サバイバー日記

炎症性乳がんと告知されて6年間。多発転移しつつ、生きたサバイバーな日々の記録と家族の日記です。

2007を振り返って…。

2007年12月30日 | 日々是好日
 今日は、今年最後のゾメタ。
診療はすでに29日で終わっている。
当直のドクターは内科のドクターだけだったので、
主治医のI先生が、私のゾメタの点滴にだけに
来て下さる予定にしてもらっていた。

あぁ~、それなのに、それなのに…。
私ったら、寝坊してしまった。
気がつけば、すでに約束していた9時になっている。

ボーッとした頭のままで支度を急ぐ。
免疫が落ちているせいか、動作ものろい私。
見かねたパパが「送っていくから…。」と用意している。
それでも、まだ私は急がなくちゃという気持ちはあるんだけど
足は関節痛でガタガタだし、身体もフラフラ…。

車に乗ってからIドクターに電話をする。
「すみません。今、向かっています。」と。
(ごめんなさい。きっと、先生イライラしながら待っているわ…。

急いで行ったので、いつもよりかは早く着いた。
でも、結局患者さんが立て込んでいて、
看護師さんはIドクターを呼んでくれない。
(あぁ~、どうしよう…。


結局、約束の時間を大幅に遅れて、
ゾメタの点滴のための針を刺す。
遅れた事を謝ると、Iドクターは、
Dr.「病棟回っていたから、大丈夫ですよ~。」
と言ってくださった。
(気休めでも、有り難い…。

来年のPETの検査の事と先週は白血球が低くて、
動注療法が出来なかった事を報告する。

Dr.「そうでしたか…。でも、無理しない方が良いでしょう。
休診中に免疫下がったらなお大変になるので
その時の事を考えてくれたのでしょう。」
とおっしゃってくださる。

そして、今年もおせわになったお礼を言い、先生と別れた。
先生は、その後すぐに待たせていた娘さん二人とニコニコ顔で
車で帰っていったそうだ。(外で待っていたパパ談)
(ごめんなさい。娘さんも待たせていたんだ~。

このI先生と出会ってから5年半。
私が闘病している間に子どもさんがどんどん増えている。
毎年、年賀状を見て、私はびっくりしている。
今は娘さん3人と息子さん2人の子だくさん…。
とても子煩悩の方だ…。
そんなI先生に、今年もおせわになりました。



 思えばこの一年は、肝臓との闘いに明け暮れた感じだった。
7月に動注のリザーバーを入れた事で、
今はなんとか病状も安定している。

研修所、高校に行っていた仕事の方は、どうにか
一年を勤め上げる事が出来た。

公募展にもどうにか出品が出来たし、
来年に開催される管楯彦賞の推薦も受ける事も出来た。
来年に向けて、また絵を描く勇気を頂いた。

うちのパパは4月に右膝を骨折して長期に入院したが、
今は元気に毎日お隣の県の専門学校まで仕事に行っている。
娘は6月末にバレエを辞めてしまったが、
今はその分、英語、国語、算数の学習塾を頑張っている。
私以外の家族(母も含め)は、元気に暮らせた。

新年早々と、夏には大学の同級生たちとも
旧交を温める事が出来た。

夏には、北海道旅行も出来たし、
旧友とも会える事も出来て、とても嬉しかった。
秋には、お茶を始めて、
学ぶ事の楽しさを感じている。

そして、今年はブログを始めて、ブログを見てくださる
皆さんと出会えた事は、とても嬉しかった。

ハンドベルも図書ボランティアも
無理なく続けていられる…。

本当に毎日が充実していた。
有り難い事です。

いつも、こんな拙い文章ばかりだし、
カーディガンを着たままの忘れん坊だし、
今日のように、大事な約束でも
寝坊してしまうようなこんな私ですが、
来年もよろしくお願いします。

皆さん、良いお年を~~~!



鳥に…。

2007年12月28日 | 日々是好日
 2004年12月28日。
彼女は、鳥になってしまった。
突然に…。

 彼女は、私の高校の同級生。
私が病気になり手術する時に
高校の同級生が仲の良い友人たちに声をかけて
彼女も千羽鶴を折ってくれた。
手術後、久しぶりにその同級生たちと
彼女も一緒にランチに行ったりもした。
その時、いろいろと彼女の悩みを聞いたりして
長い間、会わなかった時間を埋めたりもした。

翌年、精神のバランスを崩した彼女は入院していた。
鍵のついたドア。
面会をするのにも、身分証明書が必要だった。
彼女の誕生日だったので、
友人たちと一緒に病院へお見舞いに行った。
「ごめんね。○○(私の事)が大変な時なのに、
私がこんな弱虫でいたらいけないよね。」
と謝ってばかりだった。
「そんな事ばかり言わないで、気をしっかり持つんだよ。」
と私は言った。

