サバイバー日記

炎症性乳がんと告知されて6年間。多発転移しつつ、生きたサバイバーな日々の記録と家族の日記です。

和顔愛語

2008年02月02日 | お茶
 水曜日に行けなかったので、
今日の午後にお茶のお稽古を振り替えてもらった。

玄関の棚に飾られているのは、
明日の節分に合わせて、縮緬で作られた「鬼とお福さん」。
鬼とお福さんが向かい合わせになっているのが
なんとも微笑ましい。
それと、先生のお父様の書。

 

 先生のお父様は何年か前にお亡くなりになったのだが、
この地方では、かなり有名で日展でも会員の方だった。

書には、「和顔愛語」と書いてある。
和やかな顔で愛のある言葉を…という意味か。
嫁に行く娘に持たせてくれたのか?
(ちょっと耳が痛い…笑)
娘の幸せを願う父の思いが感じられる。

  

お茶花は木苺の枝と椿。
花瓶は大樋焼きのもの。
お干菓子も、「お福さんと梅」でお揃いになっている。
お軸は、扇面の形に合わせた、優しい流麗な字だ。
このお軸には、





 行ト言トハ須ラク一貫スベシ
(行いと言葉とはすべからくひとすじにすべし)

 誠義自カラ神ニ通ズ
(誠義みずから神に通ず)

 真グニ要目ヲ把握シテ
(真っ直ぐに要目を把握して)

 温顔衆人ニ接セン
(温顔衆人(みんな)に接せん)

と書いてあるそうだ。
まさに、玄関に掛かっていた書と同じような意味だ。
鬼の顔をして、言葉を発していては、愛の言葉も伝わらないのだ。

しかし、このような事は言うのは簡単だが、
なかなか難しい事だと思う。

 

 お稽古は、先週に引き続き、青漆爪紅長板で諸飾り。
蓋置の薦被りの牡丹が可愛い。

そして、今日の私は、4人の方に薄茶を点てさせていただいた。
ちょっとは慣れてきたかしらん???
でも、平棗の扱いや筒茶碗の扱いにどぎまぎ…。

まだまだ修行が足りません。トホホ








冬仕立て

2008年01月25日 | お茶
 水曜日は久しぶりのお茶のお稽古だった。
新年早々入院していたので、楽しみにしていた初釜は
来年にお預けになってしまい残念…。
その時の写真を見せていただいた。

その時は、女王棚だったので、
今日は小振りにして、「長板諸飾」
飾り火箸と柄杓を花瓶に立てる飾り方だ。



 掛け軸は没骨法で描かれた水墨画。
雪景色が美しい。

 お花は清らかな桃色がかわいい椿。
新芽の枝を添えて、春の訪れを待つこの季節に
ほっとする温かな色。
掛け軸の軸装に使われている縹色も美しい。

 

この煙草盆に使われている火箸と
柄杓と一緒に立てられている火箸は
お揃いの小鳥がついていて、なんとも可愛い。



抹茶碗も冬仕立てのため、碗の口がすぼまっている筒茶碗。
その方がお茶が冷めないからだ。
しかし、そのため碗の持ち方が違ってくる。
久しぶりなので、私の薄茶のお稽古は、
今までわかっているはずのものが
出来なくなっていたり、とても恥ずかしいものだった…。



この日は雪見障子から外のお庭が見えた。
今日の雪で、さぞ綺麗になっているだろう。



 明日は、春の展覧会のための日本画の
小下絵を見てもらう下見会。
日展の春季展のためのものだ。

さぁ、ちょっとゆるゆるになったネジを
まき直さねば!!

背筋を伸ばして、シャキッとして…。
でも、未だに何を描こうか、まだ迷っている私であ~る。


今日無事

2007年12月19日 | お茶
 

 今日は、お茶のお稽古だった。

掛け軸は「今日無事」という今年の最後のお稽古にふさわしいもの。
今年も無事に過ごせました、という安堵と感謝が感じられる。

お花は寒椿と綿の花。花入れはコンプラ瓶(金富良瓶)。
このコンプラ瓶は、江戸時代にJAPANSCH ZOYA(醤油)を
オランダ船に積むために作られたものだそうだ。

