サバイバー日記

炎症性乳がんと告知されて6年間。多発転移しつつ、生きたサバイバーな日々の記録と家族の日記です。

お月見の会

2007年09月30日 | お茶
 今日は、私にとって初めてのお月見の茶会。
控え室でまず白湯をいただく。
これは、今日使うお水を確かめるものだという。
斑入りのすすきとお団子が飾られていた。

 手と口を清めてから、お正客から茶室に入る。
まずは、濃茶から。
お菓子は、すすきの柄が入っているお饅頭。
掛け軸は、「自分の手の中の掬った水に月がいる」という意味のお軸だった。
先生は「この掛け軸の本当の意味は、そんな簡単には(月は)物事はうまくいきません、という事ですよ。」
と教えてくださった。
手の中に掬った水に映った月は、所詮は本物ではないという自戒を込めたものというところだろうか。

 休憩を挟んで、和室で花寄せ。
お茶会に来られたそれぞれがいろんなお茶花を持ち寄っているので種類もたくさんだ。
たくさんある花篭などにお正客から花を生ける。

 私も皆さんに倣って生けてみた。
う~ん、なかなか良いじゃない?
と、思ってたらお水を指すのを忘れてしまっていた。
あちゃ~。

 花寄せが終わると、薄茶。
薄茶では、控え室にあったお団子が出された。
それと、うさぎの姿をしたマシュマロと金平糖。
(このお団子が美味しかった~。)

 お天気に恵まれず、お月見は出来なかった。
が、時間がゆるりと動いているのは、隠れているお月様のせいだろうか?
今日は、花に囲まれて、和やかな茶会になったのだった。

 そんな私は、今週までには公募展を仕上げるつもりでいたのだが、なかなか絵に向かえない日々。
物事は、本当に簡単にはいきません。トホホ














きわちゃん、鯛子ちゃん、ぶげママさん、りおんさんへ

2007年09月29日 | 日々是好日
きわちゃん、鯛子ちゃん、ぶげママさん、りおんさんへ
ついに私にもバトンが回って来ました。よろしく、お願いします!


☆バトンのルール☆
1,必ずバトン回す4人の大切な方々を題名に書いて驚かせて下さい!
2,回ってきた質問には等身大の自分で答えましょう!
3,やらない子はお仕置きです!
4,ルールは必ず記載して下さい!


☆おいくつですか☆

 ついに、来たか~!!
 豪雪だった昭和38年のうさぎ年です。

☆ご職業は?☆
 
 日本画家&主婦
 高校の非常勤講師(パソコンで Photoshop と Illustratorを用いて美術を教えています。)
 漆芸研修所の非常勤講師(こちらは絵画、素描を教えています。)

☆資格は持ってる?☆

 普通自動車、中・高教員免許(美術、工芸)

☆今、悩みが何かありますか?☆

 秋の公募展の締め切りに間に合うか?
 この、お腹にたまった脂肪をどうするか?

☆あなたの性格を一言で言うと?☆

 忘れん坊

☆誰かに似てるって言われたことある?☆

 大学の講堂で突然「西川峰子~!!」(古っ!)って叫ばれた事あります。

☆動物占いの動物は何だった?内容は?☆
 
 変わり者と言われる「狼」デス!

☆人の話には耳を向ける?☆

 耳は向けます。内容は、すぐに忘れてしまいますが(苦笑)
 
☆ギャンブルは好き?☆

 あまり、した事ないです。はまることが怖いので…。

☆好きな食べ物飲み物、嫌いな食べ物飲み物は?☆

 好きな食べ物 スイカ、桃など果物全般
 好きな飲み物 ドライジンジャエール、今は飲めませんが、お酒全般

 嫌いな食べ物 強いて言うならゴーヤ、豚足
 嫌いな飲み物 なし

☆恋人はいる?☆

 「夫」と書いておこう。

☆彼氏・彼女にするならこんな人が理想(5つ)☆

 信念を持っている人、笑顔が素敵な人、家庭を大事にする人、嘘をつかない人、  怒らない人

☆彼氏・彼女とケンカをした時自分から謝れますか?☆

 私から謝ります。が、謝っているだけで、自分が悪いとは思っていない時もある。 (ハハハ…)

☆親友と呼べるお友達は何人いる?☆

 3人かな~?

