今日の私…。
平熱の36、8℃。
痛みは、デュロテップパッチで抑えられている。
このまま、明日の採血の結果が良ければ退院しても良いと言う。
今日は、大人しくして免疫アップに勤めよう!
さて、二日前に、アメリカでバリバリに自動車を
デザインしているRちゃんから
「ハチミツとクローバーに今はまっているんだー。」
とメールをもらった。
なんだ、なんだ~と、すぐにパパに言って大人買いした私。
私たち美大を過ごしたものにとっては
懐かしい青春を思い起こしてくれるらしいのだ。
それを見ないわけにはいかないぞ!
私たちのハチクロとは…。
私は、十数年前、美大にめでたく一発合格。
そもそも下宿などせず、車で通うはずだった。
が、毎日の課題、部活のコンパをすり抜けるほど、
私は真面目ではなかった。
折角買ってくれた新車のコロナを自宅に置いて、
親を説得し、半年おくれで初めて下宿生活に入ったのだった。
そもそも、私が入った下宿は、
家主が急な転勤だったため、まるきり新築。
その上、共同だがピカピカのお風呂、庭付き
台所、洗濯機、トイレだったが、やたらと快適。
一階の玄関脇の応接間の6畳1間で一万五千円の
フローリングの鍵付き部屋が私の住処となった。
口うるさくない管理人さんが下宿の奥の方で暮らしているので、
緩い下宿に住んでいる生徒たちには、
男子禁制で管理人さんが一緒に住んでいるだけで
「鉄壁の要塞、山〇家」と恐れられていた。
しかも、20数年前は携帯なんてないから、
共同のピンク電話は管理人さんの取次があり、
賄いもしてもらっていた生徒もいたので、
超過保護な下宿だった。(私は自炊だけど)
また、下宿人は、みんな大学一年生であり、
一見、良家の子女風(笑)。
当時ビジュアルデザイン(現.視覚デザイン)専攻で
私にこのハチクロを勧めてくれた兵庫県出身のRちゃん、
温熱の機械を送ってくれた静岡出身のH(R)ちゃん、
富山出身のH美ちゃんの三人。
それと、美大のお隣の医療短大の能登出身の看護科のMさんと
日本画専攻の私の5人だった。
でも、この家主の間違いは、女といえども
美大に通っている学生に新築の部屋を貸したと言う事、
それがどうゆう事なのかがわかってなかった事から始まる。
美大の課題は、昼夜問わず、締め切りがある。
正解に言えば、それまでに仕上げて合格をもらえば良いのに、
みんな遊びに夢中で提出期限ギリギリになると、
当然徹夜覚悟の不夜城と化するのだ。
一年生の頃は、みんなレタリングや色彩の授業に泣いていた。
住み込みの管理人さんは、若い女の子が、
なかなか家に帰らない理由もわからず(門限9時)、
なぜ夜でも、こうもバタバタとうるさいのか?
イライラした毎日をすごしていたに違いない。
私だけ一階の玄関脇の応接間だったので、
私の部屋の窓は、いつしか夜の出入り口の専門になっていた。
みんなこっそりと…出て行って、
私が寝ていても構わずコンコンと窓を叩いて出入り…。
そういう心労がたたってのだろう、
二年目には管理人さんが体調不良でいなくなり、
(ごめん、管理人のおじさん、おばさ~ん。よくして頂いたのに…。)
それからは、自分達だけで共同部分は、管理させられた。
トイレ、お風呂、台所などの掃除を割り振り、
お風呂の利用代金は一回に付き100円程度だったと思う。
それでもずいぶん良心的な下宿だった。
でも、ある日、それ…が出た!
ハチクロでいう、「ホームスティ」。
管理したはずその日のゴミ担当がちゃんと捨てないからだ。
ギャーギャーと、上へ下への大騒ぎ。
女の子5人、誰もご〇と闘ったことはないのだ。
闘うすべを知らない私たちはどうしたか…。
はい…。
正解は、「台所洗剤をかけまくった。」です。
その凄まじさは、尋常ではないくらい。
そして、ヌルヌルになったご〇はピクピクと死にたえてました。
しかも、廊下も壁も洗剤だらけ…。
ふと、我に帰った私たち。
転々と残る洗剤の飛び散りを見て、絶句。
これじゃ~折角の新築の利休壁が台無し…。
それから、みんな、私じゃないよね顔で
無言でかたずけましたとさっ。
それから、この下宿に県外赴任先から
大家さんが帰ってくるから、
すぐに出て行ってくれと言われたのは間もなくの事。
それは、管理人がそれを見た後であろうと思われた。
急な事だったのだけど、こればかりは、
理由は深追いせず、みんな黙って、
新しい下宿を探したのでありました。
しかし、Rちゃん、どこがハチクロとシンクロするのかな?
やはり、このご〇のくだりか…。
それか、犀川の河川敷の宴会?
