被爆65年「黒い雨」に迫る<3> 新たな証拠 2010/7/7

   被爆65年「黒い雨」に迫る<4> 科学と行政 2010/7/8

   被爆65年「黒い雨」に迫る<5> 住民再び 2010/7/8

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