イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

愛の孤独と不思議な親密性!(囚われからの解放 8/10)

2017-05-13 | 第八章「魂と聖霊」

 人生には、いろいろなことがあり、大切な人に異変があったり、学校や仕事を決めなければならないなど決断の時もある。そんな時に愛の孤独を強く感じることがあるようだ。本質的には誰にも相談できない究極の自分との対話の時なのだろう。

 持統天皇の心情を語る歌が万葉集に残されているが、天武天皇が亡くなった時の挽歌(巻2-159)は愛の孤独を考えるうえでも秀逸な歌だと思う。この長歌の中で神丘という場所が出て来るが、当時の人には常識なのだろうが、今ではわからず雷丘などの説がある。しかし、先日の吉野詣での考察から推察すると、宮滝から見える青峰ケ峯か、飛鳥から見える三輪山を言うのではないだろうか。つまり、縄文からの神山(三角形の山)で地母神とつながる。そして、この神丘を媒介にして何かが変わっていく。

 愛の孤独は、どのように癒されるのだろうか。エリクソンは孤独感と親密性、愛のトライアングルを提案されている。この組み合わせはえーと驚くところがある。渦中にいるときは意外に気づかないトライアングルだ。しかし、自分の存在を突き抜けるような不思議な親密性と出会うチャンスの時でもある。

 持統天皇は、愛の孤独をどのように乗り越えていったのだろうか。心の変化はよくわからないが、行動は政敵の大津皇子を大津皇子の変で排除し、さらに高市皇子一族を排除していく。それは凄い。

 話しは変わるが、私の住む多摩にはいろいろなところに祠があり、廃仏毀釈などの時代の荒波の中を潜り抜けた石仏が残されている。これは勿論持統天皇の神丘とは違うものの、私たち庶民にとっては大切なトライアングルを垣間見させてくれるように思う。

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秘密の場所で充電する!(囚われからの解放 7/10)

2017-05-11 | 第七章「光と復活体」

 心理学を勉強すると防衛機制という言葉にぶつかる。抑圧とかフロイトによると14の種類があるというが、一般的にネガティブなこころの仕組みと理解されるようである(私も当初そうであった)。しかし、この仕組みはこころの健康を得るのにもとても役立つ。逃避という防衛機制もそうだ。

 7歳の時に両親に連れられて約一年アラスカに滞在したことがある。その時、私は小学校への通学路からちょっと外れたところ、あるいは家の裏の大木、あるいは公園の某所に秘密の場所を見つけ何となく一人で物思いにふけったり、海岸で見つけた摩耗して不思議な光を放つガラス玉を秘かに眺めいったりした。

 その<逃避>は今に至っても継続していて、近くにも縄文遺跡の近くの公園など、いくつかの秘密の場所があり、そこで妄想?をたのしんでいる。その他、あれも私の秘密の場所かなと思うところはいくつか挙げられる。

 話は変わるが、日本の古代に活躍した持統天皇のことを今日は朝から考えていた。持統天皇は天智天皇の娘であり、夫の天武天皇の陰に隠れがちだが、第一級の政治家でもあり、その影響は今にまで及ぶ大人物である。その持統天皇は、不思議なことにことあるたびに吉野に行幸をしたのは有名で、何故行ったのかは歴史の謎とされている。

 さて、今日は中東洋行氏の説(古代史再検討 持統天皇とは何か 2016年 別冊宝島 瀧音能之監修 68P~71P)を読み共感した。30回以上行幸したのは、奈良平野から約半日で行ける異文化(縄文早期からの日本の原型的文化)の地を大切にしたということだ。宮滝周辺(斉明天皇が作ったとされる宮)からは青峰ケ峯が吉野川流域では珍しく見えるという。写真で宮滝からの眺望をみると多摩のストーンサークルから見える丹沢の蛭ケ岳と同じような山容である。縄文時代から聖地につきものの三角形というか独特の形状(蛇がとぐろを巻いている姿という説もある)。行幸にはいろいろな要因があったと思うが、持統天皇の<秘密の場所>であり、建設的な<逃避>の場所であったのではないか。そこで何かアイデンティティを統合再生し、元気になって戻る。

 皆さまも、<秘密の場所>を意識され充電されたらどうでしょう。

囚われからの解放 7/10

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どちらに向かうべきか?(囚われからの解放 6/10)

2017-05-09 | 第六章「螺旋状に上昇する意味」

 残された人生でやりたいことをやっている時期もあるが、諸般の事情で足踏み状態の時や、全く違うことをやらなければならない時も、何か逆走しているような状態も。

 経済的な問題、人間関係、さまざまな障害が時折り折りにでてくる。しかし、何か不思議なタイミングのようなものがあり、突然はるか向こうにあったと思われる目標のようなものが達成できてしまうこともある。