複雑味のご飯だろうか…。
(後半に続く…)
平熱の36、8℃。
痛みは、デュロテップパッチで抑えられている。
このまま、明日の採血の結果が良ければ退院しても良いと言う。
今日は、大人しくして免疫アップに勤めよう!
さて、二日前に、アメリカでバリバリに自動車を
デザインしているRちゃんから
「ハチミツとクローバーに今はまっているんだー。」
とメールをもらった。
なんだ、なんだ~と、すぐにパパに言って大人買いした私。
私たち美大を過ごしたものにとっては
懐かしい青春を思い起こしてくれるらしいのだ。
それを見ないわけにはいかないぞ!
私たちのハチクロとは…。
私は、十数年前、美大にめでたく一発合格。
そもそも下宿などせず、車で通うはずだった。
が、毎日の課題、部活のコンパをすり抜けるほど、
私は真面目ではなかった。
折角買ってくれた新車のコロナを自宅に置いて、
親を説得し、半年おくれで初めて下宿生活に入ったのだった。
そもそも、私が入った下宿は、
家主が急な転勤だったため、まるきり新築。
その上、共同だがピカピカのお風呂、庭付き
台所、洗濯機、トイレだったが、やたらと快適。
一階の玄関脇の応接間の6畳1間で一万五千円の
フローリングの鍵付き部屋が私の住処となった。
口うるさくない管理人さんが下宿の奥の方で暮らしているので、
緩い下宿に住んでいる生徒たちには、
男子禁制で管理人さんが一緒に住んでいるだけで
「鉄壁の要塞、山〇家」と恐れられていた。
しかも、20数年前は携帯なんてないから、
共同のピンク電話は管理人さんの取次があり、
賄いもしてもらっていた生徒もいたので、
超過保護な下宿だった。(私は自炊だけど)
また、下宿人は、みんな大学一年生であり、
一見、良家の子女風(笑)。
当時ビジュアルデザイン(現.視覚デザイン)専攻で
私にこのハチクロを勧めてくれた兵庫県出身のRちゃん、
温熱の機械を送ってくれた静岡出身のH(R)ちゃん、
富山出身のH美ちゃんの三人。
それと、美大のお隣の医療短大の能登出身の看護科のMさんと
日本画専攻の私の5人だった。
でも、この家主の間違いは、女といえども
美大に通っている学生に新築の部屋を貸したと言う事、
それがどうゆう事なのかがわかってなかった事から始まる。
美大の課題は、昼夜問わず、締め切りがある。
正解に言えば、それまでに仕上げて合格をもらえば良いのに、
みんな遊びに夢中で提出期限ギリギリになると、
当然徹夜覚悟の不夜城と化するのだ。
一年生の頃は、みんなレタリングや色彩の授業に泣いていた。
住み込みの管理人さんは、若い女の子が、
なかなか家に帰らない理由もわからず(門限9時)、
なぜ夜でも、こうもバタバタとうるさいのか?
イライラした毎日をすごしていたに違いない。
私だけ一階の玄関脇の応接間だったので、
私の部屋の窓は、いつしか夜の出入り口の専門になっていた。
みんなこっそりと…出て行って、
私が寝ていても構わずコンコンと窓を叩いて出入り…。
そういう心労がたたってのだろう、
二年目には管理人さんが体調不良でいなくなり、
(ごめん、管理人のおじさん、おばさ~ん。よくして頂いたのに…。)
それからは、自分達だけで共同部分は、管理させられた。
トイレ、お風呂、台所などの掃除を割り振り、
お風呂の利用代金は一回に付き100円程度だったと思う。
それでもずいぶん良心的な下宿だった。
でも、ある日、それ…が出た!
ハチクロでいう、「ホームスティ」。
管理したはずその日のゴミ担当がちゃんと捨てないからだ。
ギャーギャーと、上へ下への大騒ぎ。
女の子5人、誰もご〇と闘ったことはないのだ。
闘うすべを知らない私たちはどうしたか…。
はい…。
正解は、「台所洗剤をかけまくった。」です。
その凄まじさは、尋常ではないくらい。
そして、ヌルヌルになったご〇はピクピクと死にたえてました。
しかも、廊下も壁も洗剤だらけ…。
ふと、我に帰った私たち。
転々と残る洗剤の飛び散りを見て、絶句。
これじゃ~折角の新築の利休壁が台無し…。
それから、みんな、私じゃないよね顔で
無言でかたずけましたとさっ。
それから、この下宿に県外赴任先から
大家さんが帰ってくるから、
すぐに出て行ってくれと言われたのは間もなくの事。
それは、管理人がそれを見た後であろうと思われた。
急な事だったのだけど、こればかりは、
理由は深追いせず、みんな黙って、
新しい下宿を探したのでありました。
しかし、Rちゃん、どこがハチクロとシンクロするのかな?
やはり、このご〇のくだりか…。
それか、犀川の河川敷の宴会?
複雑味のご飯だろうか…。
(後半に続く…)