☆バトンを回してきたあの人・・・正直にこの人のコトは○○である☆

 ともに一緒に歩いて行く人

☆何人家族ですか?☆

 夫と娘と三人暮らし+ワンワン犬

☆ペットは何を飼ってる?☆

 芝犬とシェパードとの雑種のワンワン犬と金魚、ひめだか、黒めだかの一匹づつ


☆今までの自分の経験で面白いことや自慢できることは?☆

 自慢…。強いて言えば、娘と同じ小学校の子ども達から挨拶される事。(そんなにこのオバサンが怖いか?笑)

 面白い事…。会社勤めの時、大笑いしてて、前歯の差し歯がすっぽ抜けた事。
       面白くって、ハマっているのはハンドベル演奏。
       みんなの音が揃わないとホントに間抜けな音楽になります。

☆この為なら1食抜ける☆

 そりゃ~、検査のためだけです。
 
☆趣味・特技(いくつでも可)☆

 趣味 映画、音楽鑑賞、ハンドベル 
 特技 どこでも寝る事が出来る事
   
☆好きなブランドはある?☆
 決めてません。でも、良いものは一生ものとして選びます。
  
☆今行きたいところは?☆
 フィジーの無人島、ベネツェアの川辺、コモ湖のほとりのレストラン
 
☆もし自由に使える100万があったら何に使う?☆
 やっぱり旅行三昧かな~?温泉に海外旅行、両方行きたい!
 
☆将来の夢を語って下さい☆
(娘の産む)孫に会いたい。
 
☆その夢の為に何かしてる事はある?☆
 笑う!食べる!歌う!描く!読む!寝る!
 
☆バトンを回す4人の紹介をお願いします☆

 きわちゃん・・・私にブログを勧めてくれた方。ホームページ作成などを仕事にされてます。
         ブログには、かわいい「あみぐるみ」やアクセサリー!紹介されています。
        「似顔絵あみぐるみ」http://blog.kiwada.jp/

 鯛子ちゃん・・・Gackt様をこよなく愛し、趣味はバレエ!という鯛子ちゃん。
         私と中、高校と一緒の同級生です。http://mixi.jp/show_friend.pl?id=6909519

 ぶげままさん・・・私と同じ炎症性乳がんで頑張っているママさんです!

 りおんさん・・・やはり、私と同じ炎症性乳がんで明るく前を向いて頑張っているママさんです!
 知り合いになって間もないですが、よろしくお願い致します。


 突然指名してしまいごめんなさい。もしかしたら、もう回っているかもしれません が…(汗)よろしくお願い致します(拝)



老人はエサをまく

2007年09月28日 | アートワーク
          2001日展「老人はエサをまく」

 人は「老い」とともに自分ではどうにもならない事が増える。
そのため、老人は自分の願いを叶えるためにいろいろエサをまくのかもしれない。

 この絵を描いた2年前に会社勤めを辞めていた私は、しばらくはフリーの立場でいろいろしていた。
ふとした事で高校の恩師に非常勤講師をする事を薦められた。
当初、計画していた母校には行けなかったのだが、別の高校に週に10時間(週に3日)、デザインと美術を教えに行く事になった。
そして、ちょうどその頃、私の実母がうちの近くに住みだしていた。
(うちの父は2000年の3月にガンで亡くなっている。その事は後々…。)
車の運転が出来ない母は、買い物ひとつするにしても私を呼び出す。
いくら実の母といえども、うっとうしく感じる事は多くなっていたのだ。

 この絵のモチーフは、上野公園で鳩にエサをまいている老女だ。
鳩にエサを与えてはいるが、振り返る人もいない。
歩いている人は、ただただ自分の道を歩いている。
老女は置き去りにして…。

 私には兄弟がいる。
しかし、弟二人には強力な嫁がついていた。
母は、父を亡くしてから弟家族と一緒に住む事になったのだが、父を亡くしたショックもあって癒される日々では無かった。


 人間はどうしようもなく、老いていく。
自分の親を見ていると、とてもそう思う。
それは、私にも言える事なのだが、人はなぜ老いるとエサをまきたがるのだろう。
自分の願いと引き換えに。
それは、哀しくもあり、愛しくもあり…。
だから、老女は母であり、私でもある。