 縄文小説を出版してから何か月か経ち、それまでの疲れかあるいは花粉症のつらい2か月のせいか、あるいはおめでたいことが続いたせいか、5月になるまで方向感覚を失っていたが、やっとそれなりの方向感覚とやる気が満ち溢れてきた。

 朝顔のつるは、光の方向に向かって螺旋状に伸びていく。光を求めるというストレスが直線的ではないものの、適度に上昇に向かわせる。これはとても示唆的だ。幸福感は恵みで稀であるが、その時は方向性もなく、生命体にとっては決して望ましい状態ではないかもしれない。

 人生にはAかBを選択しなければならない時もある。背水の陣がふさわしいときもある。しかし、そうでもなく中途半端な立ち位置をとることが良い時もあるだろう。日々のストレス曲線(暗い感情)の意味を熟慮することが大事であったり、しかし経験に基づいて今の立ち位置を判断することもあろう。生き甲斐の心理学にでてくるプロセススケールは、自分の7つの状態を見ることでもある。①感情と個人的意味付け ②体験過程 3不一致 ④自己の伝達 ⑤体験の解釈 ⑥問題に対する関係 ⑦関係の仕方。

 方向性はこの中の⑥問題に対する関係と深い関係があるかもしれない。光の方向に直線的に向かうのではなく、何となく向かっていく・・・まあ、すべての問題がいっぺんに自分にとって見えてしまえば、パニックになってしまうだろうな。うまくできている。

囚われからの解放 6/10

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縄文時代はどんな社会だったのだろう?(囚われからの解放 5/10)

2017-05-08 | 第五章「和解と平和」

 昨日は、読書会のメンバーで多摩の縄文遺跡ツアーを行い、食事会に参加した。埋蔵文化センターで地元の土器や石器、火おこしや縄文の埴生などを楽しんだり、田端遺跡のストーンサークルを見学したり楽しんだ。夜は、食事会で私の拙書の出版まで祝っていただき嬉しかった。

 世の中には、仕事や家族といった関係からお互いに知り合っていくことが多いと思うが、そうでなく自由意志で関係を結び、なんとも楽しい関係ができていくことがある。幸せなことに、私は現在太極拳の仲間、生き甲斐の心理学の勉強仲間、読書会の仲間、ボランティアの仲間がいる。昨日の自立共生的や自他肯定的な関係といったらよいかもしれない。集まるものは集まり、互いを束縛することは最小限度。

 そして、こうした中で自分のこころの扉が開き、かつては想像だにしなかった縄文研究、小説書きと自己出版をすることができた。これは、若いころに自分の力でなにかを捻じ曲げて生み出そうとしたときと全然違う。

 ところで、今の世の中はさておき、縄文時代はどんな社会だったのだろうか。一説によると10,000年以上継続した実に不思議で長持ちする社会だとのこと。大規模な戦争もなく、福祉的な思想もあったようだ。その原動力は何だったのだろうか?自立共生的な社会だったのではないだろうか?

  写真は多摩のビーナス?東京都埋蔵文化センターを見学したときの写真。

囚われからの解放 5/10

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世話をする人、サービスをする人 (囚われからの解放 4/10)

2017-05-06 | 第四章「愛とゆるし」

 明日、縄文遺跡探索ツアーを計画しているので、準備で下見をしたが、帰り道に祠やお地蔵様に挨拶した。どなたがお地蔵様のお世話をしているのかといつも思うが、何かほっとする。こうした祠やお地蔵様は、その時代に合わせていろいろ変わってきたと思うが、恐らくこの由木周辺は旧石器時代から延々と祈りの文化が伝わっているのだと思う。

 さて、以前から欲しかったイヴァン・イリイチの「コンヴィヴィアリティのための道具」(ちくま学芸文庫)を昨日入手した。コンヴィヴィアリティというのは自立共生的という造語のようだが、生き甲斐の心理学で学んだエリック・バーンのYou are OK. I am OK.(自他肯定的)という概念に似ていて、こころが動く。この中で、サービスと世話の違いをいろいろ考えた。

 学校も医療も、かつてないほどサービス化していると言われる。全ては数値目標化され目標管理したりする。社会も製造業からサービス業の時代になったともいわれる。そして、昔と違う乾燥した感じの世の中になってしまった思うのは私だけなのだろうか。

 世話というのは、私は自立共生的そのものだと思うし、自他肯定的だとも思う。一方サービスは雰囲気としては世話に近いが、自立共生的が本質かと言われると、そうでもなく今の世の商品だと思う。勿論、サービスを提供している中で世話をしている人も当然いらっしゃるが、世話を意識しないでサービスを提供している方もいると思う。

 ところで、囚われからの解放ということだが、これは自立共生的や自他肯定的と深いところでつながるように思う。 

囚われからの解放 4/10

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