サバイバー日記

炎症性乳がんと告知されて6年間。多発転移しつつ、生きたサバイバーな日々の記録と家族の日記です。

悲しいほどお天気

2008年02月11日 | 日々是好日
今日の朝方は、すごい深い霧がかかっていた。
病院から見る福井の町は、薄ぼらけていて、
この世のものとは言えないくらいだ。
朝が白々と明けるとこれまた、
悲しいくらい爽やかなお天気になった。

昨日の夜は、美大の同級生達との宴会の予定だった。
ついでに言うと、一昨日は、図書ボランティアの夜の食事会、
先一昨日は、高校の同級生の新築訪問の予定とお楽しみの予定がてんこ盛りだった。
特に、昨日の予定は私が幹事だったこともあって、みんなに迷惑をかけてしまった。
けど、昨日の夜、美大の後輩から、楽しい宴会の雰囲気そのままの写メールが送られてきた。
楽しそうだ。良かった。幹事を引き受けてくれたIちゃん、ありがとう~!写メも嬉しかったよ。

それから、東京から来たMちゃん、
今度は絶対に復活してるからね~。
春に東京に行った時は、Aちゃん、Tちゃん、
それからRちゃんも誘って花見しようね!

♪またね!ぜったい!またね~!o(^▽^)o

ゆっくりと…。

2008年02月10日 | 炎症性乳がん
痛みは、9割方だいぶ良くなってきた。
オキシコンチンは、低用量の5mgを朝と夕方の8時に時間を決めて飲む。
それで、痛みが軽減されなければ、レスキューと言って、
追加で即効性のあるモルヒネを使うそうだ。

私の場合、普通のロキソニン、ロブ、座薬でさえも
胃潰瘍を悪化させるので、モルヒネを使うのだ。
(だから、胃に疾患がない方はご心配なく…。)

入院した前夜、脇腹全体が針に刺されるくらい痛かったのだか、
あばら骨の痛みの箇所が指定出来るようになってきた。
バストバンドであばら骨のところも固定している。
胃潰瘍の方は、痛む事はなくなったのだが、
食欲がなかなか戻らない。

そこで、毎日、栄養点滴と強ミノをしてもらっている。
退院までには体調も整えて、普通の生活に戻りたい。
来週の火曜日は私の体調を見て、良さそうなら胃カメラで胃潰瘍の状態を調べるそうだ。
その後、予定通り、CMF、ゾメタをして退院の予定だ。

家族の事は気になるが、退院までは、ゆっくり、ゆっくり…と。

只今、入院中

2008年02月09日 | 炎症性乳がん
火曜日の夜あたりからわき腹、
肝臓辺りが痛みだした。
明日は高校の同級生たちと会う事になっているのに…。
まったく、この私の体って、フニャフニャだ。
夜中だったので、取りあえず睡眠薬でごまかして寝た。

朝、一番で金沢の主治医に電話をかけるが捕まらない。
しかも、今日から学会で3日間不在だと私は知っていた。
仕方なく、福井の病院に連絡をする。
私は、すぐさまKドクターに携帯からメールを入れた。
「待機しています。」と心強い返事…。
(ありがたい…。)

パパと入院の支度をして福井に向かう。
私は痛みが出るので普通に歩く事もできない。
車椅子で検査を回ったがはっきりした原因がわからない。
ただ、あばら骨への骨転移が肝臓の腫れで圧迫されて
痛みが出ているのかもしれないという事だった。
痛みは、モルヒネ(オキシコンチン)で取る事になった。
しかも、私の胃潰瘍は未だにすっきり治りきらない。
だから食事もどんどん細くなるばりだった。
Kドクターは、「このまま帰っても良いけど、
しばらく、様子を診るためにも部屋が空いていれば、
入院するのも手だよ~。」と言う。