 そんな、ない交ぜの感情を持ちつつ、この画題を決めたのだった。
そして、二学期が終わる頃、この絵を出品した少し後におっぱいの「しこり」に気づくのだった。
でも、二学期の成績を入力し終わってからと検査を一日延ばしにしていた。
まさか自分が「乳がん」だなんて、これっぽっちも思っていなかった。

今、そんな事を思い出す。

そして、今日も母からもらった「松茸」を料理しようとしている。
エサはたまに良いものだ



清風名月

2007年09月26日 | お茶
 今日は2回目のお茶のお稽古。
お花は「宗全篭」を用いたものだ。
「すすき」や「ほととぎす」が美しい。

掛け軸は「清風名月」と書いてあるそうだ。
昨日の満月のお月様も本当に奇麗だった。
秋風が通る茶室で「名月を愛でる季節になったなぁ~。」と、
まったりとしたお茶のひとときを楽しんだ。

 私はお茶の事やこのお茶の先生の事をまったく知らずに入ったのだが、
私が大学の頃に書道を習っていた先生の娘さんである事がわかった。
しかも、懇意にしている近所に住んでいる大学の先輩が小さい頃から親子で通っているそうだ。
まったく別のルートでこの先生にお茶を習う事になったのだが、「縁」というものは本当に不思議なものである。

 来週は夕方からお茶会があるそうだ。
茶会席はないが、花寄せがあるらしい。
楽しみ~♪

豆腐三昧

2007年09月25日 | 日々是好日
 今日は、朝からゾメタの点滴やハンドベルの練習でグッタリ…。
元気を出すだめにも、昨日買ってきた「上野豆腐店」の堅豆腐etc.で夕食を作ろう!

   焼き厚揚げのネギ入り(これが、うまい!)
   豆腐の煮浸し
   おから煮
   豆腐の味噌汁
   焼き秋刀魚&大根おろし
   紫芋の煮物(紫でちょっと気持ち悪い…)
   塩なすび
   玄米
   ミニトマト(長細いのは、愛子ちゃんっていうらしい
   食後にはイチジクとつがるりんごよ~ん

 今日は十五夜。
お団子はないけど、豆腐三昧の夕食でお腹い~っぱい☆
やっぱり、脳内メーカーでは頭ん中が「食」だらけの私らしいかしらん~?


これからの仕事は…2

2007年09月24日 | 日々是好日
 先日、研修所の仕事に行く前にこれからの仕事をどうするか悩んでいた。
モチーフの彼岸花を描きながら、これが最後の授業になるのかも?などとも考えていた。
研修所の生徒達には事情は話したのだが、来月はどうするかわからないとだけ言い残して来た。
帰ってきてからもまだ悩んでいる私…。

 自宅に帰ってすぐに「辞めて来たんやろ?」とパパに言われた。
「ううう…ん。」と、まったく、優柔不断の私である。
来月からどうするのか?
所長がいなかったせいもあり、来月からの事を話する事さえ出来なかったのだが、やはり仕事は仕事。
任期の途中で投げ出すのは気がひける。

 生徒達には、「先生、来月も来て下さいね!」と言われ、
「体調が良ければね…。(来れるように)祈っていてね。」と別れた。

 高校の仕事の方はなんとか他の人の代役を頼めた。
研修所の方は、行くだけでも片道2時間もかかるし、二日間ぶっ通しの仕事で泊まりの仕事なので行く事を躊躇するのだ。
あと、2回、パパには悪いが体調さえ良ければ行こうと思っている。
それが、私の役目という気がするからだ。

さをり織り

2007年09月23日 | 日々是好日
 昨日はパパの職場である専門学校の学園祭に行った。
朝の出勤に合わせて一緒に行ったので、まだテントも張ってない状態だった。
仕方ないので、近くの遊園地に出かけた。

 その遊園地には施設の人はいるにはいるのだが、私達二人の他には誰もいなかった。
娘は、「本当にやってるの~?」
「(誰もいなくて怖いから)帰ろうよ~。」と言う。
あまりにも人っ気もないので、施設の人に頼んで二周回らせてもらえるように頼んだ。
まずい!観覧車の中はあづいんだった…。二周お願いするんじゃなかった、と思った時には、もうすでに観覧車の中。


