サバイバー日記

炎症性乳がんと告知されて6年間。多発転移しつつ、生きたサバイバーな日々の記録と家族の日記です。

鳥に…。

2007年12月28日 | 日々是好日
 2004年12月28日。
彼女は、鳥になってしまった。
突然に…。

 彼女は、私の高校の同級生。
私が病気になり手術する時に
高校の同級生が仲の良い友人たちに声をかけて
彼女も千羽鶴を折ってくれた。
手術後、久しぶりにその同級生たちと
彼女も一緒にランチに行ったりもした。
その時、いろいろと彼女の悩みを聞いたりして
長い間、会わなかった時間を埋めたりもした。

翌年、精神のバランスを崩した彼女は入院していた。
鍵のついたドア。
面会をするのにも、身分証明書が必要だった。
彼女の誕生日だったので、
友人たちと一緒に病院へお見舞いに行った。
「ごめんね。○○(私の事)が大変な時なのに、
私がこんな弱虫でいたらいけないよね。」
と謝ってばかりだった。
「そんな事ばかり言わないで、気をしっかり持つんだよ。」
と私は言った。

しかし、それからほどなく退院した彼女は、
私よりも人生を早く終えてしまった。




それから、ちょうど3年。
今日は、彼女の命日…。

今日は、昨日までのお天気が嘘のように雨模様。
年末、この時期になると否応なく彼女の事を思い出してしまう。

 私は、新年に○和デパートの画廊で展観される
高校の同窓会展の搬入に夕方から向かった。
ここは、彼女が鳥になった場所。
本当は、あまり近づきたくはない。
でも、この命日に彼女に呼ばれるように行く。

絵の搬入を終え、駐車場を足早に出る。
でも、彼女の事が頭から離れないので
駐車場を出てから、その場所に手を合わせる。

 彼女がいなくなってから、時々友人達と彼女の話をする。
何故、あの時、彼女を助けてあげられなかったのか?
どうして、どうして…。


私は、○原さんをたいして信じているわけではないけど、
TVで「自死をした人でも、精神的に病を持って
そうなった場合は、病死をしたのと同じと思って良い。」
と言っていた。

そうだ、彼女の死は病のための寿命だったんだ、と。
私は、そう思うようにした。
彼女は、抗うつ剤を多量に処方されていた。
退院してからは、その量を減らすようにしていたようだった。
でも、そんな時には死の衝動が高まる事があり、
特に注意が必要だそうだ。
「抗うつ剤に関する注意」

でも、自死は決して許されるものではないし、
残された家族にとっては深い傷となって残ってしまう。
実際、彼女の家族は深く傷ついた。

今でも私は気になっている。
彼女は、今、どうしてるのか?
あちらの世界で安らかで、いてもらいたい。
そして、彼女の分まで生きなきゃと思う。
この時期が来ると、いつもそう思う。