サバイバー日記

炎症性乳がんと告知されて6年間。多発転移しつつ、生きたサバイバーな日々の記録と家族の日記です。

ハチクロ

2008年02月29日 | 日々是好日
 今日の私…。
平熱の36、8℃。
痛みは、デュロテップパッチで抑えられている。
このまま、明日の採血の結果が良ければ退院しても良いと言う。
今日は、大人しくして免疫アップに勤めよう!

さて、二日前に、アメリカでバリバリに自動車を
デザインしているRちゃんから
「ハチミツとクローバーに今はまっているんだー。」
とメールをもらった。

なんだ、なんだ~と、すぐにパパに言って大人買いした私。
私たち美大を過ごしたものにとっては
懐かしい青春を思い起こしてくれるらしいのだ。
それを見ないわけにはいかないぞ!

私たちのハチクロとは…。

私は、十数年前、美大にめでたく一発合格。
そもそも下宿などせず、車で通うはずだった。
が、毎日の課題、部活のコンパをすり抜けるほど、
私は真面目ではなかった。
折角買ってくれた新車のコロナを自宅に置いて、
親を説得し、半年おくれで初めて下宿生活に入ったのだった。

そもそも、私が入った下宿は、
家主が急な転勤だったため、まるきり新築。
その上、共同だがピカピカのお風呂、庭付き
台所、洗濯機、トイレだったが、やたらと快適。
一階の玄関脇の応接間の6畳1間で一万五千円の
フローリングの鍵付き部屋が私の住処となった。

口うるさくない管理人さんが下宿の奥の方で暮らしているので、
緩い下宿に住んでいる生徒たちには、
男子禁制で管理人さんが一緒に住んでいるだけで
「鉄壁の要塞、山〇家」と恐れられていた。

しかも、20数年前は携帯なんてないから、
共同のピンク電話は管理人さんの取次があり、
賄いもしてもらっていた生徒もいたので、
超過保護な下宿だった。(私は自炊だけど)

また、下宿人は、みんな大学一年生であり、
一見、良家の子女風(笑)。
当時ビジュアルデザイン(現.視覚デザイン)専攻で
私にこのハチクロを勧めてくれた兵庫県出身のRちゃん、
温熱の機械を送ってくれた静岡出身のH(R)ちゃん、
富山出身のH美ちゃんの三人。
それと、美大のお隣の医療短大の能登出身の看護科のMさんと
日本画専攻の私の5人だった。

でも、この家主の間違いは、女といえども
美大に通っている学生に新築の部屋を貸したと言う事、
それがどうゆう事なのかがわかってなかった事から始まる。

美大の課題は、昼夜問わず、締め切りがある。
正解に言えば、それまでに仕上げて合格をもらえば良いのに、
みんな遊びに夢中で提出期限ギリギリになると、
当然徹夜覚悟の不夜城と化するのだ。

一年生の頃は、みんなレタリングや色彩の授業に泣いていた。
住み込みの管理人さんは、若い女の子が、
なかなか家に帰らない理由もわからず(門限9時)、
なぜ夜でも、こうもバタバタとうるさいのか?
イライラした毎日をすごしていたに違いない。

私だけ一階の玄関脇の応接間だったので、
私の部屋の窓は、いつしか夜の出入り口の専門になっていた。
みんなこっそりと…出て行って、
私が寝ていても構わずコンコンと窓を叩いて出入り…。
そういう心労がたたってのだろう、
二年目には管理人さんが体調不良でいなくなり、
(ごめん、管理人のおじさん、おばさ~ん。よくして頂いたのに…。)

それからは、自分達だけで共同部分は、管理させられた。
トイレ、お風呂、台所などの掃除を割り振り、
お風呂の利用代金は一回に付き100円程度だったと思う。
それでもずいぶん良心的な下宿だった。

でも、ある日、それ…が出た!
ハチクロでいう、「ホームスティ」。
管理したはずその日のゴミ担当がちゃんと捨てないからだ。
ギャーギャーと、上へ下への大騒ぎ。
女の子5人、誰もご〇と闘ったことはないのだ。
闘うすべを知らない私たちはどうしたか…。