しかし、それからほどなく退院した彼女は、
私よりも人生を早く終えてしまった。




それから、ちょうど3年。
今日は、彼女の命日…。

今日は、昨日までのお天気が嘘のように雨模様。
年末、この時期になると否応なく彼女の事を思い出してしまう。

 私は、新年に○和デパートの画廊で展観される
高校の同窓会展の搬入に夕方から向かった。
ここは、彼女が鳥になった場所。
本当は、あまり近づきたくはない。
でも、この命日に彼女に呼ばれるように行く。

絵の搬入を終え、駐車場を足早に出る。
でも、彼女の事が頭から離れないので
駐車場を出てから、その場所に手を合わせる。

 彼女がいなくなってから、時々友人達と彼女の話をする。
何故、あの時、彼女を助けてあげられなかったのか?
どうして、どうして…。


私は、○原さんをたいして信じているわけではないけど、
TVで「自死をした人でも、精神的に病を持って
そうなった場合は、病死をしたのと同じと思って良い。」
と言っていた。

そうだ、彼女の死は病のための寿命だったんだ、と。
私は、そう思うようにした。
彼女は、抗うつ剤を多量に処方されていた。
退院してからは、その量を減らすようにしていたようだった。
でも、そんな時には死の衝動が高まる事があり、
特に注意が必要だそうだ。
「抗うつ剤に関する注意」

でも、自死は決して許されるものではないし、
残された家族にとっては深い傷となって残ってしまう。
実際、彼女の家族は深く傷ついた。

今でも私は気になっている。
彼女は、今、どうしてるのか?
あちらの世界で安らかで、いてもらいたい。
そして、彼女の分まで生きなきゃと思う。
この時期が来ると、いつもそう思う。

ひなたのやぎ

2007年12月26日 | 炎症性乳がん
 今日は動注療法の日。
9:30までに福井に着かねばならない。
朝、ゆるゆると起きて、冬休みに入った娘と二人で出かける。

今日も採血はなんなく一発。
ほっと一安心…。

今日は、母から借りた「ホームレス中学生」を読みながら待っていた。
ホームレス中学生
麒麟・田村裕
ワニブックス

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10:30診察。
私「こんにちは~。」と入ると先生は
Dr.「う~ん。」と唸っている。

Dr.「あまり、(白血球)上がらなかったね。」
私「2200ですか…。」と検査表をのぞき込みながら
やっぱりなぁ~と思っていた。

Dr.「今日はどうしようか?来年にしよっか…。」
という事で来年の診察初日にPETと動注の予約をした。

私「これ、ちょっと遅くなりましたが…。」
と今年の日展の写真を額に入れたものを先生に渡した。
先生は、気が急いていたのか、プレゼントのラッピングをむしり取って、
Dr.「ほうほう~、やっぱり、こっち(写真)の方が良いねぇ~。」と
喜んでくれた。

その後、私の今後使うであろう抗ガン剤の事を聞いた。
Dr.「考えときます。」と正直な人だ。

最近では、炎症性乳ガンの患部を切除しない事も多いらしい。
脳転移などを起こしてしまった時の話なども併せて聞いた。

K先生の見解では、「予後は変わらないので、最近は切除をしないという事が多いですが、
本人が毎日患部を見ていて気持ち良いものではないですし、
または患部が爛れてきたり、匂いが嫌だという場合は切除する事で
すっきりして、病気に対する気持ちが明らかに変わってきますね~。」と言ってらした。
「毎日、患部を見ないだけでも治った気さえするもんなんです。」と。
この事については、意見が分かれる事を先生は100も承知なのだろうが、
今までの経験からきた本心だと思う。

 そして、来週PETをするためにその前のエコー検査をした。
その間中、娘は女性診療センターの隅っこで冬休みの宿題をしていた。
「ごめんね。待たせてしまったね!」
待ちくたびれた娘と病院のレストランへ行く。


ランチは福井の名物の「ソースカツ丼」と半熟卵がのった「きのこスパゲティ」。
う~ん、美味しい!二人でシェアして食べた。


そして、また高速で帰る。
帰りに「おまっと牛乳」を売っている「牛乳村夢番地」に寄る。



娘はジェラート、私はシェイクを頼んだ。
ここの牛乳はパパのお気に入りの低温殺菌のものだ。


外には、白やぎさんが昼寝中…。
なんだか、日向ぼっこで幸せな顔してる。
ここには、山羊の他に仔牛もいて、
いつも病院へ行く途中、気になっていたのだ。

動注は、残念ながら出来なかったけど
まぁ、こんな日もありか…などと、
私も日向のやぎの気持ちになった。



 昨日、私にもクリスマスプレゼントが届いた。
同じ頃に炎症性乳ガンに罹って克服したガン友からであった。
彼女は仕事をしながら、ピンクリボンの活動もサポートしている。
罹患してからすでに6年目。今は無治療…。

そうゆう意味では、何が良いのか、何が悪いのかわからない。
でも、彼女が元気で頑張っている事は私の励みにもなる。
それに、このプレゼント。「メモリーズ」作・絵 ジミー
帯には、「おぼえていますか、あの日のあなたを?」
と書いてあった。

メモリーズ―Memories of You (創作絵本シリーズ)
ジミー,岸田 登美子
小学館

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私は、今でも憶えています!
5年前、あなたと一緒に行ったディズニーランド。
あの時は、寒かったね!
いつも、ありがとう!ほんとにありがとう!


