昨日6月5日はキリスト教(カトリック)の聖霊降臨の主日であった。殆どの日本人は三位一体と言う言葉は知っていてもその一つの聖霊については殆ど知らないようだ。しかし、聖霊は少なくとも私にとっては人生を変えるほど重要な存在であり5年前に縄文小説を上梓するときに、プロローグで書かせていただいたように縄文小説を書くきっかけにもなっている。
さて、今日は縄文人が当時実際に観ていた世界についていろいろ考えている。視覚を通じて見ていたものはいろいろな方法で類推できるものがある。例えば空の天体についてはかなり分かる。5000年前の夜空をシミュレーションできるので、当時の夜空を眺めることすらできる。殆どの星座や惑星の配置は余り変わらないが歳差運動により北極星がトゥバンに変ったり北斗七星が時計のように回ったりも。そして、今のように時計やカレンダーがなくても縄文人は、季節や時刻を仲間と生き抜く上で夜空から学んでいたと、想像できるのではないだろうか。
実際、縄文文化をある程度引き継いだアイヌ民族はアイヌの星座をギリシャ人がギリシャ神話とギリシャの星座を持っているように持っていることが分かってきた。残念ながら縄文人の神話や縄文人の星座は弥生以降の歴史の中で忘れられているようだが(勿論、日本神話や伝説は残されてはいて、縄文の神話も研究の対象にはなっているが)。星座についてちょっと入れ込んでしまったが、天体だけでなく、動植物や地形、自然現象は物理的にさほど変わってないし、土器や籠、木器、住居等の遺構や遺物から物理的なものは類推でき、どのように物理的に見えたかはある程度分かる。しかし、実際に縄文人が観ていたものは縄文人の知とか変わり単純ではない。
土器などの図像は、ごくごく稀に写実的な絵が残っていたりするが、殆どは見えないものも描いているようであり、鳥だサンショウウオだ、蛇だと単純に物理的に類推するのはどうかと最近思う。見えないものをどう観るか観ているか。実はこのテーマは奥が非常に深いと思う。何かを信じて見える世界がある一方、見えなくなくなる部分がある。これは視覚だけに限らないが。この信じるものは比較的単純なこともあるが、信仰の世界、文化的な世界など経験しないと分からないものでもあり、さらに経験しても一生をかけても分からないこともあるように思う。縄文文化、特に前期ころから何か一つの縄文時代を貫くような精神世界が成立していたように思うが、それはどういうものだったのだろうか。単純にアニミズムとか祖先崇拝といった言葉ではすり抜けてしまうように思える。
写真は長野県原村の阿久遺跡で撮った写真である。7年前にも一度訪れたことがあるが、あのときは秋で雨が降っていた。この場所で何千年もの間に多くの縄文人が訪れただろう。そこで観たものは何だったのだろう。私も7年の時間を経てこの場所に来たが、前とは違うものを観たように思う。
2/10 五感と縄文
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森裕行
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