ここは、素直に入院して痛みのコントロールをしてもらおうと思う。
なので、しばらくは携帯からの投稿になります。

今日のお昼ご飯の写真もちゃんとアップされるかしら?
取りあえず、私は水曜日辺りまで福井に入院中で~す(^-^)/

五里霧中

2008年02月05日 | 炎症性乳がん



 今日は、朝一番で福井のFS病院へ診察に向かう。
高速道路から見える雪山には、厚い雲がかかり、
雪は降ったりやんだりして、ドライブには適さない走りにくいお天気。
道路には50キロ制限されているところもあって、
かなり遅れて病院に到着。

急いで、採血をして、女性診療センターに向かう。
2週間前の抗ガン剤の効果(副作用)はどうだろうか?

Dr.「(CMF)しんどかった?」
私「いや、別に…。」(お前は、○尻○リカか!?)

Dr.「そう?!白血球がかなり下がってるし、貧血気味だね~。
  それに、赤血球も下がっているしね。」
私「私は、それより胃潰瘍の後がまだ治ってないのか胃が痛くって…。
昨日は一日寝てたんです。やっぱり、消化が悪いものを食べたせいかな~?
今日は痛くないし…。(笑)」

Dr.「白血球は1000だから、注射(ノイトロジン)を三日続けなきゃね。
それと、赤血球も下がり気味だから…。」
私「輸血も必要かもしれないという事ですね。」
(1000なんて、初めてだよ~~。

Dr.「今日はここで(ノイトロジンをうって)、後は金沢で良いから…。」
私「じゃ、来週の抗ガン剤投与も金沢でしたいんですが…。」

Dr.「うん、良いよ~。じゃ、I先生(金沢N病院)に手紙書いておくね!」

という事で、動注のルートに生食を流しもらって、
ゾラテックスの注射をうってもらいながら、

私「先生、ラスベガスどうでした?」と聞く。
Dr.「あそこは、大人の娯楽の街ですね。」
(いやいや、そういうのが聞きたいのでなくて…。
ちょっと興味はあるけど。

私「私は先生が大もうけしてくるのかと、ちょっと期待してたんだけど~。」(笑)
Dr.「ぜんぜ~ん。帰ってきたら、現実に引き戻されたね…。
いや~、こんなにお金を使っていたのかと…。」

結局、ラスベガスの学会の事は聞けなかった。

でも、いつも忙しい思いをしている先生は、
それなりに大人のゴージャスな楽しみをして、
たくさんお金を使って、気分転換になったのかな???(笑)


看護師さんにノイトロジンの注射をうってもらって
今日の会計は、¥19,580 也。

さすがに白血球がこんなに下がるとやたらと眠い。
待合い室でも、すぐに寝れそうだ。

貧血もあるので、立ちあがるとフラフラ…。
体は胃潰瘍で5キロも痩せたというのに、
自分の体が重くて重くて仕方ない。
このフニャフニャの体では、起き上がるのも一苦労なのだ。

このままでは、外出もままならない。
明日からノイトロジンの三連ちゃん注射して、
どうにかしてもらおう。(もちろん、赤血球が低ければ輸血あり。)

でも~、今週に限って、予定がたくさん入っている私。
どの予定をキャンセルしようか…。
う~ん、悩ましい~~。

それでも、今日は福井から帰らなければ…。
ぼーっとした頭で帰路を急ぐ私だった。


リンパ浮腫1

2008年02月03日 | 炎症性乳がん
 私は、全摘手術の時にリンパ郭清している。
だから、現在も体調が悪くなったり、抗ガン剤が強く反応すると
リンパ浮腫が左腕に出てくる。
しかし、(あくまでも)私の場合については、リンパ郭清した事は、
間違いではなかったと思っている。

 思えば、2002年11/18にした手術の前に、金沢の主治医とも福井の主治医ともに
リンパ郭清するかしないかを揉めた経緯があった。

それは、なぜかと言うと、私の職業が「絵を描く」画家だったからだ。
どちらの主治医もリンパ郭清すれば、リンパ浮腫になる可能性があると心配していた。
リンパ浮腫になる→絵を描く事が困難になる→QOLが下がる→お勧め出来ない
…という事だった。