クリスマスのハンドベル

2007年12月26日 | ハンドベル
 昨日は老人保健施設でハンドベルの本番だった。
12時に集合して、近所の会館で練習。
それから施設へみんなで向かった。

本当は13:50~の予定だったのだが、
先方の連絡ミスで、急遽出し物が前倒しになり、
私たちはあたふた…。

私たちのハンドベルの教室は、
親子チームと図書ボランティアチームがある。
今日はその2つのチームともに参加するので、
最初は親子チームが4曲、
私たち図書ボランティアのチームが4曲で
全8曲を演奏した。
まぁ、なんとか演奏は無事に終わった。





夕方、娘の行っている学習塾で
昼間行った施設のOT(作業療法士)さんにお会いした。
(この方は、娘と同じ学年の娘さんを持つ。)

「すごく評判良かったですよ~!
私たちが音楽療法しても、いつもノリの悪い人が
あんなに乗っているなんてびっくりしてたんですよ~。
ハンドベルの音って良いですね~。」
と言ってくださった。

私たちは、クリスマスらしく
「カノン」、「アヴェ・マリア」なども演奏した。
「荒城の月」や「ふるさと」なども演奏したのだが、
馴染みの深い唱歌を大きな声で歌って下さっていた。

施設の方も担当者が変わって、今までとはだいぶ勝手が違って、
私たちが、かなり戸惑った事も多かった。
でも、何より、施設に入居されている方に
喜んでもらえて良かった。

今日の演奏の評判を偶然その場にいた方に聞く事が出来た。
そんなちょっとした事も私たちボランティアには嬉しいのである。
また、来年も頑張ろう!ねっ、みんな!


メリークリスマス!

2007年12月24日 | 我が家


   Merry Christmas !

   今日はクリスマスイブですね!
  皆さんに、楽しいクリスマスを…。
                                                        
  

 ちなみにこの写真、昨年末の娘の
バレエの発表会でのクリスマスツリー。
くるみ割り人形の1コマです。
娘は天使役でした。
高木ブー、はたまた、かみなり坊や
みたいな白いアフロカツラが
本当に嫌だったようでした(笑)
今となっては懐かしい思い出です。

 さて、今日は家族でのクリスマスパーティ。
そのためにツリーのタペストリーを娘と一緒に
2週間前から作り出しました。

 

そして、やっと今日完成!
なんだか、あんまり良い出来ではないけど
娘と一緒に作ったので良しとしましょう。

 そのタペストリーをリビングの壁にかけ、
入り口にキラキラの飾り付けを娘にしてもらう。
そして、もみの木を折り紙で作ったり…。
家族だけなので、簡単にフローティングのローソクと
もみの木のアレンジと姫りんごをテーブルのフィギャアにしよう。

 

今日の献立は「手巻き寿司」と「鳥の唐揚げ」「アサリの吸い物」
飲み物はブドウジュースの炭酸入り。

 


お腹一杯になったところで、クリスマスケーキ!
輪島の研修所の生徒たちにもらった「二三味珈琲」を淹れて
今年はふらんどーるのチョコレートケーキを食べる。
う~ん!やっぱり、美味しい!

今年もあとわずか…。
なんとか、元気でここまで来た。
来年も家族で過ごせると良いなと思う。

さぁ、明日はいよいよハンドベルの本番だ~!!
頑張るぞ!


夏の思い出(後)

2007年12月21日 | 日々是好日
 今日は3の3の朝読みだった。
クリスマスまであと3日。
やはり、ここはクリスマスの絵本だろうと思い、
「子うさぎさしろのお話」
「やぎとぎんのすず」を読んだ。

さぁ、今日は年賀状を仕上げねば…。



~北海道旅行、後編~

3日目、友人宅で朝を迎える。

昨日、うちの娘が夏休みに応募した
「○○少年少女美術展」に賞を頂いたので
顔写真を今日までに、どうにか送ってくれという連絡を受けた。
(おいおい、私らは旅行中だぞ!)

