サバイバー日記

炎症性乳がんと告知されて6年間。多発転移しつつ、生きたサバイバーな日々の記録と家族の日記です。

今日で3ヶ月経ちました。

2008年07月09日 | カニ夫と娘
今日でサバイバーが逝ってから3ヶ月になります。

整理はまだされていませんが、何となく片付いて同じような毎日が過ぎていっています。

壊れたままだった食洗機を交換し、やかましかった換気扇も買い換えました。
毎日の生活に必要な部分は片付いたので、仕事に集中し出すと、家の中の状況は変化なしです。

仕事の方も実習地訪問が終了し、とりあえず外回りから解放されました。

娘は金沢市の写生会で入選したようです。
サバイバーに早く宿題を終わらせて寝なさいと毎日怒られていたのですが、未だに懲りずに夜遅くまで起きていてマイペースに生活しています。
夏休みには友人と一緒にカニ夫の運転する車でプールと海に行く予定を立てています。

それなりに時間が過ぎていきます。

何かを望んでも仕方がないのですが、何となくさみしい気持ちになります。

とりあえず、元気に前を向いて生きています。


心を伝えること

2008年07月08日 | カニ夫の生活
カニ夫は専門学校で専門職養成課程の教員をしています。

最近感じることは、心を伝える難しさです。

学生と対象者が会話している場面で、学生の頭を叩きたくなるような時がある。

相手を理解しようとせず、与えられた課題の対象者と接しているとしか思えない時である。

うまくいっているか、いないかは簡単に解る。

対象者の態度である。

終わったときに解放されたようにほっとするか、名残惜しそうに感謝の言葉を言って下さるか。

成績の良い学生が上手いかというとそうでもない。でも、成績の悪い学生のほとんどは下手である。

何が違うのだろうか。

先輩の教員はある学生のことを「声が強い」という表現をされた。「大きい」わけではない。「強い」のである。
カニ夫は同じ学生の頭を叩きそうになった。何がどうというわけではない。
上手く説明できないが横で聞いていて「腹が立つ」のである。

相手に対する情が感じられなかったのだろうか。相手や状況に応じた対応が不十分なのだろうか。

たぶん、その学生の生きる目的がここには無いのかも知れない。
自分が本当にやりたいことをやっているのか疑問である。


カニ夫は学生時代、卒業したら違う業種に行きたかった。しかし、在学中に左腕が交通事故で麻痺してしまい、生きるために、この業界に残った。

それが今、教員である。世の中わからないものである。

何がきっかけで人生が変わるか解らないが、一生懸命生きていないと、そのきっかけに出会えないような気がする。

一生懸命に生きることを伝えたいと思うのだが、自分が何故一生懸命に生きるようになったのか解らないので伝えようがないのである。

難しい事である。


ハチクロ

2008年07月07日 | サバイバーとカニ夫
今年に入って、サバイバーが入院中にハチクロを買ってきてと言ってきた。

忙しかったため、ネットで全巻注文して入院中のサバイバーに届けた。
サバイバーはすぐに全巻読み、カニ夫に読んでみたらと言ってきた。
カニ夫は、余り興味を惹かれず、読まなかった。

一昨日、娘が読んだらと言ってきた。
体調が優れず、ボーッとしていたので、読んでみることにした。

最初は、随所に散りばめられたギャグを読んで笑ってしまい、娘に笑い方が気持ち悪いと言われた。
最後の方では、涙を流していた。

サバイバーとハチクロを話題にして話しておけば良かったと思った。

カニ夫も学生時代は親から解放され、色々なことを経験した。

でも、ハチクロには人としての生き方が書かれていて、今の自分に響くものがあった。

たぶんサバイバーも人としての生き方を感じていたのだと思う。

サバイバーは、最後まで創作活動を続けようとした。まるで生きていることを証明するように。
命を削るような時間の使い方に小言は言っても、止めない自分がいた。

ハチクロを読んで何となくサバイバーが創作活動を止めなかった理由がわかるような気がした。

信頼してくれる友人、先輩、後輩、先生がいて、自分の生きる目的をその中にも求めていたのだと思う。


カニ夫も職業は違うが、人に信頼されて、頼られて、それに応えていきたいと思う。
自分が努力している目的はそれしかないのである。

娘もハチクロを読んだが、何を感じたのだろうか。
今は解らないが、大きくなったとき、少しでもサバイバーを身近に感じてくれて、生き方を考えてくれたら良いなと思う。

すみません。愚痴です。

2008年07月05日 | カニ夫の生活
木曜日に居間で夕食後そのまま寝てしまい、娘が毛布を掛けてくれましたが、朝まで寝てしまい、金曜日の朝、頭痛と倦怠感で仕事を休んでしまいました。

休んで爆睡していると夕方帰ってきた娘が郵便受けに手紙があったよと。

見に行ってみると
「電話で百ヶ日法要はわかったけど日時と場所が解らないので失礼します。七月四日午後二時ころ○○(カニ夫の実母の名前)」
と広告の裏に書いた紙が挟まっていました。

意味がわからない。電話したときに日時と場所は伝えてある。

カニ夫の電話番号は知っている。忘れたのであれば聞けばいい。来たくなければ来なくていい。誰に対しての言い訳だろうか?
何のための言い訳だろう。連絡が来なかったから行かなかったとでも言いたいのだろうか。カニ夫の責任にしたいのか?

これが自分の親の言葉なんだろうか?

サバイバーが最後の入院をしたとき、病室に来て独りよがりな事を言って、サバイバーを困らせた。
七日参りに来て意味不明のことを言い、結局、四十九日の法要も来なかった。

とりあえず、百ヶ日法要は7月16日なので父親の携帯の留守電に日時を伝言しておいた。

もういいかという諦めに似た感情が生まれてくる。

祖父の死後、遺産相続で揉め、カニ夫の家は本家なのに親族が家に来ることは無かった。
子供心に父の兄弟は、なんと理不尽な人たちなのだろうかと思った。
でも、最近は考えが変わってきた。結局みんな相手を自分の思い通りにしたかっただけなのである。

サバイバーと結婚してから、両親を1泊旅行で上高地や鵜野浜温泉にもつれていった。娘の誕生日にはレストランにも招待した。正月にお節料理を振る舞ったこともある。

母の日に贈り物をすると色が気にくわない等々、サバイバーが何往復もすることもあった。カニ夫が贈ったものを「気に入らないから、あんたにあげる」と言われ、「返しに来なくて良い、捨ててくれ」と答えたこともあった。

でも何故か両親からだんだんと断ってくることが多くなり、交流を拒絶するようになった。

サバイバーが逝ってからカニ夫は両親の行動がまったく理解できない。カニ夫は分家である。跡取りではない。
とりあえず十分ではないかも知れないが親孝行はした。拒絶したのは両親からである。
これからは、事実を基に行動したい。言い訳はもうたくさんである。

四十九日の法要も百ヶ日の法要も納骨の日も来ないなら来ないで良い。

喧嘩はしません。たぶん、何があっても静観します。もう連絡もしません。
両親に対する感情は封印します。私は言い訳するつもりはありません。行動のみで示します。

もう疲れました。

カニ夫の両親は長男と同居しています。長男に任せておけばいいわけですから、カニ夫がすることもないわけで・・・。


相手を自分の思い通りにしようとは思いません。カニ夫は娘とサバイバーの事を優先して生きていきます。
無理なものは無理です。結論としてはさみしいのですが、仕方ありません。

すみません、愚痴でした。