私も今年は肝臓の転移でいろんな事を考えさせられもしたが、
こうして無事にお茶を頂ける今日のこの日に感謝したい。

人間とは不思議なもので、来年はどうなるかなどと不安になったりする。
そうゆう一面で、今日この時間、突然事故で亡くなる方もいるだろう。

私がこの病気になった時、知り合いの方に私の病気の事を打ち明けた。
「私たちも、今日(明日)事故で死ぬかもしれないのは同じだから…。」と慰められた。
もちろん、私は「人間はいつか死ぬ」と思っている。
(当たり前の事だが…。)
でも、漠然とした「事故で死ぬかもしれないという不安」と
「治らないと言われた病気に掛かり、苦しんでいる途中」の私と
同じ次元にして欲しくはなかった。
その時の私にはとても受け入れ難かったのだ。

でも、この広い宇宙の出来事の中では、
私ごとき事、病気でいつ生きるか死ぬか…なんて事は
まったく関係ないのかもしれないと思うようになった。

実際、この方は私と同じ立場になったらどうするのだろう。
きっと、苦しむだろう。
でも、その時、私はオウム返しのように
その方に同じ言葉を投げかけたりはしない…。
今日を無事に過ごせれば良いのだから。


私は今日も薄茶のお点前のお稽古をした。
でも、なかなかうまくは出来ない。

その後、薄茶、炭点前が終わり、
今日は「数茶」をした。

 

「数茶」の札元は、お詰が務める。
折拱(おりせい)の中から一人、一人にお札を取り、
札元が開けた札の順番にお茶を頂くという
通常とは違う、ちょっとお遊びが入ったものだ。

私は菊の札だった。
菊の札を開けられると
「菊の札、お除きを…。」と言う。
そうしないと何度もお茶を催促する事になる。
結局、私のお札が一番最後になったが、
今日も美味しくお茶とお茶菓子を頂いた。

 一日、一日を大切に、充分に生きる事。
それはこの病気に掛かってこそ、心底思える。
今日のこの日も、有り難い…。


2007年12月13日 | お茶
 昨日は、お茶のお稽古だった。
もうすぐ初釜だというのに、
私はまったく身についてないような気がする。

 


 掛け軸は、暁烏敏(あけがらす)の作で「和」の一文字。
もうすぐお正月を迎えるこの季節にぴったりの格調高い表装。
花器は耳付きの伊賀焼灰かぶりのもの。お花は水仙や雪柳を配してある。

うちの娘の名前にもこの字を使っている。
「和」か…。
でも、今の私には、お茶のお稽古で和んでいる余裕などないのが本音。
かなり、いっぱい、いっぱいなのだ。
確かに和みは必要だわ~と自分に言い聞かせる…。




 

今日は割稽古からでなく、いきなりお薄を点てる。
うっ、出来るだろうか…。

なんだか順番や角度がメチャクチャ…。
先生に横から指示されてようやく薄茶を点てた。
(はぁ…、と大きくため息…。

初釜には私たちが亭主役を務めるというのに、大丈夫だろうか?!
何事も頑張れば、なんとかなると思っていたけど、
この歳になって何かを憶えるというのは、意外と難しいのだった。
「和」には程遠い私…。トホホである。



室閑茶味芳

2007年12月06日 | お茶
 昨日の朝、4の2の朝読みに入った。
何を読もうか?などと考えがまとまらないままに教室へ入った。

えぇ~いぃ!っと、棚からひとつかみ…。
急行「北極号」を読む。

急行「北極号」
クリス・ヴァン・オールズバーグ,村上 春樹,Chris Van Allsburg
あすなろ書房

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この絵本は映画の
ポーラー・エクスプレス

ワーナー・ホーム・ビデオ

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でも有名になったので、
みんな知っているだろうけど、意外と知らない子どもも多かった。

このところの娘のサンタさんへの反応しかり、このクラスの子達も
「サンタなんかぜったいおらんし!」って顔をしている。
そんな顔を尻目に読む私。
このクラスはいつもあまりに静かなので、
本に興味がないのかと思うくらい…。
でも、クリスマスの本は、興味をひいて良かったのかもしれない。

「サンタクローズは本当にいるの?」
そんな思いを抱く娘にも久しぶりに
また読んであげたい夢のある話だ。

ちょっと時間が余ったので、
子うさぎましろのお話 (おはなし名作絵本 3)
佐々木 たづ,三好 碩也
ポプラ社

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をちょっとだけ話して、
「後は図書室で見つけて読んでね!」と帰った。

その後、駅でお歳暮を買いに行く。
ついでに、うちの家族の大好きな
森八の「城の石」(もなかの皮と餡が別々になっているのだ!)
「不室屋」の麩饅頭
「あめの俵屋」の飴を買う。
私は、どっちが目当てなのか…(笑)




 そして、自宅に帰ってバタバタと朝食のかたずけやpcを見たりしてたら、
もうお茶のお稽古の時間になってた。

うひゃ~!!急がなくちゃ!

