古河市総合公園には小高い塚があって、その上に浅間神社が建っています。古河のパワースポットとなど名所地にしようとする活動も行われているようです。
境内の由緒書きがありますので読んでみました。
室町時代末期に角行という人が世の中の乱れに苦しみ、富士山に登り天下泰平五穀豊穣の祈願をしたところ天下が治まったことから富士信仰が起こります。東講の大先達である南沢正兵衛という人が江戸にこの富士信仰を広く布教しました。
鴻巣の冨士塚は模造の富士山で文政四年ごろ(1831)の構造と考えられています。鴻巣村の小森谷家広く浄財を募り富士浅間神社を勧請します。東講は富士山信仰の集団、いわゆる富士講の一つ。富士山信仰は室町時代末期ごろに起こり江戸時代中期には非常に盛んになった。それに伴い江戸をはじめとして富士講があちこちで結成され、江戸近郊の冨士塚は50有余を数えます。しかしながら今に伝わる塚は少ない。この冨士塚は高さ6M直径30M塚は一から十合目まであり原型がよく保存されている。原型保存が状態が良好な冨士塚は関東に少ない。
紫峰筑波山も近く、平地ながら山岳信仰が深かったことが伺える下総の南端古河市。
城下町に残る冨士塚は今なお霊験あらたかにそびえているようだ。
(平成29年登拝)
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