仕方がないので、友人宅からメールで
新聞社に娘の写真を添付ファイルで送ることにした。
なかなか担当の記者と連絡がつかず、私たちは足止め。
朝一番で旭山動物園に行こうと思っていたが、
記者の出社を待っていたので、それまで子どもたちは
Wiiで遊んでいた。(むしろ、良かったかも~。)

 朝の一件で、ゆっくりして出かけたので、やはり動物園は大混雑。
観光バスが押し寄せている。
天気はどしゃぶり…。
とても、動物園に来る天気ではない。

そうは言っても私たちも旅行中…。
ここまで来たのだから、やっぱり行きたい。

しかたなく一番空いている「ペンギン館」に並ぶ。
それでも30分あまり待ってようやく中に入る事が出来た。
しかし、「立ち止まらないで下さ~い~!!」と係員が絶叫している。





下のイルカの写真は帰ってからすぐに行った地元ののとじま水族館
イルカやペンギン、亀もいる回廊で混んでいなので、ゆっくり鑑賞出来た。
何も北海道まで行かなくても、充分楽しめるのだ(笑)



さてさて、人気の「ホッキョクグマ館」は2時間待ち以上だそうだ。
娘は「もう帰ろうよ~。」とベソをかいている。

外は雨で濡れてしまうので、「チンパンジーの森」へ行く。
行動展示をしているこの動物園では、
スケルトンのトンネルからチンパンジーの体の裏側を見る事が出来る。





「くもざる、かぴばら館」も見て、
猛獣館、ワシタカ舎も見る。
このあたりになると人気もなく、
展示されている動物たちは
なんだか可哀想になる。



意外とサイなんかも、人気がなくて穴場。
上野の動物園にいたのを見たのは二十歳の頃だ。
超久しぶりにサイを見た私は
その大きさと力強さにびっくり!



雨で一挙にテンションが下がってしまった娘を
「ピュアホワイト」という白いとうもろこしで釣りながら、
早々に旭山動物園を後にした。

 

札幌では、札幌ファクトリーの近くのホテルクラビーサッポロだったので
札幌ファクトリーで買い物をして遊んだ。
ちょうど、ブランドバーゲン時期だったので
70%OFFという値札を見て、
旅行中というのに、ついつい飛びつく私たち家族。


ここはビール工場跡なので、煉瓦作りの建物が多い。
夜のライトアップで煉瓦と蔦が美しく輝く。



最後にどうしても海鮮丼がまた食べたいと言うので、
空港に早めに行って、空港内でランチを食べた。
いくらにエビ、そして、鮭…。
本当にたくさん食べたなぁ。



そして、私たちは機上の人となる。
楽しかった。本当に…。
雲は、たなびいていく。




しばらくすると雲間からどこかの山が見えた。
どこの山だろう?



そして、やっと家路についた。



これは、木造りの人形。
本当はオーケストラ全部買いたかったが、
無理なので、ビオラ?コントラバス?どっちだっけ…、そのひとつ。
なんだか楽しげに弾いているでしょ!





雲のローソクもキノコのローソクも木造リのビオラ弾きも
富良野のニングルテラスのもの。妖精に叱られないように大事にしなきゃね!



これは旭山動物園の人気キャラクターが入ったガチャガチャ。

これらは、自分たち用のお土産。帰ってきてからもリビングの一角で
思い出とともにひっそりと居てくれる。

【番外編】

この旅行、アフタートリップという旅行後にも楽しめるチケットが付いていた。
金沢の何カ所かの飲食店でランチを食べる事が出来る(人数分)

私たちは私たちよりも一週間前に同じチケットで北海道旅行をした
ママ友達家族とともに金沢全日空ホテル 加賀(鉄板焼き)を選んだ。





最後の最後まで食べて飲んで三泊四日の旅行+ランチを堪能した。
楽しかったなぁ~。

さぁさぁ、今日は年賀状、絶対に仕上げるぞ~!!




夏の思い出(前)

2007年12月20日 | 日々是好日
 今日はやっと年賀状に着手した。
まずは写真を選ばなきゃっと…。





今年、撮りためていた写真を見る。
今年の夏は、北海道に行ったんだったなぁ~。

たくさんの向日葵の花の写真が出てきた。
今は寒い寒い冬だけど、夏の暑い盛りの向日葵に癒される。

写真を見て、今年の夏を思い出す。

1日目、昔々、仕事した事のある「アルファリゾート・トマム」に泊まり、
スパで楽しんだ。
朝は早く起きて「雲上テラス」でホットチョコレートを飲んだっけ。
リフトから降りてすぐのカフェレストランでの朝食も美味しかったなぁ~。



富良野での手作りアイスも美味しかったし…。







富良野のメロンも美味しかったし…。





チーズフォンデュも美味しかった。
試飲のワインも美味しかったな。

















富良野や美瑛の景色も最高だった。

そして、深川にいる大学からの友人宅へ向かう。
彼女とは、四芸祭の時の軟式庭球部の交流試合からの付き合いだ。
大学は違うし、住んでいる場所もいつも遠くにいるけど、
何かと気にかけてくれる。

今年、肝臓が急に悪くなった時、
この旅が最後になるかもと思っていた。
だからこそ、遠くにいる彼女にも会いたかった。

夕食には、珍しい花咲カニや彼女お手製の海鮮パエリアを
作って待っていてくれた。
そして、長い間会えなかった分、おしゃべりをした。
でも、何からしゃべっていたのか…。
肝心な事、伝えたい事もあったはずだったのに、
楽しい時間はすぐに過ぎていく。





朝は娘と彼女の息子さん達とベリー摘み。
畑一面を管理するのも大変だろう。
今頃は、雪に埋もれているのだろうな。

そして、朝食もサイコー!
彼女の手作りのピザや摘んだばかりのベリー。
そして、てこねの手作りパン。
(自宅の横に建築中のパン屋さん開設、頑張ってね!)