はい…。
正解は、「台所洗剤をかけまくった。」です。


その凄まじさは、尋常ではないくらい。
そして、ヌルヌルになったご〇はピクピクと死にたえてました。
しかも、廊下も壁も洗剤だらけ…。
ふと、我に帰った私たち。
転々と残る洗剤の飛び散りを見て、絶句。
これじゃ~折角の新築の利休壁が台無し…。
それから、みんな、私じゃないよね顔で
無言でかたずけましたとさっ。

それから、この下宿に県外赴任先から
大家さんが帰ってくるから、
すぐに出て行ってくれと言われたのは間もなくの事。
それは、管理人がそれを見た後であろうと思われた。
急な事だったのだけど、こればかりは、
理由は深追いせず、みんな黙って、
新しい下宿を探したのでありました。

しかし、Rちゃん、どこがハチクロとシンクロするのかな?
やはり、このご〇のくだりか…。
それか、犀川の河川敷の宴会?
複雑味のご飯だろうか…。

(後半に続く…)

ぬくぬく

2008年02月28日 | 炎症性乳がん
 昨日辺りから自分でも、
お腹に力が入るようになってきた。
自宅に外出してきたお陰か…。
その時、自宅に届いていた「温熱療法の機械」の
使い方DVDや本を見てから使ってみた。

じんわり、ぬくぬくする。
体の芯から暖まる気がする。
送ってくれたのは、東京にいるR(H)ちゃん。
昨年秋に彼女の自宅で一度体験済みだったので、
躊躇なく使えた。
ほんとに、ありがとうRちゃん。

ベッドの上では、この温熱の機械の他にも、
ドクターメドマーの機械でも血行不良にならないように
努めてる。

加湿器、パソコン、携帯&充電器、
iPod&マルチメディアスピーカーなど
電化製品に囲まれ快適な空間を
作っている。

今日は、熱もないので、
この調子なら土曜日の朝には
退院出来そうだ。

今日もこの機械でぬくぬくになろ~っと!

元気の源

2008年02月27日 | 炎症性乳がん
 今日の私。
今日は、昨日の外出のせい(夕方から外出)で、
疲れているのか?
眠い。
ただ、ひたすらに…。

朝、ドクターが回診来た時も爆睡中…。
なんともだらしない事だが、
朝食を食べてからずっと寝ていた。

「よく眠る事が出来るっていうのは、
精神が安定している良い傾向です。」

ははは…。と軽く笑う。
そして、昨日の外出のほんとのわけを言いそびれた。(^_^;)

表むきには、確定申告の書類を集めるためと書いた。
でも、本当は、
ユーミン苗場のネットパーティーの最終日
だったからだ。
しかし、日頃の行いが良いのか、私の選んだBコースは
メンバー紹介の時に音声の一部不具合で、
金曜日~日曜日にも再度配信されるようになった。



昨日はアンコールまでは見れたがそれ以降は時間切れ。
日曜日なら、退院してるかもしれないからまた観よう~!
私にすればすごく
ラッキー!なのだった。
そして、娘と久しぶりに一緒にお風呂に入ってから
病院に帰ったので
夜10:30にやっとベッドの上に戻ったのだった。

という事で、今日も眠い私なのかも~(笑)。
それでも、今の私にとっては元気の源なんだ!\(^_^)/

春を告げる

2008年02月26日 | 日々是好日
今日の私…。

眠い。
ひたすら眠い。

昨日の午後からの熱は、
朝になると平熱に。ウェノグロブリンを一昨日からしてるので、
なんとか白血球はあがってきた。
でも、ヘモグロビンは普通の数値の半分…。(*´Д`)=з
どおりで、フラフラなはずだ。

午後から高校の同級生4人がお見舞いに来てくれた。
前回の入院の時に会う約束をしてたけど突然、
会えなくなったので、久しぶりだ。

彼女たちは高校の頃からの友人。
私の最初の手術の時に保育園のママ友達が
私との共通の友人に声をかけて、
千羽鶴を折ってくれた縁がきっかけで、
また頻繁に会うようになった。