 

お茶の先生のご自宅の玄関にはいつもセンスの良いものが飾られている。
昨日は円地信二先生の山茶花の絵とサンタクロースの小さな人形。
小さな人形はオリエント急行のお皿にのっけられている。
寝ころがっているサンタが、とってもかわいい

 

お軸は、「室閑茶味芳」という。
部屋は静かにして、お茶の味はますます芳しく美味しく
頂けると言った意味であるらしい。

お花は寒椿と「ねじ木」の紅葉した葉が美しい。



生菓子は先生の手作り。
ゆずを使ったもの。これまた美味しい。

先生はいつもこうして、美味しいお菓子を作ってくださる。

フフフ…私は、本当はお菓子目当て?お稽古のため?!

ほんとにどっちが目当てなのか…(笑)

お茶もお菓子も、大変おいしゅうございました。


時雨洗紅葉

2007年11月23日 | お茶
 今日は、お茶会。
私の着付けをしてもらうために母に早めに来てもらった。
一緒に習っているSさんには、私の帯もTさんの帯を結ぶのを
手伝っていただいた。
 今日の私の着物は紅葉に唐草の帯。
どちらも母からの譲り受けたもの。
私が父の初老の時に着て以来、
数十年も着ていなかった懐かしい着物だ。
(う~、孫にも衣装!!)

今日はお昼の時間のお茶会なので
茶会席も興される。

まずは、待合いで今日使う水をいただく。
そして、お炭点前に移る。
掛け軸は、この季節にぴったりの「時雨洗紅葉」。
 

水差しも紅葉模様だ。
 

お花は、雪月花といわれている椿。

お釜も柿を模している。



茶会席はご飯から始まるのだが、汁椀、煮物、焼き物など
心づくしの手作りもので、どれも美味しい。
 


 

茶会席が終わると濃い茶、薄茶と続く。

茶会が終わるとすでに夕暮れ時。
紅葉のシルエットが夕陽に栄えて美しかった。


いつかは、私たちにもこんな茶会の裏方役が回ってくるのだろう。
こんな大変な準備は、どうするのだろうと心配しつつ
せっせと片付けのお手伝いをする私であった。


茶の花や…。

2007年11月14日 | お茶
 今日は久しぶりのお茶のお稽古。
先生のお宅の玄関には、かの奥田元宋先生の絵がかかっていた。

(うっ、高そう~。)

11月からは炉でお茶を点てる。
お茶室にも炉の中の炭の匂いとお香の匂いが漂う。



今日のお軸は、千代尼の俳句。
この時、千代尼は63歳。
昔でいうと、もうかなりの老女である。
老女になってもなお、「一日でも永く生きたい!」
と思う気持ちで作った句であるという。

歳をとっても、命に対しての気持ちは、私と同じなんだ~。
となんだか千代尼が身近に思えた。


この赤い実のお花は美男かづら。
右端の花はこの俳句に出てくる、本物の「お茶」の花。
椿によく似ている。ちょっと見は、そんなはかなげでもなさそう…。
義母が畑で大切に育てているものだ。



水差しは、「須恵器三耳壺」で味わい深い。
奥にあるのは高光一也画伯の手によるもの。
金ではなくラスターの絵の具を使ったのか
腐食が進んでいる。
でも、そこが錆びた味わいになっているのがにくい。

先週は疲れてお休みしていたので、炉のお点前は初めての体験。
私はこんな調子で来週のお茶会は大丈夫なんだろうか?
と、かなり不安になってしまった。
う~ん、今日は帰ってから、お浚いしようっと。

時々勤拂拭

2007年10月24日 | お茶
今日は久しぶりのお茶のお稽古だった。

今日の掛け軸は「時々勤拂拭」。
例えば、日々、見えないところでも雑巾がけをするように
自分のする事に勤めなさいという戒めの意味が込められているそうだ。

そうなのだ。
自分のやるべき道があるのだ。
お茶というのはいろんな事を私に教えてくれる。
自分への戒め…。
自分のやるべき事を疎かにしてはいけませんよ、という事なのだ。