やっぱり、食べてばっかりだった。

お陰でこうして、私は元気でいます。
あっ、早く、年賀状を作らなくっちゃ!

(つづく)

今日無事

2007年12月19日 | お茶
 

 今日は、お茶のお稽古だった。

掛け軸は「今日無事」という今年の最後のお稽古にふさわしいもの。
今年も無事に過ごせました、という安堵と感謝が感じられる。

お花は寒椿と綿の花。花入れはコンプラ瓶(金富良瓶)。
このコンプラ瓶は、江戸時代にJAPANSCH ZOYA(醤油)を
オランダ船に積むために作られたものだそうだ。

私も今年は肝臓の転移でいろんな事を考えさせられもしたが、
こうして無事にお茶を頂ける今日のこの日に感謝したい。

人間とは不思議なもので、来年はどうなるかなどと不安になったりする。
そうゆう一面で、今日この時間、突然事故で亡くなる方もいるだろう。

私がこの病気になった時、知り合いの方に私の病気の事を打ち明けた。
「私たちも、今日(明日)事故で死ぬかもしれないのは同じだから…。」と慰められた。
もちろん、私は「人間はいつか死ぬ」と思っている。
(当たり前の事だが…。)
でも、漠然とした「事故で死ぬかもしれないという不安」と
「治らないと言われた病気に掛かり、苦しんでいる途中」の私と
同じ次元にして欲しくはなかった。
その時の私にはとても受け入れ難かったのだ。

でも、この広い宇宙の出来事の中では、
私ごとき事、病気でいつ生きるか死ぬか…なんて事は
まったく関係ないのかもしれないと思うようになった。

実際、この方は私と同じ立場になったらどうするのだろう。
きっと、苦しむだろう。
でも、その時、私はオウム返しのように
その方に同じ言葉を投げかけたりはしない…。
今日を無事に過ごせれば良いのだから。


私は今日も薄茶のお点前のお稽古をした。
でも、なかなかうまくは出来ない。

その後、薄茶、炭点前が終わり、
今日は「数茶」をした。

 

「数茶」の札元は、お詰が務める。
折拱(おりせい)の中から一人、一人にお札を取り、
札元が開けた札の順番にお茶を頂くという
通常とは違う、ちょっとお遊びが入ったものだ。

私は菊の札だった。
菊の札を開けられると
「菊の札、お除きを…。」と言う。
そうしないと何度もお茶を催促する事になる。
結局、私のお札が一番最後になったが、
今日も美味しくお茶とお茶菓子を頂いた。

 一日、一日を大切に、充分に生きる事。
それはこの病気に掛かってこそ、心底思える。
今日のこの日も、有り難い…。


今日もゾメタ

2007年12月18日 | 炎症性乳がん
 昨日は、午後から娘の個人懇談だった。

まぁ、「学業の方も友人関係も問題なしです。」
と言われ、ほっと一安心。

それでも、「娘さん、手を挙げないんですよね~。」と
半ば諦め気味に話す先生。

「でも、辞書で何かを調べてというと、一番先に手を挙げるんですよ。」と笑っておられた。
(やっぱり…。だって、辞書は間違いないですもん。

娘に聞くと、自分の意見は間違いがあるかもしれないので
言わないのだそうだ。
はぁ~とため息。

でも、近頃は、ひとりぼっちになっている友人に
そっと寄り添うように近づいて行って声をかけているそうだ。
(そっか、ちょっとは大人になったか…。

夕飯時に、パパにこの話をすると照れくさそうにしていた。
(私が辛そうにしていると、いつの間にかちょこんと横に座っている。
ママは、そんな優しい○○が大好きだよ!)

最近、娘は私たちの寝室で寝ている。
まさに川の字…。でも、いつまで?(笑)

朝、「行ってきま~す!」と出て行った娘の足下を見ると、
昨日していた宿題…。
今日もリビングに忘れていってしまった…。




 今日は、2週間に一度のゾメタの点滴の日。
もうかれこれ、何度しているのか…。

私の胸に入れているリザーバーも
もうすでに5年を経っても元気!
福井の看護師さんによると5年前は
私の体の中に入れてある小さい赤ちゃん用のリザーバーを
使う事もなかったということだった。

N病院のI先生は、私の事を考えて
Tシャツなどを着た時にあまり目立たないように
小さいものにしてくれたようだった。
ほんのちょっと気遣いだろうが、
今となったら、本当に有り難い事だ。

