KISSYのひとりごと

日々感じたこと、ドライブ日記やDVDのレビューなど…徒然なるままに綴っています。

おひさま 《第7週~教室の太陽》

2011-05-30 20:44:14 | NHK連続テレビ小説「おひさま」

 2週間遅れのレビューです。NHKの朝ドラ「おひさま」第7週。松本女子師範を卒業した陽子は、自分が通っていた安曇野の学校に赴任します。

 時は昭和16年4月。尋常小学校が国民学校へ変わり、学校も「お国のために役立つ」小国民を育成する場に・・・教育のあり方自体が戦争一色になった時代です。陽子の赴任初日の職員室のやりとりに、それが現れています。

 陽子は「私の仕事は生徒たちに生きる喜びや学ぶ喜び、そして笑顔を与えてやることだと思ってまいりました」と挨拶。

 かえってきた反応は「それは危険思想ではないかね。生きる喜びはいらないでしょう」「我々の仕事はこれ(と、将棋の「歩」を差し出す)をつくることだいね。笑顔はいらんでしょう」・・・。

 これが当時の日本全国では当たり前の光景だったのかもしれません。しかし「おひさま」の舞台、長野県では他の地域に比べ大きな意味を持っています。

 1933年(昭和8年)2月4日、陽子が教壇に立つ8年前・・・。長野県下で大量の検挙事件が起こります。検挙者のなかに小学校教員が多数含まれていたことから「教員赤化事件」とも呼ばれています(総検挙者数600人余、うち教員138人)。【→参照

 この事件は、特高警察による共産党や共産主義者の大量弾圧事件の一つですが、検挙者のなかには共産主義とは関係のない教員たちも含まれていました。三浦綾子の小説「銃口」は、主人公が北海道綴り方教室の研究会―もちろん共産主義とは関係ない―に関わったことから検挙され、激しい拷問の末、教職を追われるだけでなく戦地へ送られるという物語ですが、同様のことが長野県で大規模に行われたのです。この事件を契機に、教育文化運動への全面的な弾圧がはじまります(夏子先生が出かけていった教育文化史の研修会なんかも弾圧の口実にされたんじゃないかな??)

 この事件の「汚名」を返上するかのように、長野県では徹底的に「お国のため」の教育が推進されますす。全国でも群を抜いて満蒙開拓義勇軍に参加したとう歴史もそのあらわれでしょう。

 さて物語では現代の陽子に「私ってダメな先生よね。国のために死ぬ教育をしていたんですから」と語らせます。時代は変わり戦争という社会的背景はなくなりましたが、現在の教育の在り方にも一石を投じる台詞ではないでしょうか。

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