昨日からの憂鬱が晴れるような気持ちになった。
心穏やかに茶室に入ると自分の心も清められるような気がする。

見返り草、
黄色い色の如雨露不如帰(じょうろのようなホトトギス)、
紫式部などを見ていると優しい気持ちになれる。

今日は暦でいうと初霜。
お茶事も炉にだんだん近づいてくる。
今日は「中置き」という釜の置き方だそうだ。

初めて淹れた薄茶を自分で飲んでみた。
ちょっと、薄い…。

でも、初めての事は殊更嬉しかった。


お稽古

2007年10月03日 | お茶
 今日もお茶のお稽古だった。
この間のお月見会の写真の焼き増しをして写真集を編集していると午前中はすぐに過ぎてしまう。

 今日のお菓子は虫篭のように作ってある箱。
その箱を開けると、「リーン、リーン」と鈴虫が泣くようになっている。
一緒にお稽古に行っているSさんのお着物も秋らしい。
帯の裏の色が縹色になっていて、角帯という結び方もとってもおきゃんな感じだ。

 そして、煙草入れが出ていた。
この煙草入れはお正客の座る場所に置かれるものだそうだ。
うっかり、その場所に座るととんでもない事になる。

 そういえば、祖父がよく葉煙草を吸っていた。
そんな祖父の仕草がふと思い出された。

 祖父は僧侶をしていた。
祖父の最後の日、何か死期を悟ったのか、母の姉妹や私たち孫たちを呼んだ。
子どもたちが見守る中、囲炉裏に座ったままで亡くなったのだ。
じっと手のひらを見つめて…。
母は祖父がなんだか何も話さなくなったなぁ~、寝てるのかなと思ったら、すでに亡くなった後だったそうだ。
私たち孫たちは、久しぶりに会う従姉妹たちと無邪気にはしゃいでいた。

私は何か、死ぬ事さえも祖父の普段の生活の一部のような感じさえした。
そんな祖父を私は今でも尊敬している。

お月見の会

2007年09月30日 | お茶
 今日は、私にとって初めてのお月見の茶会。
控え室でまず白湯をいただく。
これは、今日使うお水を確かめるものだという。
斑入りのすすきとお団子が飾られていた。

 手と口を清めてから、お正客から茶室に入る。
まずは、濃茶から。
お菓子は、すすきの柄が入っているお饅頭。
掛け軸は、「自分の手の中の掬った水に月がいる」という意味のお軸だった。
先生は「この掛け軸の本当の意味は、そんな簡単には(月は)物事はうまくいきません、という事ですよ。」
と教えてくださった。
手の中に掬った水に映った月は、所詮は本物ではないという自戒を込めたものというところだろうか。

 休憩を挟んで、和室で花寄せ。
お茶会に来られたそれぞれがいろんなお茶花を持ち寄っているので種類もたくさんだ。
たくさんある花篭などにお正客から花を生ける。

 私も皆さんに倣って生けてみた。
う~ん、なかなか良いじゃない?
と、思ってたらお水を指すのを忘れてしまっていた。
あちゃ~。

 花寄せが終わると、薄茶。
薄茶では、控え室にあったお団子が出された。
それと、うさぎの姿をしたマシュマロと金平糖。
(このお団子が美味しかった~。)

 お天気に恵まれず、お月見は出来なかった。
が、時間がゆるりと動いているのは、隠れているお月様のせいだろうか?
今日は、花に囲まれて、和やかな茶会になったのだった。

 そんな私は、今週までには公募展を仕上げるつもりでいたのだが、なかなか絵に向かえない日々。
物事は、本当に簡単にはいきません。トホホ














清風名月

2007年09月26日 | お茶
 今日は2回目のお茶のお稽古。
お花は「宗全篭」を用いたものだ。
「すすき」や「ほととぎす」が美しい。

掛け軸は「清風名月」と書いてあるそうだ。
昨日の満月のお月様も本当に奇麗だった。
秋風が通る茶室で「名月を愛でる季節になったなぁ~。」と、
まったりとしたお茶のひとときを楽しんだ。

 私はお茶の事やこのお茶の先生の事をまったく知らずに入ったのだが、
私が大学の頃に書道を習っていた先生の娘さんである事がわかった。
しかも、懇意にしている近所に住んでいる大学の先輩が小さい頃から親子で通っているそうだ。
まったく別のルートでこの先生にお茶を習う事になったのだが、「縁」というものは本当に不思議なものである。

 来週は夕方からお茶会があるそうだ。
茶会席はないが、花寄せがあるらしい。
楽しみ~♪