だからと言って、私のような炎症性乳ガンの場合はかなりの確率で
リンパへの転移が認められる。
実際、術前の検査段階では、すでにリンパへの転移が2~3個認められていた。

しかし、炎症性乳ガンの場合、リンパ郭清したからと言って、
「予後にはまったく変わりがない」というのが揉めた原因なのだ。
要するにエビデンスに基づいた治療にこだわるとリンパは郭清しないという事だ。

そこで、「では、他の臓器には転移がないのか???」という疑問が
当然出てくる。

何度も私はしつこいくらいに相談した。
私があまりにしつこいので、他の臓器に転移がなければ、
リンパ節への転移を残しておくより取っておいた方が良いのではないのか?
という玉虫色の模様を呈してきた。
そして、私の体の他の臓器への転移をシラミ潰しに調べた。

結果、他への転移は認められなかった。

金沢のI Dr.は、「(リンパ節転移を)残しておいても、すっきりしないでしょう。
○○(私の事)さんは、はっきりさせたい人だからね~。」(笑)と諦め顔で言った。

それでも、私は迷っていた。

その翌週に行った福井の診察では、
K Dr.は、「じゃ、(スッキリ)取りましょうか!」と明るい声で言った。
(まるで、Iドクターと示し合わせたかのようなお答え…。)

元々、K Dr.は予後が変わらなくとも、リンパ節郭清をするか、しないかは
その人の生き方にかかわる事なので、医者が決めるのではなく、
患者さんの意志で決めるべきという考え方なのだ。
但し、どちらにもリスクがあり、その結論を私が出すまで待ってくれていた。
こうして、私は郭清する事になった。

(※ただし、初期の乳ガンの場合は、術中にセンチネルリンパ節
を検査して、郭清するかしないかを判断する事も出来ます。)

同じ頃、炎症性乳ガンで知り合った方は、
独身だった事もあり、リンパ郭清しなかった。
その事で後々の転移も私よりも早く、苦労なさっていた。

かなり進行した状態で、リンパ節を切除したので
体だけでなく精神的にもダメージも受けていた。

私個人的な気持ちとしては、体の中に転移巣が残るっていう事は
患者の気持ち的にもあまり良い事ではないと思う。

 このリンパ郭清についての選択は、患者が術後の生活をする上でかなり大切な事だ。
しかも、リンパ郭清した後のリンパ浮腫について正しい指導や
マッサージ等が出来る人材があるとは言えない日本の状況だ。

折しも、先月末ようやく入院中に1回に限りのリンパ浮腫に対する指導、治療が
医師、看護師、理学療法士でも保険診療で可能になった。
今までは、良心的な病院、施設でのオプショナルサービスだったのだ。
これからは、入院中だけでなく、リンパ浮腫になった患者の
指導・治療に対して広く保険診療が認められて欲しいと思う。
そうしなければ、積極的にリンパ浮腫の治療等は改善されないからだ。

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~1月30日中医協の資料より~ 2008年4月より改訂

(以下抜粋)

まだ点数は入っていませんが、おおむねこの内容で進むものと思われます。
概要は下記のとおりです。


骨子【III-1-(8)】
リンパ浮腫に関する指導の評価

第1 基本的な考え方

リンパ節郭清の範囲が大きい乳がん、子宮がん、卵巣がん、前立腺がんの
手術後にしばしば発症する四肢のリンパ浮腫について、その発症防止のため
の指導について評価を行う。


第2 具体的な内容

リンパ浮腫の治療・指導の経験を有する医師又は医師の指示に基づき看護
師、理学療法士
が、子宮悪性腫瘍、子宮附属器悪性腫瘍、前立腺悪性腫瘍又
は腋窩部郭清(腋窩リンパ節郭清術)を伴う乳腺悪性腫瘍に対する手術を行
った患者に対し、手術前後にリンパ浮腫に対する適切な指導を個別に実施し
た場合の管理料を新設する。

