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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

日本の宗教の原型は?(奈良に行きたい 3/10)

2017-05-23 | 第三章「無意識の世界」

 私は日本では珍しいカトリック信徒(キリスト教)なのであるが、何で私がカトリック信徒になったかということにとても興味をもっている。私は幼児洗礼なので、はっきりとした意志のもとで洗礼を受け信徒になったわけではないものの、今では人口の1%とも言われるキリスト教信徒であることにさほど違和感を感じていない。

 それは何故であるか?私は次のように考えている。日本のこころの原型、あるいは宗教の原型がカトリックのそれと似ているのだと。5-6万年前に人類がアフリカから世界に散らばったとき、一つの言語で一つの宗教をもっていたと考える学者がいるが、そのあたりが私の仮説を支えているかもしれない。

 私の興味はつのり、勿論宗教の原型だけを追ったわけでないが、2年前に縄文小説を書き始め、昨年それを出版しようと思いつき、一年の歳月をかけてお金をかけないで電子書籍と紙の本を発表した。縄文中期の遺跡から20歳代のポリオに罹ったと思われる女性の人骨が発見されたり(つまり福祉の思想がなんらかの形であった)、また当時の社会や文化もわかってきていて、それをつなげると、日本の宗教の原型が垣間見られる。何処まで成功したかは分からないが。

 さて、私と同じような興味をもった先達がいたことを最近知った。その方は折口信夫氏で「死者の書」が私が注目している小説だ。私もかつて何度か読み解こうとしたが、一筋縄ではいかなかった。①大津皇子と一般に言われている奥様の山辺皇女ではない耳面刀自(不比等の妹)の出会いであり、大津皇子が二上山に葬られた話 ②中将姫と曼荼羅の話 ③源信(当麻の生まれ)の山越しの阿弥陀仏の話、三つの話は7世紀から10世紀の話であるが、二上山に関係のあるものの、全く独立した話で、これを無理に?つなげ合わせたような話は実に不思議である。ただ、著名な民俗学者なので、何か背景の原型を模索しているようにも考えられるのだ。日本人が何故、仏教を受容してきたか、・・・それは実に不思議だ。梅原猛氏の「日本冒険①」(角川書店)を併読していていろいろなヒントを頂いているが、とても興味があるテーマである。

 今日は一日考えてみたい。写真は10年前に比叡山の横川に行ったとき源信になじみの地を訪れたときのもの。当時は源氏物語の浮船にでてくる横川の僧都に興味をもっていたが、それが当麻生まれの源信だったとは・・・

奈良に行きたい 3/10

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森 裕行


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