今回の入院は、個室なので、
入院中は家族との会話が唯一の会話になっている。

久しぶりの彼女たちとのおしゃべりは楽しい。
彼女たちは、春を告げるお花を運んできた。
ラナンキュラス、松虫草、スイトピーが可愛い。

みんな、ありがとう。
遠いとこまで…。
今から彼女たちはランチだそうだ。
次回は、私も絶対参加するぞ~!!
o(^▽^)o

宝物

2008年02月25日 | 炎症性乳がん
 昨日のアレルギーは、血小板輸血を止めたら、
すぐに治まった。
高熱もそれにともなって夜中まであったが、
朝には平熱にもどってきた。
良かった…。

昨日から、重湯と、味噌汁の汁だけの食事が出た。

昨日は、午後から美大の後輩のIちゃんが春を届けに来てくれた。
アレンジメントの中にある
ミモザの黄色いボンボンが気弱になった私を勇気づけてくれる。




朝方、アメリカに住んでいるRちゃんからもメールが入っていた。
Rちゃんは今、みつばちとクローバーにはまってるそうだ。

美大の四年間は、私にとってかけがえのないものだった。
みんなお金は、な~にもなかったけど、
勇気と自由と未来は、ずっと続くものだと思い込んでいた。

私の今の様はなんだ!
頑張らなきゃと奮い立った。

そして、CM撮影の仕事中のM君からも応援メッセージが…。
温熱療法の機械をすぐに送ってくれるHちゃん。
みんな、私の大学からの長年の大切な友達…。

そして、こんな状況で、メールが入ってくる。
ママ友達、高校の同級生たち、ボランティアの仲間たち…。
今回の入院でも、娘の習い事の送迎や
娘が家でいるので、ひとりで寂しくないように遊びに誘ってくれる。
そして、そして、このブログを見てくださる皆さん…、私の家族たち。
私にとってのかけがえのない宝物。
みんな、ありがとう!ほんとにありがとう!

最近、金沢のドクターは、
ホスピスも考えてはどうかと言っている。

私は最期は家族で過ごしたいと思っていた。
しかし、訪問看護をしてくれる事業所は限られる。

だけど、家族に迷惑はあまりかけたくはない。
そう思うのは、贅沢な事なんだろうか…。




勾玉

2008年02月24日 | 炎症性乳がん
昨日から、またまた入院しています。
先ほど、血小板輸血したら、
酷い痒みのアレルギー反応が出て、熱も38、2℃。
どうなっちゃったんだろう。
私の体…。┐(´ー`)┌
約、一週間の入院のつもりです。
皆さんにはご迷惑をおかけします。

連絡は、携帯までお願いします。
コメント返しや、ご訪問も遅れますが
よろしくお願いします。

今は、もうひと頑張り!してみます。
抗ガン剤は止めたけど、
白血球を少しでも上げたい!
そして、娘の誕生日と
私の出産祝いをしたい!と思います。

皆さん、それまでちょっとお待ちを…。
写真は、娘が昨日1日かけて削って作ってくれた勾玉。
お守りにして持ってるね!
有難う〇〇。

遠くにゆく影

2008年02月23日 | アートワーク
   

   「遠くにゆく影」2000年 日春展 奨励賞


 私には 2002年まで師匠がいた。
しかし、私が乳ガンになった頃までである。
私が夏に乳ガンになって苦しかった頃、先生もアトリエから降りる自宅の階段
から踏み外されて首の骨を折るという大けがを負っていた。
2002年の夏は、師匠、弟子ともに入院していたのだ。

また、この絵は父が胃ガンで入院していた時、
父が亡くなる数日前までに奨励賞を頂いたものだ。
父は、新聞に載った私の顔写真を見て、ほんとに嬉しそうにしていた。
そんな粋な事をしてくれる師匠だった。
だから、私にとっては父との思い出もあるが、
師匠との思い出もとても深い絵なのだ。