I先生にそう言うと、照れていた。
それより、リザーバーは血栓を起こすとすぐさま
抜去しなきゃいけなくなる。
でも、今のところは血栓も感染も起こさず、
どうにか2週間に一度の点滴も
難なくやりこなせている事を喜んでいた。

それと、このところ気になっている私の病理の事。
手術は、もう5年以上も前の事なので
その時のカルテもあるかどうかわからない。

ブログを始めた事をI先生に話すと
「それは、皆さんの励みになりますね!」と
大いに喜んでくれた。
そして、「探してみましょう!」と約束してくれた。

いつも思う事なのだが、この先生もいつも私の治療に
伴走してくれている。
福井のK先生の謙虚さも好きだが、
人情たっぷりのこのI先生にも
最後までおせわになるだろう。

今日もゾメタの点滴のためリザーバーに針を刺す。
15分で終了。

「カルテの件、よろしくお願いします!」と診察室を後にする。

今日の会計は、\12,690
フェマーラ(お正月をまたぐので3週間分)の薬代が¥4,680也。

そして、私はハンドベルの練習に急ぐ。



蓮のリレー

2007年12月18日 | 日々是好日
 蓮の花リレー救って下さい
 蓮の花の花言葉は・・・

「救って下さい」なんだそうです。

その花言葉の通り・・・ 蓮さん を救って下さい。。

蓮さんを励まそうと seimamaさん のアイディアで

「蓮の花をリレーとして 繋げましょう」とリレーが始まったのです。
遅ればせながら、seimamaさんから回ってきた蓮のリレーのバトンを
Mocaさんふうママさんのブログより受け取りました。

蓮さんの1日も早いご回復を祈っています。

リレーされている、雨のち晴れさん撮影の「蓮」


こちらは、私が今年、輪島の生徒たちとスケッチで一緒に行った
柳田村で撮った蓮の写真です。
(あまり写りがよくないけど…。)


蓮さん、お会いした事ないけど、歌声を私にも聞かせて下さい。


生きていて…。

2007年12月17日 | 日々是好日
 今日は仕事納めの日。
非常勤講師の仕事も今日で辞める事になる。
1.2限目の生徒たちには
「みんな、ありがとう!私は今日で最後だけど、
また1月からも(美術)頑張ってね!」と無難にしめくくった。

3,4限目の生徒たちは、一番やんちゃなクラス。
自画像を仕上げさせて、油絵の準備をさせていたら
彼らは諦めが早いのか、授業終了時間より早めに作業が終わってしまった。

担当のN先生から、「今日でパソコンの授業はおしまいなので、
先生とはさよならです。では先生、時間がたっぷりあるのでどうぞ…。」
と言われた。(たっぷりあるからと言っても…。

「なんでや~!」「やめんといてや~。」と生徒たち。

この間のA君は、あの後やはり保健室登校しているらしい。
A君の事もあったので、私から言う事はただひとつだ。

「君たちには、これからいろんな苦しみが
待ちかまえているかもしれない。
でもその時、どんな壁が君たちに立ちはだかろうとも
乗り越えて生きていてね!」と。

最後に、
「みんなと一緒に勉強して楽しかったし、
君たちのエネルギーをたくさん頂きました。
ありがとう!」…と。

男子生徒たちは大きな声で
「ありがとうっす!」とさよならの手を振っていた。

授業が終わってから、女子生徒たちが私を取り囲む。
その子たちだけには、乳ガンの恐ろしさを伝えた。

本当の事を知って、みんな驚いていた。
A君には聞いてもらえなかったけど…。

「先生、こんなところ(学校)に来ている場合じゃないし…。」と
生徒には言われた。
「娘さんとの大切な時間なのに…。」と。

でも、私は娘だけでなく、この子達にも救われてた気もする。


「(先生に辞められるの)いやや…。」と言いながら号泣する女子生徒たち。
(ほんと、みんな、ありがとう…。

ブラスバンドの子が多いので、
「もし来年、元気でいたら、演奏会に必ず行くしね!」と約束した。

「じゃあね!」と言って廊下を歩き出す私に、
「ありがとう!」と手を振る生徒たち…。

短い間だったけど、君らに会えて良かった。

写真は、お疲れ様ランチで「せん」鞍月店に行った時のもの。
N先生のおごりでした。(ごちそうさまでした。)
そして、2年間おせわになった高校をあとにした。

胸いっぱいの思い出とともに…。


会社での父

2007年12月15日 | 妙好人
 私はメーカーのデザイナーとして13年勤務した。
大学出たての私は日本画出身なので烏口の使い方もわからなかった。
同じ日本画出身という事で不憫に思ったのか、
デザイナーとしての自分の姿を見せる事で教えてくれたSさん。
私の会社での父だった。

