昨日に続きNHK「プロジェクトX~挑戦者たち~」のレビューです。
今日紹介するのは2001年5月8日放送の「日本初のマイカー てんとう虫 町を行く~家族たちの自動車革命~」です。日本国民にとって手の届かない存在だったクルマを、「庶民の足」にするために奮闘した技術者の物語です。
クルマは今日ではもっとも身近な移動手段のひとつですが、戦後の日本では庶民にとっては高嶺の花。当時、米国メーカーの高価なクルマが市場を席巻していたようです。その価格は「一戸建ての家より高かった」といいます。戦後初の国産自動車「クラウン」(トヨタ自動車)でも、サラリーマンの年収の5倍だったというから、いかに「高嶺の花」だったのかがわかります。
そんなクルマを庶民の手に届く存在にした技術者たちを描いたのがこの番組です。「小型で軽く、しかも4人乗り」の大衆車をつくる」・・・当時としては不可能ともいえる高いハードルでした。立ち上がったプロジェクト・チームが目標としたのは
・「価格はクラウンの3分の1」
・「悪路を時速60kmで走る」
・「どんな坂道でも登れる」
・・・の3点だったといいます。
この課題をクリアしてしまった技術者の執念には頭が下がるのですが、番組を見る限り「安全」という概念がどこにも見られなかったのが残念です。番組では、設計の段階から、「軽量化」についてはさまざまな試行錯誤が行なわれたことは紹介しれますが、乗員の安全性については、「厚さ0.6mmの鋼板の強度をいかに強くするか」というエピソードだけ。1980年代まで「安全」を度外視していた米自動車産業界は別にして、ヨーロッパでは当時でも安全性を高めるための研究と同時に実用も進んでいました。スバル360にそれらの知識がどのように体現されたのか、もしくはそれらは無視したのかが描かれていなかったのが残念でした。
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