 気を取り直して、観覧車からスケッチをする。
(もったいないなぁ~)
素朴な感想だ。こんな田舎町では遊園地に朝一番で来ないのだろうか?
10時をまわったので、誰もいない貸し切り状態の遊園地を後にして学園祭に向った。

 学園祭ではリハビリや介護などに関する展示の他にアロママッサージやマクラメの体験講座もしている。
そこで、私と娘は昨年は出来なかった「さをり織り」の体験をさせて頂いたのだが、昨年の夏に別の施設で織りを体験している娘とは違い、私は四苦八苦…。
やっぱり、私には「織り」は似合わないのだわぁ~。

 パタパタ、パタパタと織っていると「鶴の恩返し」を思い出した。
あの鶴は、自分の羽根を抜きながら夜なべして織っていたのだなぁ~と思うと、身を削って絵を描いている自分もその鶴と同じような気持ちだなぁと思った。
恩返し出来るかどうかは別にしてね…。

 夕方から保育園のママ友達らと恒例の飲み会
肝臓が悪い私は、今日も素面でお付き合いだけど、気の置けない仲間達とのおしゃべりは私を癒してくれる。
みんな、ありがとう

ザリガニ釣り

2007年09月21日 | 日々是好日
 昨日の二年生達には、トンボと秋草を描かせた。
今日は、一年生の生徒達と公園にザリガニを釣りに行った。

池には、昨年同様にザリガニがたくさんいた。
まるで、入れ食い状態!
ザリガニ釣りは、一度はまるとおもしろいのだ。
生徒達は描くという目的も忘れて捕る事に一生懸命になるのだった。

 研修所に持ち帰り、スケッチさせた。
私はというと、昨年もザリガニを描いていたので、今回は彼岸花を描く。
彼岸花は大学の時に一度描いた事がある。

ふと顔をあげると生徒達は、うまく描けないで思い悩んでいるようだった。
うんうん、私もあの頃悩んでいたなぁ~。それで良いのだよ。
悩んで、苦しんで、その先には自分の納得するものがあるハズなのだ。

泊まった旅館に柳田邦男氏の色紙が置いてあった。
「読むことも、描くことも、生きるという事なのだ」と。

これからの仕事は…。

2007年09月19日 | 日々是好日
明日から、月に一度行っている一泊二日のお仕事に行かねばならない。
漆器を修業している研修所の生徒達に絵画を教えに行っているのだ。

5年前、病気がわかった時、私は高校生を教えていた。
ちょうど、夏休みに入っていたので、お別れを言う事もなく、その生徒達とは、それまでになってしまった。
その頃の生徒達は、すでに社会人になっているのだろう。

2年前から、治療中ではあったのだが、体調も落ち着いていたので、高校と研修所に教えに行った。
なぜなら、私が今までいろんな先生に教えられた事を私が教える事で、少しでもお役に立ちたかったからなのだ。
何より生徒達といろんな事を話していたりすると、こちらの方が勉強になったり、元気をもらう事も多い。
単純に言うと、楽しいのだ。
だから昨年の今頃に「来年もよろしく」とお願いされた時には、辞めるつもりだったのだが、やはりそれも私の天命かと思いなおし、自分の病気の事も含めて「それでも良いなら…。」と、何かあった時にはサポートしてもらえるように頼んでいた。
しかし、このところの進行の早さや体調の悪さにKドクターからは、「これからは、仕事も無理せずにね。」と言われている。
(いよいよか…。)

あの、5年前のような事は二度としたくはない。
なぜ途中で教えられなくなったとしても、やはり自分の口でその訳を伝えたい。
それで、許してもらえるとは思わないけど。

明日はどうするか?
正直に生徒達に話そうか?まだ、思案中だ。
いつも研修所に一緒に同行している先生もガン患者。
今月は放射線治療のために行けないそうだ。
私もそうゆう理由で休めば、良いのかもしれない。

でも、この先、どんどん体調が悪くなるとしたら…?
多発性骨転移、肝転移、副腎転移、肺転移…。
そんな私が、せめて今年の任期が終わる11月の特別授業まで、あと2回、出来るのだろうか?
でも、そんな状況も裏腹に、それでもどうにかやってみたい気持ちがある。

まだ、生徒達には病気の事は明かしていない。
(うすうす、感じているかもしれないけれど…。)
昨年の高校の生徒達、研修所の生徒達には、「運が良ければ、来年、また会えたら良いね!」と言って、最後の授業をしめた。
今回はどうしようか?

