サバイバー日記

炎症性乳がんと告知されて6年間。多発転移しつつ、生きたサバイバーな日々の記録と家族の日記です。

会社での父

2007年12月15日 | 妙好人
 私はメーカーのデザイナーとして13年勤務した。
大学出たての私は日本画出身なので烏口の使い方もわからなかった。
同じ日本画出身という事で不憫に思ったのか、
デザイナーとしての自分の姿を見せる事で教えてくれたSさん。
私の会社での父だった。

仕事で失敗する私をいつもかばってくださっていた。
私は部下として、全国を股にかけて思うように働く事が出来た。
まだまだ、パソコンを導入する前の事である。

そして、会社はパソコンを導入し、手業よりも効率を優先させていく。
そんな中で私は結婚し、娘を産んだ。
産後、育児休暇を取っていた私の耳に入ってきたのは、
Sさんが病魔に倒れたという知らせ…。
私が休みを取っていたときだったので、余計にショックだった。
(無理をさせてしまったのではないか…。)

始めは脳腫瘍だけだと思われた。
しかし、本当は肺からの転移だったのだ。
そうして、私は会社での父を無くしてしまった。
かばってくれる人もいない。
会社での立場も以前よりずっと責任も重くのしかかってきていた。
私は二人目の妊娠を望んでいたのだが、
そんな状態では、とても仕事を続けるのは無理だった。
1度目、2度目の流産…。
ついに、私は会社を辞めてしまった。

そして、Sさんは始めの手術から2年を生きて、逝ってしまわれた。
本当に安らかなお顔だった。

Sさんがいてくれたから、私は仕事が思う存分出来たのだった。
お子さんのいないSさんは、私を娘のようにかわいがってくださった。
今、そのSさんの奥様とはお茶のお稽古を通して
毎週のようにお会いしている。

 今日は、Sさんの命日を前にお参りに行った。
肺気腫だと言いながら「ゲホッゲホッ」と煙草をふかしていたSさん。
私が部内にフラワーアレンジメントをすると
必ず「良いねぇ~。」と褒めてくださった。
私にとってはなくてはならない人だった…。


 お供えには、好物の煙草とビール、そして大好きなお花を持って行った。
亡くなられて、もう8年を迎える事になる。

そして、いつも奥様は「ありがとうね!」と私に「犀与亭」の美味しいお肉を持たせてくれる。
(エビでタイを釣っていないか…私

Sさん、お陰様で今日の夕食は抜群に美味しい「すきやき」でした。
今でも奥様におせわになっています。
本当にいつも、ありがとうございます。