昨日はビデオでアカデミー賞を4部門でとった「ビューティフル・マインド」(2001年)を遅ればせながら鑑賞した。天才数学者ジョン・ナッシュの話だが、余り語ると見ていない方に悪いので詳細は語れないが、最近知人が薬の副作用が原因と思われる精神の軽い変調があり、四苦八苦したばかりなので、他人事とは思えなかった。
何でもそうであるが、病気や障害を長期にわたって付き合うときの鍵は、それを如何に受容していくかだと思う。自分の中にいる敵と言ったら良いのだろうか、それに対しどう対応するか?決して対決するだけでない。
世の中には、嫌悪すべき人がいるものだ。そして、どうしても付き合わざるを得ないことも。あるいは仲の良い関係が何らかの事件を契機に憎しみ合う関係に変わることもある。こうしたとき、感情を持つ生身の人間にとって和解の道はあるか。私は、先の自分の中にいる敵の受容と似ていると思う。
ジョン・ナッシュの話では、ジョンを愛する妻の愛と信頼感がすごかったと思う。専門家の判断を凌駕する。これと似た話で、有名な「英国王のスピーチ」を思い出したが、これもきら星のような経歴の精神科医ではなく、愛情深い無名のセラピストが英国王を見事に助けていく。
私はかつて、「覆水盆に返らず」という言葉に囚われて人間関係の修復に絶望的になっていたことがあったが、どうも、真実はそうではないようだ。昨年、縄文小説を上梓したが、この小説は和解への道、あるいは受容への道を示しているのかもしれない。その鍵は愛の訓練だと思う。
囚われからの解放 3/10