goo blog サービス終了のお知らせ 

イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

縄文人の観ていたもの・・見えるものと観えるもの(2/10 五感と縄文)

2022-06-06 | 第十一章「五感で面白おかしく」

昨日6月5日はキリスト教(カトリック)の聖霊降臨の主日であった。殆どの日本人は三位一体と言う言葉は知っていてもその一つの聖霊については殆ど知らないようだ。しかし、聖霊は少なくとも私にとっては人生を変えるほど重要な存在であり5年前に縄文小説を上梓するときに、プロローグで書かせていただいたように縄文小説を書くきっかけにもなっている。

さて、今日は縄文人が当時実際に観ていた世界についていろいろ考えている。視覚を通じて見ていたものはいろいろな方法で類推できるものがある。例えば空の天体についてはかなり分かる。5000年前の夜空をシミュレーションできるので、当時の夜空を眺めることすらできる。殆どの星座や惑星の配置は余り変わらないが歳差運動により北極星がトゥバンに変ったり北斗七星が時計のように回ったりも。そして、今のように時計やカレンダーがなくても縄文人は、季節や時刻を仲間と生き抜く上で夜空から学んでいたと、想像できるのではないだろうか。

実際、縄文文化をある程度引き継いだアイヌ民族はアイヌの星座をギリシャ人がギリシャ神話とギリシャの星座を持っているように持っていることが分かってきた。残念ながら縄文人の神話や縄文人の星座は弥生以降の歴史の中で忘れられているようだが(勿論、日本神話や伝説は残されてはいて、縄文の神話も研究の対象にはなっているが)。星座についてちょっと入れ込んでしまったが、天体だけでなく、動植物や地形、自然現象は物理的にさほど変わってないし、土器や籠、木器、住居等の遺構や遺物から物理的なものは類推でき、どのように物理的に見えたかはある程度分かる。しかし、実際に縄文人が観ていたものは縄文人の知とか変わり単純ではない。

土器などの図像は、ごくごく稀に写実的な絵が残っていたりするが、殆どは見えないものも描いているようであり、鳥だサンショウウオだ、蛇だと単純に物理的に類推するのはどうかと最近思う。見えないものをどう観るか観ているか。実はこのテーマは奥が非常に深いと思う。何かを信じて見える世界がある一方、見えなくなくなる部分がある。これは視覚だけに限らないが。この信じるものは比較的単純なこともあるが、信仰の世界、文化的な世界など経験しないと分からないものでもあり、さらに経験しても一生をかけても分からないこともあるように思う。縄文文化、特に前期ころから何か一つの縄文時代を貫くような精神世界が成立していたように思うが、それはどういうものだったのだろうか。単純にアニミズムとか祖先崇拝といった言葉ではすり抜けてしまうように思える。

写真は長野県原村の阿久遺跡で撮った写真である。7年前にも一度訪れたことがあるが、あのときは秋で雨が降っていた。この場所で何千年もの間に多くの縄文人が訪れただろう。そこで観たものは何だったのだろう。私も7年の時間を経てこの場所に来たが、前とは違うものを観たように思う。

2/10 五感と縄文 

------------------------------------------------------------

「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

入手方法

1.紙の本の入手については・・・

  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

    住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2  

 なお、国会図書館、八王子市図書館でも閲覧できます。

2.電子書籍版はアマゾンさんで、1000円で購入できますが、

  Kindle unlimitedなどの特典で無料でも読めます。 


       森裕行

 --------------------------------------------------------


縄文遺跡をゾウさんで発見できるか?(1/10 五感と縄文)

2022-06-02 | 第十一章「五感で面白おかしく」

梅雨も近くなり雨が降ることも多くなった。先週も旅行の朝は土砂降りだった。そんな中でも、私は少し変で雨の臭いを意識して嗅ぐ。以前ブログに書いたと思うが、幼い頃のことを瞬間的に思い出し、何か心が自由に軽くなるからだ。もちろん、雨の臭いはバラの香りのように、それ自体が香しいわけではない。湿気を含んだ雑多な臭い。しかし、それでも私には不思議なプラスの効果をもたらす。小学生のように傘を飛行機に見立てて小走りしたくなるような。

調べてみると人間の嗅覚は動物の中では余り良いほうではないらしい。犬の嗅覚は有名で誰でも知っているようだが、猪や豚も嗅覚は犬と同じくらい鋭いようだ。先日も、動物映画の中で土の中にいる昆虫を見つけることができることを知った。なお動物の中では一番嗅覚が鋭いのはゾウらしい。先日多摩動物公園ではゾウは見学しなかったが次回は是非行きたいものだ。

さて、嗅覚は他の感覚と比べて過去の記憶にアクセスしやすいようで、小説家のプルースト(失われた時を求めてを書いた作家)に因んでプルースト効果といった言葉すらある。私の雨の臭いを嗅いで心が軽くなるように。

ところで嗅覚の関係の本を読んでいたら、サケが回遊して数千㎞離れた海洋からふるさとの川に戻るというのも嗅覚によるらしい。それも凄い話で、サケはゾウさん並みの嗅覚をもっているのかな。魚の嗅覚の研究はどのようになっているのだろうか。しかし、嗅覚が過去の自分自身の記憶とより密接であることも大事なことなのだろう。雨の臭いも、私のふるさとと関係しているのだと思う。育った四谷・坂町の雨の臭い。あるいは7歳の時の雨の多かったアラスカのシトカでの雨の臭い。傘をさしてということもあるが、どろんこ遊びをしたり、春の大雨のあとの立ち上る臭いもあるかもしれない。生育史上の雨の臭いは一つだけではなく幾つもの臭いなのだろう。縄文に惹かれるのもそんな臭いの記憶とどこか関係があるのかもしれない。

先日行った信州の棚畑遺跡(縄文のビーナスが発掘された)。休日だったこともあり車も少なく静かで、さらに天気にも恵まれ素晴らしい八ヶ岳の景観も見られた。そこでは建物の陰になっていたが、蓼科山が本来は一番との話もお聞きした。視覚・聴覚はそんなところだが、嗅覚はどうだったのだろうか。あらためて記憶を点検しても、棚畑遺跡の臭いははっきりしていない。マスクをしていたのだろうか?それも覚えていない。しかし、棚畑遺跡の不思議な魅力をどこかで形成している可能性は高い(マスクを貫いて?)

猪も土の中の昆虫を臭いで探すことができる。私もマスクをものともせず遺跡を感じる。そうだ。嗅覚の王ゾウさんはもっとすごいはず。長い鼻で地面を探り遺構や遺物を当てることができるかもしれない。しかし、歩き回ると地中の土器も土圧で微塵になってしまうかも。また、妄想してしまった。

1/10 五感と縄文 

 

 ------------------------------------------------------------

「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

入手方法

1.紙の本の入手については・・・

  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

    住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2  

 なお、国会図書館、八王子市図書館でも閲覧できます。

2.電子書籍版はアマゾンさんで、1000円で購入できますが、

  Kindle unlimitedなどの特典で無料でも読めます。 


       森裕行

 --------------------------------------------------------