その師匠というのは、京都の天満宮近くに住まわれていた山本朋克先生の事。
春になれば、天満宮の桜が舞い散る中、日春展のお礼に行ったり、
秋は仕事の合間に新幹線を乗り継いで京都に降り、絵を観て頂く。
車で高速をぶっとばして、先生に絵を観てもらった事もあったけ。
でも、その頃、金沢美大の講師をしていられたので、
ついでに私の自宅まで来てご指導して頂く事も多かった。
忙しい私にFAXで送れるようにFAXをつけたりもしてくれていた。
何より、先生が大好きだったのだ。

なのに、私の手術が終わればとか、日展が終わればとか…。
はたまた、先生の具合が良くなればとか…。
その時々で会うきっかけはあったのだろが、お見舞いに行けなかった。
怪我が怪我だけに人払いをしておられたからだ。


前年の日春展の指導までは元気そうにしておられた。
うちの近くのホテルの和食堂から見える
雪景色をご機嫌なお顔で見られておられた。

 それが、6年前の昨日、ぷっつりと断たれてしまった。
病床に伏せたまま、先生は亡くなられてしまったのだ。
夏に骨折なさってから、不自由な想いをされていたのに、
弟子のろくでなしの私はというと、
抗ガン剤の副作用でヘロヘロでお見舞いにも行けず仕舞いだった。

それから、ちょうど6年。
6年経ちました。先生。

約束は未だ果たせて居ませんが、私、頑張っています。
だから、もう少し、お待ち下さい。
約束が果たせるまで、

もう少し、もう少し…


○山ワクチン

2008年02月22日 | 炎症性乳がん


昨日も金沢の病院へ通院して、
栄養点滴と強ミノを点滴し、
ノイトロジンを注射。
娘もこのところの疲れが出たのか咳込んでいるので
「小児科」を受診。
一緒に「はなまるうどん」を食べて帰ってきた。

私は、モルヒネでフラフラ…。
免疫も白血球が500と低く、眠い。
血小板は輸血のお陰があって、数値は5万以上にあがってきたが、
白血球はノイトロジンを連日注射してもなかなか上がらない。

でも、昨日はお天気が良く、帰り道から卯辰山が綺麗に見えたので
ちょっと気分も晴れた。



夕方、娘と別々の部屋で寝ていると、
パパが東京から帰って来た。
お土産は鮑寿司と鮃寿司。
夕食に美味しく食べました。



昨日は、パパに○本医科大学まで
○山ワクチンを取りに行ってもらったのだ。
○山ワクチンについてはいろいろ見解があろうが、
今の私にはもう使えるものがない。

今日は、福井の診察だったのだが、
このワクチンを自己注射する事になった。
看護師さんに習って、自分でお腹にぷすっと。
まず、自分で打ってみた。

「ひえ~。」となかなか恐ろしげなのだが、
思ったよりも簡単だった。
これからは、自分だけでアンプルから注射器に吸い込み、
ぷすっと打つ。

帰りがけに「今は我慢の時、辛抱しましょう!」
と、Kドクターに言われた。
そうだ、辛抱だ。

ワクチンで、なんとか免疫が上がると良いなぁ~。

血小板輸血

2008年02月19日 | 炎症性乳がん


 ここ一週間、退院してからは、毎日病院に通って、
栄養点滴と強ミノそれとノイトロジンを
してもらっている。

今日も、体がだるかったので、
パパの東京行きのチケットも取ってから
少し遅めに病院に向かった。

案の定、血小板の数値がものすごく悪かった。

「これじゃ~、輸血した方が良いですね。」という事で二日連続で
輸血する事になった。
血小板輸血は、初めて…。
輸血自体も初めてである。

こんな時、輸血して被害に遭われた人の事を想う。
誰だって、輸血で違う病気になるなんて想いもしなかっただろうし、
今、私がこうして、輸血しているものだって、
長い目で見たら、本当の安全はわかりゃ~しない。
(たぶん医療的には、安全だと言うのだろうが…。)

そんなこんなを妄想しながら点滴を受けた。
ふと見ると「放射16Gy」と書いてあった。
放射という事は放射線を照射しているという事か?