まだ決めていない。

左胸全摘手術の事

2007年09月19日 | 炎症性乳がん
2002年11月18日今からもう5年近く前になるのだが、私は左胸全摘手術を受けた。
今までアキレス腱手術を2回、子宮筋腫の手術など手術はもう8回目なのだが、やはりドキドキしていた。
今思うと、そんなにドキドキしなくても…とは思うのだが…。


2002年11/16(土)10:00 N病院に入院。
早速、術前の検査が始まる。胸のレントゲン、心電図、抗生物質の適正、血液検査
などをして主治医のI医師からの説明を聞き、手術の承諾書を書く。手術まであとは待つのみ・・・

11/17(日)手術前に外出許可を取って、昼~夕方まで自宅ですごす。お風呂には術後しばらく入る事が出来ないので娘とゆっくり入る。
「おっぱいがなくなるのヤダ!!」ってダダをこねられる。
「ママだって、手術するの本当は嫌なんだよ・・・でもね、手術しないと治らないんだよ」と自分にも言い聞かせる。

11/18(月)朝、もしもの事があったらと思って、旦那、娘、母宛に手紙を書く。
読まれなければ、良いのだが・・・.
12:30娘、母、義父母が来る。
13:30手術室に向かう。
「ママ、頑張ってね!!」と娘はニコニコ手を振っていた。
母は黙って手を握り、目にいっぱい涙を溜めていた。
手術室に入るとまだFS病院のKドクターが到着していないので、スタッフが待っていた。
ほどなく来るだろうと、麻酔を打たれる。
13:55FS病院のKドクターが入室し、14:00執刀。16:00過ぎ、手術は無事終了。

皮膚移植もせずに済んだようだ。
麻酔から覚める。
生きている。
でも、腰が痛くて痛くてたまらなかった。
夜まで旦那が付き添ってくれたようだが、うつらうつらすると腰の痛みで起きてしまう。
生きているのだから、痛さをどうにかして欲しいと思うのは贅沢か?

11/19(火)術後2日目。
朝6:30旦那が病院に様子を見に来る。
朝一便で新横浜に行って、昨日手術で取ったガンの組織を運ぶのだ。
38℃の熱が出る。
術後の疲れと腰の痛さで日中もうつらうつらしていて今何時なのかもわからない。
夕方、新横浜から旦那が帰ってきた。
無事組織は届けられたようだ。
それにしても腰が痛い。
夕食からご飯が食べられるようになったが、手が動かせないのでスプーンで食べさせてもらう。

11/20(水)術後3日目。
ようやくベットで起きあがれるようになった。
傷口は知覚神経を脂肪と一緒に取ったので、痛さや温度も感じない。
オシッコの管をはずしてもらって、ようやくトイレに行けるようになる。
でも足下もおぼつかない上、右手は点滴、左手は固定しているので、思うようにパンツも下げる事が出来ない。
勤務中の旦那にお願いして、付き添ってもらう。
「夫婦は一番見られたくないところを見せ合うものなんだ」と、以前にリンパ腫の癌治療中の近所の彫刻家のK先生に言われたが、まったくである。

11/21(木)術後4日目。
傷はトカゲのように治りつつある。
熱も下がって、身体自体は楽になったが、左腕は固定のまま、左胸からのドレーンが着いていたり、点滴の管が抜けないので一人でトイレに行くだけでもハアハア言ってしまう。
点滴のルートはなかなか取れないので看護婦泣かせだ。
何度も刺される私の右腕は針の穴だらけ・・・今日は6回目で成功した。
何度も刺されて痛い思いをする私と、汗をかきながら必死で針を刺す看護婦さんは、ご飯をいっぱい食べて早く点滴を止めてもらおうと企てる。