仕事で失敗する私をいつもかばってくださっていた。
私は部下として、全国を股にかけて思うように働く事が出来た。
まだまだ、パソコンを導入する前の事である。

そして、会社はパソコンを導入し、手業よりも効率を優先させていく。
そんな中で私は結婚し、娘を産んだ。
産後、育児休暇を取っていた私の耳に入ってきたのは、
Sさんが病魔に倒れたという知らせ…。
私が休みを取っていたときだったので、余計にショックだった。
(無理をさせてしまったのではないか…。)

始めは脳腫瘍だけだと思われた。
しかし、本当は肺からの転移だったのだ。
そうして、私は会社での父を無くしてしまった。
かばってくれる人もいない。
会社での立場も以前よりずっと責任も重くのしかかってきていた。
私は二人目の妊娠を望んでいたのだが、
そんな状態では、とても仕事を続けるのは無理だった。
1度目、2度目の流産…。
ついに、私は会社を辞めてしまった。

そして、Sさんは始めの手術から2年を生きて、逝ってしまわれた。
本当に安らかなお顔だった。

Sさんがいてくれたから、私は仕事が思う存分出来たのだった。
お子さんのいないSさんは、私を娘のようにかわいがってくださった。
今、そのSさんの奥様とはお茶のお稽古を通して
毎週のようにお会いしている。

 今日は、Sさんの命日を前にお参りに行った。
肺気腫だと言いながら「ゲホッゲホッ」と煙草をふかしていたSさん。
私が部内にフラワーアレンジメントをすると
必ず「良いねぇ~。」と褒めてくださった。
私にとってはなくてはならない人だった…。


 お供えには、好物の煙草とビール、そして大好きなお花を持って行った。
亡くなられて、もう8年を迎える事になる。

そして、いつも奥様は「ありがとうね!」と私に「犀与亭」の美味しいお肉を持たせてくれる。
(エビでタイを釣っていないか…私

Sさん、お陰様で今日の夕食は抜群に美味しい「すきやき」でした。
今でも奥様におせわになっています。
本当にいつも、ありがとうございます。




クリスマスの図書室イベント

2007年12月13日 | 図書ボランティア
 今日は図書室でのクリスマスイベントの日。
お昼休みの3日間通しで、
サンタクロースやクリスマスのツリーの折り紙などを
子どもたちに作ってもらっている。

おせわするのは図書ボランティアの皆さんたち。
忙しい日々をやりくりして、参加してもらっている。


このクリスマスツリーはなかなか優れもの!
鶴が折る事が出来れば、簡単に出来てなかなか雰囲気も出る。
うちもクリスマスの食卓にいつも飾っている。

「昨日、お母さんに持っていったら喜んでくれてん!」
「ぼくは、妹の分を今日作りに来た!」と意欲的
子どもたちはお母さん用、兄弟姉妹用とたくさん作って満足そうだ。
今日は最終日なので、図書室はごった返していた。

 

クリスマスのポップアップカード
簡単に作れるように切り込みは入れてある。
あとは飾り付けやカラフルな色を使ってメッセージを書くだけだ。
誰にあげるのかな?
子どもたちみんな、真剣に取り組んでいる。

 
図書室には折り紙で作った靴下、サンタ、☆なども飾ったりもしている。
お母さんたちのお手製の雪だるまも毎年、迎えてくれる。



ちなみにこの図書室マップは私が作ったのだ~!
(超~、自慢げ…笑)
こんなところで自分の得意分野が発揮されるとは思いもしなかった。

子どもたちが本を選ぶ時、
少しでも迷わないようになればと思っている。

私のようなものでも、何かの役に立つって、結構嬉しい…。


2007年12月13日 | お茶
 昨日は、お茶のお稽古だった。
もうすぐ初釜だというのに、
私はまったく身についてないような気がする。

 


 掛け軸は、暁烏敏(あけがらす)の作で「和」の一文字。
もうすぐお正月を迎えるこの季節にぴったりの格調高い表装。
花器は耳付きの伊賀焼灰かぶりのもの。お花は水仙や雪柳を配してある。

うちの娘の名前にもこの字を使っている。
「和」か…。
でも、今の私には、お茶のお稽古で和んでいる余裕などないのが本音。
かなり、いっぱい、いっぱいなのだ。
確かに和みは必要だわ~と自分に言い聞かせる…。




 

今日は割稽古からでなく、いきなりお薄を点てる。
うっ、出来るだろうか…。

なんだか順番や角度がメチャクチャ…。
先生に横から指示されてようやく薄茶を点てた。
(はぁ…、と大きくため息…。

初釜には私たちが亭主役を務めるというのに、大丈夫だろうか?!
何事も頑張れば、なんとかなると思っていたけど、
この歳になって何かを憶えるというのは、意外と難しいのだった。
「和」には程遠い私…。トホホである。



