イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

和解への道! (囚われからの解放 3/10)

2017-05-05 | 第三章「無意識の世界」

 昨日はビデオでアカデミー賞を4部門でとった「ビューティフル・マインド」(2001年)を遅ればせながら鑑賞した。天才数学者ジョン・ナッシュの話だが、余り語ると見ていない方に悪いので詳細は語れないが、最近知人が薬の副作用が原因と思われる精神の軽い変調があり、四苦八苦したばかりなので、他人事とは思えなかった。

 何でもそうであるが、病気や障害を長期にわたって付き合うときの鍵は、それを如何に受容していくかだと思う。自分の中にいる敵と言ったら良いのだろうか、それに対しどう対応するか?決して対決するだけでない。

 世の中には、嫌悪すべき人がいるものだ。そして、どうしても付き合わざるを得ないことも。あるいは仲の良い関係が何らかの事件を契機に憎しみ合う関係に変わることもある。こうしたとき、感情を持つ生身の人間にとって和解の道はあるか。私は、先の自分の中にいる敵の受容と似ていると思う。

 ジョン・ナッシュの話では、ジョンを愛する妻の愛と信頼感がすごかったと思う。専門家の判断を凌駕する。これと似た話で、有名な「英国王のスピーチ」を思い出したが、これもきら星のような経歴の精神科医ではなく、愛情深い無名のセラピストが英国王を見事に助けていく。

 私はかつて、「覆水盆に返らず」という言葉に囚われて人間関係の修復に絶望的になっていたことがあったが、どうも、真実はそうではないようだ。昨年、縄文小説を上梓したが、この小説は和解への道、あるいは受容への道を示しているのかもしれない。その鍵は愛の訓練だと思う。

囚われからの解放 3/10

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遊園地で楽しくなる!(囚われからの解放 2/10)

2017-05-03 | 第二章「五感と体感」

 先日も某勉強会で「囚われること」をテーマにしたが、私も含めて皆何かに囚われ悩みがあるようだ。私くらいの年代が集まると、健康の話、お金(蓄財)、宗教や死の関係、政治、人間関係、仕事など一つは必ず出て来るようだ。身近な囚われのテーマなのだろう。

 生き甲斐の心理学を学ぶと、成育史の重要性が分かってくるので、「囚われること」を考えるときに、両親をはじめとする成育史上の重要な方の影響などをあれこれ考えることが多くなる。影響を与えた人というのは実に面白い。囚われることを解放してくれる智慧を教えてくれたりするのだが、反対に大きな囚われの原因となっていたりする。それは、影響を与えてくれた人の、その当時の成育史上の発達段階もあるのだろう。あるいは、その人の社会的・文化的背景もあるのだろう。

 さて、昨日はゴールデンウィークということで、私と娘夫婦、孫たちで近くの遊園地に行ってきた。お弁当持ち込み可など昔の面影をどこかに残している遊園地である。 私も60年前とか(笑)、両親に連れられて豊島園などに行って楽しんだ思い出がどこかで重なる。子供夫婦も孫たちも遊園地の楽しさの原型?に触れるのだろうか、遊園地に居るだけでうきうきするようである。

 日常の様々に囚われや苦悩から解き放たれ、今まで見えなかったものが見られる状態になるようだ。

 昨日の遊園地は、五月の風(夕方は寒すぎたが)による触感、お弁当やアイスクリームの味覚や臭覚、お化け屋敷などでの体感、当然ながら過剰とも言える視覚や聴覚の刺激を与えてくれた。五感・体感の幕の内弁当的な豪華なパレードだ。愛の原型と五感・体感の関係は面白いものがあると思っているので実に興味深い。

 ゴールデンウィークは混雑して待つことも多いが、楽しんでいる人の姿を観察するのも意外に楽しい。遊園地は愛の原型をどのくらい作り出しているのだろうか?

囚われからの解放 2/10

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自分は何かに囚われているか?(囚われからの解放 1/10)

2017-05-02 | 第一章「意識と知覚」

 やっと花粉も少なくなり、春を満喫できる季節に。

 ただ、この時期は五月病ではないが、毎年のように「これでよいのだろうか?」と何となく思う季節でもある。学校や職場などが、新年度を迎え環境が変わり、少し慣れて振り返ることができるようになるころかもしれない。

 「生き甲斐の心理学」を学び、「自分は何のために生きているのか?」、「生き甲斐は何か?」、「自分を大切にしているか?」という自問自答をのんびりとしていると、今していることは、何かちがうのではないか?という疑問が浮かんだりする。

 この20年でも、仕事を例にとると大きな転機が3回あった。仕事というのは、ある時点で自分なりに選んで職につくわけであるが、いつのまにかある種の心地よさを得るようになり、どこかマンネリズムに陥っていく。何か衣服のような自己概念を纏っているのだが、それが自分の手作り服ではなく、大量生産的な既製服になってしまう。それなのになぜか私の衣服。

 もう一度、自分の衣服を見つめる。ここの端切れは私が繊維から糸をつくり、そして編んだ部分と認識するとか、このボタンはどこかで買ったものか・・・それから、自分の存在理由のような<傾向と渇望>を考えることも大事だ。ミッションといってもよいかもしれない。自然体である種の心地よさを伴う方向というか。

 五月は、自分を点検し囚われから解放されるための道筋を考える良い時なのだと思う。

囚われからの解放 1/10

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