2002年11月18日今からもう5年近く前になるのだが、私は左胸全摘手術を受けた。
今までアキレス腱手術を2回、子宮筋腫の手術など手術はもう8回目なのだが、やはりドキドキしていた。
今思うと、そんなにドキドキしなくても…とは思うのだが…。
2002年11/16(土)10:00 N病院に入院。
早速、術前の検査が始まる。胸のレントゲン、心電図、抗生物質の適正、血液検査
などをして主治医のI医師からの説明を聞き、手術の承諾書を書く。手術まであとは待つのみ・・・
11/17(日)手術前に外出許可を取って、昼~夕方まで自宅ですごす。お風呂には術後しばらく入る事が出来ないので娘とゆっくり入る。
「おっぱいがなくなるのヤダ!!」ってダダをこねられる。
「ママだって、手術するの本当は嫌なんだよ・・・でもね、手術しないと治らないんだよ」と自分にも言い聞かせる。
11/18(月)朝、もしもの事があったらと思って、旦那、娘、母宛に手紙を書く。
読まれなければ、良いのだが・・・.
12:30娘、母、義父母が来る。
13:30手術室に向かう。
「ママ、頑張ってね!!」と娘はニコニコ手を振っていた。
母は黙って手を握り、目にいっぱい涙を溜めていた。
手術室に入るとまだFS病院のKドクターが到着していないので、スタッフが待っていた。
ほどなく来るだろうと、麻酔を打たれる。
13:55FS病院のKドクターが入室し、14:00執刀。16:00過ぎ、手術は無事終了。
皮膚移植もせずに済んだようだ。
麻酔から覚める。
生きている。
でも、腰が痛くて痛くてたまらなかった。
夜まで旦那が付き添ってくれたようだが、うつらうつらすると腰の痛みで起きてしまう。
生きているのだから、痛さをどうにかして欲しいと思うのは贅沢か?
11/19(火)術後2日目。
朝6:30旦那が病院に様子を見に来る。
朝一便で新横浜に行って、昨日手術で取ったガンの組織を運ぶのだ。
38℃の熱が出る。
術後の疲れと腰の痛さで日中もうつらうつらしていて今何時なのかもわからない。
夕方、新横浜から旦那が帰ってきた。
無事組織は届けられたようだ。
それにしても腰が痛い。
夕食からご飯が食べられるようになったが、手が動かせないのでスプーンで食べさせてもらう。
11/20(水)術後3日目。
ようやくベットで起きあがれるようになった。
傷口は知覚神経を脂肪と一緒に取ったので、痛さや温度も感じない。
オシッコの管をはずしてもらって、ようやくトイレに行けるようになる。
でも足下もおぼつかない上、右手は点滴、左手は固定しているので、思うようにパンツも下げる事が出来ない。
勤務中の旦那にお願いして、付き添ってもらう。
「夫婦は一番見られたくないところを見せ合うものなんだ」と、以前にリンパ腫の癌治療中の近所の彫刻家のK先生に言われたが、まったくである。
11/21(木)術後4日目。
傷はトカゲのように治りつつある。
熱も下がって、身体自体は楽になったが、左腕は固定のまま、左胸からのドレーンが着いていたり、点滴の管が抜けないので一人でトイレに行くだけでもハアハア言ってしまう。
点滴のルートはなかなか取れないので看護婦泣かせだ。
何度も刺される私の右腕は針の穴だらけ・・・今日は6回目で成功した。
何度も刺されて痛い思いをする私と、汗をかきながら必死で針を刺す看護婦さんは、ご飯をいっぱい食べて早く点滴を止めてもらおうと企てる。
11/22(金)術後5日目。
今日予定していた胸からのドレーン(管)を抜くのは、まだ70ccの出血があるので見合わせすることになった。
点滴も今日で終わりになった。ドレーンが取れるといよいよリハビリの開始だ。
手ぐすねひいて待っている旦那と夫婦喧嘩にならなきゃいいんだけど・・・・
11/23(土)快晴 術後6日目。
昨日の夜は、左の腕がしびれてなかなか寝付けなかった。
胸からのドレーン(管)を抜くのは、まだ50ccの出血があるのでまたまた見合わせすることになった。
点滴が取れたので、あとは早くドレーンが取れるといいんだけど・・・・でもIドクターが「今日は天気も良いし、外出してきて良いよ~」と言ってくれたので、手術後、初めて外出許可を出して自宅に戻った。
自宅で旦那にリハビリしてもらう。
今までこの人と結婚した意味がわからなかったけど、この病気のリハビリのためだったのか?
やっぱり、理学療法士と結婚して良かったのだわぁ~と思う。
11/23(日)快晴 術後7日目。
今日は日曜日の昼間だから病院も静かだ。
長期で療養している老人が多いこの病院では夜中に「オカァ~サ~ン!!、オカァ~サ~ン!!」と叫んだり、「オォ~イ!!オォ~イ!!」と騒がしい。
女の人は母を呼び、なぜか?男の人は奥さんを呼んでいる。
相変わらず、近くの部屋のコトミチャンは脱走を企てる。
やけに逃げ足は早い・・・16:00、休日でゴルフ帰りであろうIドクターが様子を看に来た。
ドレーンがやっと抜けた。
お昼過ぎに来た娘とパパはベットの上でくつろいで、夕方帰って行った。
11/24(月)雨 術後8日目。
今日からリハビリ開始。
全然左手が動かない。
うちのパパ(旦那)は、交通事故で左手が使えなくなってから10数年もの間、右手だけで生活していると思うとやっとその大変さがわかる。
それでもテレビや冷蔵庫など大きくて重たいものでも片手で運んでいたな~。
私は、あえて手伝わなかった。
それは、パパが嫌がるからだ。
私が病気になって、その気持ちをわかりなさいという事なんだろうか?
そうだとしたら、「もう充分わかりましたので元に戻して下さい!!」って言いたくなる。
夕方、パパから2度目のリハビリを受ける。左手を動かすと痛みが走る。
リハビリ室を通りがかった理事長の息子(ジュニア)がニヤニヤしながら、「大丈夫ですか?」と聞く。
そういえば、夫にリハビリを受けている図っていうのは変に見えるのかな~?
ガーゼ交換の時に初めて自分の傷を見た。
傷が左脇から胃にかけて列車の記号のようにはっていた。
すっっごい、痛そうだけど、痛みは感じないのだ。
Iドクターに「これまでに何が一番に痛みますか?」と聞かれて、腰の痛みと腕のしびれと答えた。
でも、「子供に会えないことが一番の痛み」と言ったら、困るんだろうな~。
と、思いながら黙っていると、「順調に回復しているので、木曜日には退院出来ますよ」
と言われる。(以心伝心か…。)
同じ五歳の娘を持つ親として考えてくれているIドクターに感謝する。
11/28(木)手術後の経過も良く、無事退院