血小板輸血を調べてみた。

【組成・性状】

本剤は、血漿に浮遊した血小板で、血液成分採血により白血球
の大部分を除去して採取した製剤である。黄色ないし黄褐色の
液剤であり、脂肪により混濁することがある。本剤には血液成
分採血に由来する血液保存液(ACD-A液)が含まれる。 [採血
国:日本][採血方法:献血]
本剤には、輸血による移植片対宿主病(GVHD:graft versus
host disease) 2, 3)を予防する目的で、15Gy以上50Gy以下の放射
線が照射されている。

 
【効能又は効果】
血小板減少症を伴う疾患に適応する。

やはり、放射線が照射されているらしい。

それにしても、なんだか変な色。
活性化リンパ球の時もこんな色だったような記憶がある。

これで、明日もこの輸血を受けて、ちょっとは元気を出さなくちゃ!

日春展の締め切りはもう後一週間なので、諦めた。
でも、3月の現代美術展には描きたい。

頼んだよ~。私の骨髄君。




ベッド購入

2008年02月19日 | 日々是好日
 
ついに、ベッドを買った。
結婚当時にもベッドを使っていたのだが、
それはパパのお下がりで、今の家に来る時に捨ててしまったので
現在は畳の上にダブルベッドの寝具を引いて使っていた。

でも畳から起き上がる時は、かなりの足腰の負担になる。
それを少しでも解消しようと、このベッドになった。

ベッドは○印良品の配送サービス(梱包材も持って行ってくれる)
と組み立てサービスも使ったので、ネットで観ていたものがそのまま
うちに着いた。

まぁ、取りあえず、和室にセットする。
新しい木の匂いを含んだベッドは芳しい匂いがした。

立ちあがるのも楽になったし、腰にかかる負担も軽減された。
パパ、ありがとう~!!!

それからもうひとつの写真に背後霊のように写ってるのは
「ストレッチポール」なるものだ。
これで、私は毎日ストレッチさせられている。

この使い方はまた次回~~~。


 

退屈に急ぐ

2008年02月17日 | アートワーク


    「退屈に急ぐ」 2000年 日展


昨日、ブログで知り合ったsu♪さんが逝ってしまわれた。

胸水を抜いて、入院中のブログもお楽しみに~!と明るく書かれていたので
いつアップされるのか気になっていた。

そして、今日、妹さんからのアップ…。
suがくれたプレゼント


私と同じように肺、肝臓、骨転移と闘われていた。

でも、こんなに早く逝かれてしまわれるとは思ってもいなかった。

きっと、su♪さんもそうだと思う。
でも、今は安らかにゆっくりお休み下さい。

そして、私が行った時、
今年の春に会おうねと言ってた約束を
果たしましょう!

それまでは、しばしのお別れ…。
そして、この絵を捧げたい。

合掌




調味バトン

2008年02月16日 | 日々是好日
Mocaさんからバトンいただきました。
さぁ、調味料バトンいってみよう~!!!

調味料バトン
【Q1】次のメニューにどんな調味料をかけますか? 薬味は含みません。

●目玉焼き・・・塩・胡椒 or スパイスソース

●納豆・・・だし醤油・からし・かつおぶし

●冷奴・・・だし醤油

●餃子・・・酢醤油・ラー油

カレーライス・・・なにもかけません

ナポリタン・・・なにもかけません

ピザ・・・なにもかけません

●生キャベツ・・・マヨネーズ・酢 or ドレッシング(青しそ)

●トマト・・・なにもかけない or 塩

●サラダ・・・ドレッシング(青しそ)or マヨネーズ

●カキフライ・・・タルタルソース or トンカツソース

●メンチカツ・・・ソース or ケチャップ

●コロッケ・・・なにもかけない or スパイスソース

●天ぷら・・・天つゆ 

●とんかつ・・・トンカツソース・からし

ご飯(おかず無しの時)・・・生卵 or 鱈ふりかけ or シーチキン or ごましお

【Q2】周囲に意外だと驚かれる、好きな組み合わせはありますか?

私個人は、ないです。でも、ご飯にソースをかける父方の祖母、
ご飯に醤油とバターをかける母方の伯母に驚いた思い出があります。


【Q3】それが一般的なのだとは知っているが、苦手な組み合わせはありますか?