11/22(金)術後5日目。
今日予定していた胸からのドレーン(管)を抜くのは、まだ70ccの出血があるので見合わせすることになった。
点滴も今日で終わりになった。ドレーンが取れるといよいよリハビリの開始だ。
手ぐすねひいて待っている旦那と夫婦喧嘩にならなきゃいいんだけど・・・・

11/23(土)快晴 術後6日目。
昨日の夜は、左の腕がしびれてなかなか寝付けなかった。
胸からのドレーン(管)を抜くのは、まだ50ccの出血があるのでまたまた見合わせすることになった。
点滴が取れたので、あとは早くドレーンが取れるといいんだけど・・・・でもIドクターが「今日は天気も良いし、外出してきて良いよ~」と言ってくれたので、手術後、初めて外出許可を出して自宅に戻った。
自宅で旦那にリハビリしてもらう。
今までこの人と結婚した意味がわからなかったけど、この病気のリハビリのためだったのか?
やっぱり、理学療法士と結婚して良かったのだわぁ~と思う。

11/23(日)快晴 術後7日目。
今日は日曜日の昼間だから病院も静かだ。
長期で療養している老人が多いこの病院では夜中に「オカァ~サ~ン!!、オカァ~サ~ン!!」と叫んだり、「オォ~イ!!オォ~イ!!」と騒がしい。
女の人は母を呼び、なぜか?男の人は奥さんを呼んでいる。
相変わらず、近くの部屋のコトミチャンは脱走を企てる。
やけに逃げ足は早い・・・16:00、休日でゴルフ帰りであろうIドクターが様子を看に来た。
ドレーンがやっと抜けた。
お昼過ぎに来た娘とパパはベットの上でくつろいで、夕方帰って行った。

11/24(月)雨 術後8日目。
今日からリハビリ開始。
全然左手が動かない。
うちのパパ(旦那)は、交通事故で左手が使えなくなってから10数年もの間、右手だけで生活していると思うとやっとその大変さがわかる。
それでもテレビや冷蔵庫など大きくて重たいものでも片手で運んでいたな~。
私は、あえて手伝わなかった。
それは、パパが嫌がるからだ。
私が病気になって、その気持ちをわかりなさいという事なんだろうか?
そうだとしたら、「もう充分わかりましたので元に戻して下さい!!」って言いたくなる。

夕方、パパから2度目のリハビリを受ける。左手を動かすと痛みが走る。
リハビリ室を通りがかった理事長の息子(ジュニア)がニヤニヤしながら、「大丈夫ですか?」と聞く。
そういえば、夫にリハビリを受けている図っていうのは変に見えるのかな~?
ガーゼ交換の時に初めて自分の傷を見た。
傷が左脇から胃にかけて列車の記号のようにはっていた。
すっっごい、痛そうだけど、痛みは感じないのだ。

Iドクターに「これまでに何が一番に痛みますか?」と聞かれて、腰の痛みと腕のしびれと答えた。
でも、「子供に会えないことが一番の痛み」と言ったら、困るんだろうな~。
と、思いながら黙っていると、「順調に回復しているので、木曜日には退院出来ますよ」
と言われる。(以心伝心か…。)
同じ五歳の娘を持つ親として考えてくれているIドクターに感謝する。

11/28(木)手術後の経過も良く、無事退院

二度目の結婚

2007年09月18日 | 妙好人
今日の妙好人…

今日は二週間に一度の動注療法の日。
前回、埋め直したリザーバーを確認するためにも、Kドクター自らポートに針を刺して確認してくれる事になった。
(通常は腫瘍内科のドクターが入れる事になっているのに。)

でも、またまた入らない。(うっ、嫌な予感…。)
いくらリザーバーでも針を何度も刺されるのは、かなり辛い…。
痛みを和らげるために痛み止めを打ってくれたのだが、それでもなかなか入らない。
ドクターは、プルプルになるくらい力を入れている。

何度かして、針がようやく入った。
「ごめんね。ごめんね…。」と、顔色が変わるくらい申し訳なさそうに何度も謝るドクター。
「いえいえ、こちらこそ。私のお腹が脂肪たっぷりだから、痩せている人だったら入りやすいでしょうね。」と私も申し訳なく思う。

