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上尾駅東口、旧中山道沿いに鎮座する氷川鍬神社に参拝しました。社会人5年目位のころ、上尾に二年間住んでいたころがあり、わずかながら土地勘があることで、今でも好きな街です。
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寛永八年(一六三一)桶川宿の方から童子らが台車に櫃を載せて上尾宿に引いて来て歌い踊り、さらに江戸まで送ったが、大晦日に当宿に戻され、本陣前で台車は動かなくなった。このため上尾宿のものが正月になって櫃を開けると中に形の違う小鍬二挺と藁苞が入っていて藁苞を開くと稲穂十余茎があった。そこで社を建立し、小鍬二挺を祀り、稲穂を供えたと伝わります。ご神体の鍬は五穀豊穣の豊鍬入姫命。
現在社殿は上尾駅のすぐそばにあり、都会のお宮らしく、手水舎の後は駅駐輪場になっていました。
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境内の溶岩で築かれた山頂にある浅間様です。
各地と同じように7月1日には「はつやま」で賑わうようです。
江戸時代、中山道宿場町として栄えた上尾宿。現在も駅前を中心にたくさんの人であふれていました。
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