ステーキにおろし醤油がやや苦手。普通に塩かニンニク入りのソースで食べたい。


【Q4】バトンをまわしたい5名は誰ですか?

いつもコメントくださりグルメネタの多い
ふうママさん、パールさん、ぽたさん、ぷるぷるさん、りささん、
よろしければどうでしょう?
もう、すでにまわっちゃっているならごめんなさい。
その他、もらってくださる方、どなたでも・・・


Mocaさん、こんな感じで良い?
私、あまり苦手なものもないので、普通の答えでしたかね。

それから、四国では讃岐うどんがよく食べられていると思いますが、
やはり「かけ醤油」だけですか?

石川は麺の文化があまり育たないのか、うどんもそばもイマイチです。
麺好きな私には、四国に行って本場の讃岐うどんを堪能したいです。
その時は、どうぞよろしく~!!


いちなか

2008年02月15日 | ランチの女王


今日は、保育園ママ達とのランチ。
栄養点滴を急いで入れてもらって、
「市中」さんへ急ぐ。

ここのフレンチレストランは近所で奥さんとも顔なじみ。
息子さんがアトピーで大変だったのでマクロビのレストランを開くきっかけになったという。
奥様は輪島出身の方。お父様が作った漆芸のパネルが玄関を飾っている。
また、2階は住居部分なために一階の店舗部分もかなりアットホーム。
うちの家族も大好きなレストランだ。
パパに病院の帰りに送ってもらって、レッツゴー!!

マクロビの優しい食事が出迎えてくれた。

 

パパとはそこで、さようなら~~。
今日は、娘の参観日なので、参観の時間が来るまでゆっくりと話しながら
美味しく食べる事が出来た。
(その頃、パパは自宅でカルビ丼を食べていたらしい。笑)
なんとも悪妻な私…。


 そういえば、昨日のバレンタイン、うちは娘の友チョコを買うくらいで
精一杯…。私のバレンタインデーは、散々だった。

パパに日頃の感謝にケーキでも焼こうと思っていたのに
それも無惨に撃沈…。

 前日の退院で浮き足だった私。
勢い付いてハンドベルに参加したまでは良かったのだが、
それから、夕飯の用意、家事などをしていたら、
夜寝る事が出来ないくらいにまた脇腹が痛み出したのだ。

自分の馬鹿さ加減に呆れつつ、それでも痛みを取るために
オキシコンチン5mgの他に
レスキューの「オキノーム」2.5gを2時間おきに飲む。

結局、朝までそれを繰り返したものだから
寝る時間もままならない。

翌日14日は、パパにまた勤務を休んでもらって病院に行った。
オキシコンチンを2倍量(10mg)に増やしてもらい、
強ミノ入りの栄養点滴を受けた。

起き上がれないし、まともに歩けない私に付き添い
パパはずっと私の看病…。
(まぁ、こんな事がなければ二人きりで一緒にいる事もないのだが)

そうゆうわけで自宅で私が「痛い!」と叫ぶと、
パパは薬を出してくるし、
何か胃に食べ物がないと胃痛が起きるので
「何か飲み物と食べ物…。」と言うと
さっと、牛乳や野菜ジュースと一緒にチョコレートを
持ってくる。

こんな時、やはり理学療法士と結婚して良かったと思う。
起き上がれなければ、すっと抱き上げてくれる。
背中もどこが痛いが的確にマッサージしてくれる。
まさに「いたれりつくせり」だ。

今までは「箸を縦から横にしたこともなかった」パパが
今日はお茶碗を洗っている。
洗濯も干してくれる。
生ゴミも出してくれた。

夫婦生活も長くなるとお互いになくてはならぬ存在になると
いうのだろうが、今の私にはパパなしでは生きてはいかれまい。
「いつも、パパ、ありがとう~。」

この場を借りて、バレンタインに何も出来なかった私の言い訳?!
償い…かな(笑)