よく、乳腺のドクターとは「二度目の結婚」をするという。
長い付き合いになるので、余程相性が合わないといけないらしい。

この腰の低さ、ドクターハラスメントとは程遠く、私がピンチの時には頼りになる。
そうゆう意味では、妙に好きな人なのだ。

セカンドオピニオンで知り合ってから、かれこれ5年…。
5年前、炎症性乳がんと聞いた頃、5年生存率は1~3%という資料しかなかった。
私が生きていられるのもこのドクターのお陰だ。

今日も私の寿命を少しでも延ばすために頑張ってくれていた
有り難い

妙好人

2007年09月17日 | 妙好人
 世の中にはつくづくこんなにも良い人がいるんだなぁ~、と思う事がある。
そんな人の事を金沢の哲学者「鈴木大拙」は「妙好人」と言ったそうな。(妙に好きな人って感じなのかな…。)
世の中、そんな捨てたものでないと思えるのである。
そんな人に出会うと生きていて良かったと思うのである。


今日の妙好人…

私の日本画の作品を教授してくれるT先生。色の発色がイマイチの私の絵を見ながら、「僕の持っている絵の具を送ってあげるよ!」と言ってくださる。こんな私のためになんとかしてあげようと思ってくださる。それだけで、有り難い。欲も得もなく人のために何かするという事はしようと思っても、なかなか出来ない。自分もそうなりたいと思うのである



懲りない私

2007年09月17日 | 日々是好日
 土曜日から3連休というのに、明日は秋の公募展の下見会~~。全然出来てない懲りない私…。
先週、7月に入れた動注療法のためのリザーバーが、お腹の中でひっくり返り、元の位置に戻すために診察室で手術したのだ。
まだ抜糸もしていないので、150号の絵を持ち運ぶのは当然諦めた。
明日は、画材屋さんのトラックをお願いしてあるのだが、何時に来るのかわからない。
こんなへろへろな体で徹夜すると、すぐに免疫が落ちてしまうのは明らかだ。
昨日も午前様で描いていると、「いい加減にしろ~!!」とパパ(旦那様)に叱られた。
今までは、搬入前(締め切り前)はお約束のように徹夜していたのだが、締め切りまであと約一ヶ月。
まだ…ある。
な~んて、思っていると、すぐに締め切り日が迫ってきて、またまた徹夜しなければ仕上げる事すら出来ないという私。
懲りないなぁ~。
明日の下見会のためには、急ぎたいのだが…。
あぁ~、今夜も眠れない。

【原発(術前)の様子】

2007年09月16日 | 炎症性乳がん
【原発時(術前)の様子】 
 38歳・既婚・夫・5歳の娘の3人暮らし/非常勤講師、日本画家
 流産経験4回(不育症のため)、子宮筋腫手術歴あり

◆2001年11月生理前に左胸に5cmのしこりをみつけ、二学期が終わる12月に乳ガンの検診(マンモグラフィー)をして異常なしの診断を得る(KN病院)(※この一ヶ月前に四度目の流産)

◆その後しこりが気になるため、かかりつけのMクリニック(産婦人科)に診察してもらうが、気にするなという診断・・・・?「絞れば、良い」と言われたので、絞ったら血が出た。(この血が出た時点で、他の病院の外科でもう一度受診するべきだった。)

◆2002年3月それでもしこりが気になるのでとホルモンのバランスが悪いとの診断で ホルモン剤を飲む。
(どうもこれが良くなかったらしい・・・)

◆2002年4月左胸全体がだんだん大きくなってきて(約10cm)固くなり、ジリジリと痛みが出てくる(種類の違うホルモン剤を飲む)

◆2002年5月痛みとともに赤みを帯びてくる(この頃乳腺の炎症だからと抗生剤を飲まされてた)