動注療法

2007年12月11日 | 炎症性乳がん
 今日は二週間ぶりの動注療法の日。
朝一番で福井へ向かう。

ちょうど病院に着いた頃に昨日のA君の件で
美術の先生から電話が入っていた。
A君は、昨日言いたい事を吐き出して、落ち着いたそうだ。
「昨日のような状態が普通であって、今までが無理をしていた。」と
A君のお母さんも言っていらしたようだ。
中学の頃から彼は暗かったらしい。
高校生になって自分を変えようとしていたらしい。
でもいつかは、無理がくる。
そんな時だったみたいだ。

部活の先生、担任の先生、両親ともに話を聞いてもらって
楽になったのか…。
まぁ、それなら良かった。何事もなくて…。

 
さぁ、今日は採血だー!!と意気込んで病院へ入る。
そして、今日の採血は一発!!
(やったー!!いつもこうであって欲しいわん

手首を押さえたままで、女性診療センターに行く。
入り口にはなんだか行列…。

私は、採血の結果待ちもあるので、
重松清の「きよしこ」を読みながら待っていた。
きよしこ (新潮文庫)
重松 清
新潮社

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じっと本を読んでいると目がちらちらするので
(老眼入っています。)
なんだか見覚えある人影…。
「あっ、Eちゃん!」

Eちゃんは私の高校の同級生。
非浸潤の乳ガンで、私がこの病院を紹介した。
彼女はもう手術してから2年。今は、無治療だ。
今日は定期検診に来たらしい。
「じゃ、後で一緒にランチしよう!」という事になった。

彼女が言うには、某雑誌で女性が掛かりたい病院ランキングに
この病院が入ったせいで
患者が激増しているらしいと…。
(そうゆうわけか…。)

この女性診療センターは、いつもはゆったりして待っているのに
今日は座るところさえ探さないといけないくらいだ。
マンモグラフィの待合いもごった返している。

こんなに混んでいるのに、私はいつもより早く
約1時間ほどで診察室に入る。

Dr.「変わりないですか?」
私「はい!」

といういつもの会話をしていたら、あらまぁ~、
私がメールに添付した日展の作品の写真をプリントアウトして
電子カルテの横に貼り付けてあるではないか。

私「いや~ん。先生、ちゃんとした写真を額にいれて持ってくるのに…。」
Dr.「やっぱり、駄目か…。」といたずらっ子のような顔して見るK先生。

動注のリザーバーへの針も今日は一発で決まった!
Dr.「よしっ!」と小さな声で先生はガッツポーズ。
Dr.「ハハハ、自己満足ですね。」と笑っていた。
(お茶目な先生だ…。)

臨床腫瘍科のアメニティールームへ移動して
動注を受ける。


まずは、右鎖骨脇に入っている静脈用のリザーバーから吐き気止めの点滴を入れる。


それから、右鼠径部から入っている動脈用のリザーバーヘシリンジポンプで抗ガン剤を入れる。

約1時間で終了。
それから、まだ診察が終わってないEちゃんの待つ女性診療センターへ向かう。
しばらくして、彼女も診察室へ入る。

しかし、午後の診療に入っているというのにひっきりなしの患者さん達。
(今日も先生はお昼ごはんも食べず、ひからびているんだろうな…。)

ちなみに本日の白血球 2700 NEUT72.5
会計は採血+動注療法/ファルモリビシン40mgマイトマイシン6mg(5fu系)+カイトリル(吐き気止め)
=13,570なり~。今日の治療費は安い!
と思うところが麻痺しているのか…。

なお、今月から治療費は、ガソリン会社のカードで払う事にした。
ポイントが貯まるとガソリンの値段が下がるからだ。
(もっと早く気づけば良かった。)

そして、私とEちゃんは福井の地方情報誌に載っていた台湾料理を食べに
Eちゃんのダーリンと3人で行った。

オープン情報だったにもかかわらず、
この店舗はテーブルに油びっちょりの昔々の店舗…。
(大丈夫だろうか?何が今月オープンしたんだ?!)

天津飯を頼んだら、別のメニューを持ってきて
ランチタイムは同じ金額(650円)でラーメンがつくという。
(怪しい~。怪しすぎるぞ!)

まぁ、勧めてくれるものだから、
素直に「台湾ラーメン」を注文した。
てっきり半分くらいの小さめのものだと思って…。
3人ともに別々ではあるが、せっかくだしとラーメン付きにしてもらった。

それがいけなかった。
「えぇ~!!!これってマジで一人分?」っているくらいの量。
ラーメンは、思い切りたっぷり一人分でした。
しかも天津飯も…。

半笑いしながら、食べる3人…。
(わたしら、ギャル曽根じゃないんだけど…。)
大食らいの人はお勧めですが。

でも、店舗名忘れちゃった!
なんだったっけ…???

もちろん、残してしまったので、
Eちゃんのダーリンに食べて頂いて、しかもご馳走になりました。
でも、思ってもいないとこでEちゃんと偶然会って、楽しい時間でした。

ごちそうさまでした…。
ありがとうEちゃんダーリン&Eちゃん!