ついでに市中さんの帰りはしっかりとパパに迎えに来てもらいました。
参観日はパス…。大事をとりました(笑)
「どっちがやねん!!!」と娘につっこまれそう~~。




退院しました

2008年02月13日 | 炎症性乳がん



詩集、安宅より

「神の話」

行き交う船もなく
静かな一点は
安宅の海にある
鎮守には注連縄が下がり
神の話は
尖鋭になった波の中で復活する
ひたすら神を観る行為は
自己発見の形をしている
冬の風に揺れている枯れたススキは
海の原理を奏で
斜めの構図は海をとらえ
冬麗は一年の吉凶を占っている

 

これは、入院中に出会った詩集だ。
なんだかとても癒されて手にとってしまった。


 さて、昨日、午前中の胃カメラ検査を無事に終えた。
が、胃潰瘍がまだ治ってないのを確認し、ガックリ…

午後、CMFの点滴と栄養点滴、強ミノをして治療終了。

 今日は、取りあえずノイトロジンの注射してから、
パパのお迎えで退院だ。

今日は、爆弾低気圧と言われるくらい雪も風もひどいし、
自宅に帰れば、いきなり寒いだろうし、
食事は作らなきゃいけない。


けど、家事を私に変わってせっせとしてくれた娘が、
「ママの作ったものが食べたい!」と言うので、
ご褒美代わりに茶碗蒸しとサーモンのマリネを作ろう!

 いつか観た映画の中で、瀕死の母が作ったチャーハンを
「母ちゃんの作った最後のご飯だから食べよう。」と
亡くなった母の傍らで家族で食べるシーンがあった。

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私はいつも思う。
私が家族のために作る最後の料理は何になるんだろう?

誰でも作れるものじゃイヤだな。
せめて、「卵かけご飯」でない事を願おうっと(笑)

取りあえず、今日、無事、退院しました。
皆さん、ご心配をおかけしました。

そして、ありがとうございます

さぁ、ハンドベル、ハンドベル!!!


「かさだか」な人

2008年02月12日 | 方言
「かさだか」…大げさに言う(人)。
他人から見たら、そんなに大きくない(痛み、山など)のに、
声高く、威張って言う人によく使われる石川県の方言。

<使用方法>
「膝、擦りむいたさけ、痛て、痛て…。」
「ありゃ~、そりゃ、かっさだかな~。
舐めたら治るわいね。」など。


 さて、さて、今日は身近な、「かさだかな人」について…。

 私の病気は、見た目には重病にはさっぱり見えないらしく、
しばしば、年寄りのいかにも、「もの知り気なご老人」
にガン自慢される事がある。

しかも、そのご老人、私から見たら死にそうでないのに
「もう、ダメだ、あぁ~ヒドい。」
と繰り返し言い、他人には、
なんともウルサい婆さんだと思わせてしまう。
その同室の婆さんは、乳ガンで抗がん剤治療を受けている。
が、その薬剤名も知らない。
右手もかなりのリンパ浮腫で二倍の太さになっているのに、
痛い痛いと文句だけ言って改善しようとする気がない。
「先生のせいや!」とドクターのせいにするので、
さらに手に追えない。さすがのKドクターも呆れ顔。
(^_^;)

「かさだか」なこの婆さんは、
かなりヒマなので、私の事を根掘り歯堀り聞き出す。( ありがち、ありがち…。)
そして、私があまりにケロッとして話すもので、
ちょっと反省したようだった。

「私、先生の悪口ばかり言わないで、
自分の出来る事をせんといかんね~。」
と改心したようだった。
そして、私にどうすれば良いか聞き出し、
無治療に近かったリンパ浮腫の治療に努めた結果、
浮腫は見る間になくなっていった。( やるじゃん!婆さん! )

抗がん剤の副作用も、私が話し相手をする事で
だいぶ調子も良くなったようだった。(寂しかっただけか?)
人間、やれば出来るのだ。
そして、その婆さんは、
自分の携帯に私の携帯番号を入れてくれとねだる。
(なんでやろ~、懐かれちまったぜぃ…。)

退院してからも私に電話をかけるつもりでいるのだろうか…。(-.-;)
ちょっと、そこまで言うと、私が「かさだか」な人になっちゃうかもね(笑)。