◆2002年6月~7月より大きくなり、痛みがより強くなり(約15m)パンパンで寝ても眠りが浅く、左に寝返りも出来なくなってくる。

◆2002年8月5日患部はパンパンに腫れ上がり、熱を持ち、針でつつかれる夢を見るくらいだった。
もう、我慢しきれなくなった私は再度Mクリニックを受診した。その産婦人科医は抗生剤を外科で点滴してもらえば良いと言い、元のKN病院への紹介状を持たされる。
 同日12月に紹介状を持って、以前診て貰った同じ医師に診察されることになる。 胸を見るなり、「なぜ?早く来なかった!!」と怒られる(KN病院にて)しかも、確定診断は生検で細胞を調べないとわからないと言われる。「今はお盆の時期で病院もお休みだから、検査はまぁ、それが終わってからですかねぇ~。」などと悠長な事を言われる。この医師には命は預けられないと思い転院を決意。

 頭が大混乱の中、同日、主人の勤めている病院に相談しに行く。
(KN病院で検査スケジュールが入らないものは、N病院で検査してもらった。)

◆2002年8月7日炎症性乳ガンの告知(KN病院にて)(当時、38歳)

◆2002年8月9日すべての検査結果(胸部レントゲン、胸部&頭部CT、胸部&腹部 MRI 骨シンチ)をもってN病院の主治医の紹介でセカンドオピニオンのFS病院に行く(主治医の先輩でもあり、乳腺の専門医)

◆2002年8月13日治療開始 1クール目 化学療法   
   (ステロイド+エンドキサン1000mg,アドリアマイシン100mg)
◆2002年9月3日 2クール目 化学療法
(ステロイド+エンドキサン1000mg,アドリアマイシン100mg)  
◆2002年9月24日   3クール目 化学療法
     (ステロイド+エンドキサン1000mg,アドリアマイシン100mg)
いずれもN病院にて(但し、FS病院の乳腺専門医の指導)

◆2002年9月24日   4クール目 化学療法

◆2002年10月30日 免疫療法のSYクリニックを受診(手術時の細胞から免疫治療に必要な細胞を取る事になる)

◆2002年11月12日 術前最後のFS病院の診察。主人のいるN病院で 左胸全摘手術をFS病院の乳腺専門医が執刀する事になった。リンパ節を取るか取らないか?は、リンパ節の転移があり、他の臓器には転移がない事がわかったので、今後の事を考え、すっぱり取る事にした。
 
術前の検査では、リンパ節の転移は左に2個
左胸の病巣は15cm以上、2クール終わった時点で10cmに縮小し、一部石灰化。

生検の結果、癌培養に失敗、抗ガン剤の感受性はわからず、ハーセプチンは不適応。
但し、ホルモン感受性があるため、ホルモン治療皮下注射を月に一回投与。(ゾラテックス)
 



炎症性乳がんとは…

2007年09月15日 | 炎症性乳がん
はじめに…。
この書き込みは、あくまでも私自身の経験からのものです。治療内容などは人によって違います。
(これは抗ガン剤をする前に抗ガン剤の感受性テストなどする事でもあきらかです。)
私は医療関係者でもないので、書き込みに間違いや誤解があるかもしれません。その事を踏まえて、お読み下さいね!



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「炎症性乳ガン」
 乳がんの中でも、かなりやっかいなこの炎症性乳ガンは、「乳がんは、痛くない!(自覚症状として)」という常識?!をくつがえす痛みを持つ乳がんです。初めは赤い発疹として現れるので、乳腺炎と間違われる事があります。(実際、私はマンモグラフィーで確認したのにもかかわらずしこりが確認できないという事で、産婦人科の病院で乳腺炎の治療を8ヶ月もしました。)ですから、乳がんの疑いがある時は、産婦人科でなく、必ず外科(乳腺外科の専門医または認定医がいるところ)を受診してマンモグラフィとエコーの検査をしましょう。初めはほんのりとした赤みとチリチリとした痛みがあるのですが、やがて発赤とともにぽつぽつとしたオレンジの皮のような毛穴になって大きくなり、カチカチになっていきます。炎症性乳癌とは疾患名ではなく、乳房の広範囲、もしくは全域に認められる発赤、腫脹、疼痛などを認める状態に対する臨床診断名であり、その組織型の80%以上は硬癌だそうです。

炎症性乳ガンの生存率
1995年ごろの炎症性乳がんの治療成績があります。
放射線、抗ガン剤、手術などを組み合わせる事により生存率が高まったとの報告です。