リンパ浮腫指導管理料 ○○○点(入院中1回)

[算定要件]
保険医療機関に入院中の患者であって、子宮悪性腫瘍、子宮附属器悪性腫瘍、前立
腺悪性腫瘍又は腋窩部郭清を伴う乳腺悪性腫瘍に対する手術を行ったものに対して、
医師又は医師の指示に基づき看護師等(准看護師を除く。)が当該手術を行った日の
属する月又は当該手術を行った日の属する月の前月若しくはその翌月のいずれかにリ
ンパ浮腫の重症化等を抑制するための指導を実施した場合に、入院中1回に限り算定
する 。

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 私の場合は、理学療法士であるパパが、術後のマッサージ等をしてくれたので
軽い浮腫はあるが、あまり苦労はしなかった。
それでも、腕が重くなると自分でマッサージしたり、
ドクターメドマー(エアマッサージの機械)を術前に購入し使っていた。
これは腕のものや足のものもある。
術後、この機械を使うと、なぜかトイレに行きたくなった。
体全体の血行不良やぷくっと膨れてしまった脇の下の
リンパ管の流れの悪さに役立っていたのだと思う。

しかも、なにしろ、気持ち良~いぃ。

その事を踏まえて、リンパ浮腫は、
酷くなる前に自分でマッサージするなり、
機械を使ったりしたり、
弾性スリーブを使ったりして、予防して欲しいと思う。

そうゆう私も術後から使っているメドマーが、
ついこの間、壊れてしまった。
早く修理に出さねば…。
最近はお風呂で、左腕をモミモミの日々なのである。

リンパ郭清についてや、リンパ浮腫に悩んでいる皆さん、是非ご一考あれ~。

和顔愛語

2008年02月02日 | お茶
 水曜日に行けなかったので、
今日の午後にお茶のお稽古を振り替えてもらった。

玄関の棚に飾られているのは、
明日の節分に合わせて、縮緬で作られた「鬼とお福さん」。
鬼とお福さんが向かい合わせになっているのが
なんとも微笑ましい。
それと、先生のお父様の書。

 

 先生のお父様は何年か前にお亡くなりになったのだが、
この地方では、かなり有名で日展でも会員の方だった。

書には、「和顔愛語」と書いてある。
和やかな顔で愛のある言葉を…という意味か。
嫁に行く娘に持たせてくれたのか?
(ちょっと耳が痛い…笑)
娘の幸せを願う父の思いが感じられる。

  

お茶花は木苺の枝と椿。
花瓶は大樋焼きのもの。
お干菓子も、「お福さんと梅」でお揃いになっている。
お軸は、扇面の形に合わせた、優しい流麗な字だ。
このお軸には、





 行ト言トハ須ラク一貫スベシ
(行いと言葉とはすべからくひとすじにすべし)

 誠義自カラ神ニ通ズ
(誠義みずから神に通ず)

 真グニ要目ヲ把握シテ
(真っ直ぐに要目を把握して)

 温顔衆人ニ接セン
(温顔衆人(みんな)に接せん)

と書いてあるそうだ。
まさに、玄関に掛かっていた書と同じような意味だ。
鬼の顔をして、言葉を発していては、愛の言葉も伝わらないのだ。

しかし、このような事は言うのは簡単だが、
なかなか難しい事だと思う。

 

 お稽古は、先週に引き続き、青漆爪紅長板で諸飾り。
蓋置の薦被りの牡丹が可愛い。

そして、今日の私は、4人の方に薄茶を点てさせていただいた。
ちょっとは慣れてきたかしらん???
でも、平棗の扱いや筒茶碗の扱いにどぎまぎ…。

まだまだ修行が足りません。トホホ