イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

今更、人に聴けない心理学・・・

2009-08-22 | 第九章「愛」

 サルスベリの街路樹が、威勢良い8月の後半。そろそろ、夏休みモードから、仕事モードにと思う。

 カウンセリング勉強会の準備。U先生の勉強会への参加。いくつかの活動がこれから始まる。

 「生き甲斐の心理学」をどう、自分なりに身に着け、世のため人のためになれるかを考る。やはり、自分自身の様々な体験・経験(成育史)の理論化・血肉化がポイントであることは確かだ。

 心理学を単純な知識として考えている人は多い。私の場合も、大学時代から結構勉強した(つもり)。大学の卒業論文も計量心理学の分野であったし、心理学の大家の本も何冊も読んだ(つもり)。

 企業に入ってからも、マーケティングや営業、プライベートでも創造工学などもずっと興味を持ち続けていた。心理学と関係がある。ただ、そうした心理学周辺の知識が自分の人生にどれほど貢献したのだろう。

 血肉化しない理論は空しい。

 不惑であったはずの40歳台も、実は次のような問題を自問自答していた。 何で、自分はこういう性格なのだろう。同じようなことを繰り返すのだろう。対人関係でいまさら聴けないが、自分にどういう問題があり解決の糸口は。自分の生き甲斐は何だろう。激しく変化する状況にこころの安定をどう得て生きるのか。仕事をもっとうまくやりたい。新しいアイデアは何処に。・・・

 そんな中、40歳台後半の1999年1月のある日。不思議な体験をした。それ以降、自分の生き方は変わってきた。自分の精神力動の不思議なメカニズム。その体験からしばらくして「生き甲斐の心理学」を学ぶべく、ユースフルライフ研究所の門を叩いた。

 U先生との出会いは大きな幸せであった。数多ある、心理学関係の教育機関で、U先生に出会えたのは奇跡であった。そして、自分の・・・今更聴けない心理学のいくつかの問題は、勉強の中で解けつつある。

 これから、12回、40歳台の自分に戻って、「生き甲斐の心理学」から導ける、いくつかの定石を熟考してみたい。

<今更人に聴けない「生き甲斐の心理学」 1/12>

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人の死・・・

2009-08-21 | 第九章「愛」

 臓器移植法案改正案でA案が成立し、来年施行されるという。

 高校生の時、日本初の心臓移植があり、丁度そのころ自問自答したなまなましい記憶が今でもある。

 そのせいか、臓器移植法案や、それに異議を唱える哲学者やさまざまな報道に今でも関心をもって接している。

 臓器提供を受けたい人、臓器提供を志願する人。その行為への本質的な深い理解と愛と、そしてまわりの健全なサポートがあればそれで良いと割り切りたいが・・・

 ただ、いろいろ議論されてきた、人の死とは何かという問題がひっかかる。脳死は人の死とか三兆候死(心臓死)とかいろいろ定義がある。臓器移植がより成功率を高めるための定義だと思うが、身体の死とは何か・・・結構難しい問題だと思う。

 古は(日本でも)、貴人に対して死後3年間の殯(もがり)の期間を設けるなどして、ある意味で死者復活の可能性を残した。死とは人知を超えた不可思議なものという、判らないものは判らないとする健全な思想があるように感じる。

 昔も死んだと思った人が生き返ったことがあったのだろう。私も脳死や心臓停止が人の身体の死だと、断定する勇気は持てない。

 現代は知を大事にするが、感情は意外と大事にされない。知は時に間違いを引き起こすが、感情や体感の世界はアナログ的だがもっと安定しているようだ。私の感情や体感は、今流の死の定義をすんなりと認めることはできない。

 もうひとつ、延命治療の問題も、時おり考える。昨日も胃ろうについて真剣に語らった。自分の身体の生と死。結構難しい問題であるが、いざというときが必ず来るのも確かである。ぼちぼち考え、家族のものに伝えなければ。

(写真は大賀ハスの葉から花が落ちた茎)

<夏休みに考える 8/8>

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今も昔も金・金・金・・・でも所詮金!

2009-08-20 | 第九章「愛」

 石見銀山の歴史を振り返えると、利権を争い、戦争があったり、最後は天領となったりで凄まじいものがある。

 古代史を勉強しても、やはり経済的な問題は何時の世でも大きな問題だったと感心したりする。

 自分の過去を振り返っても、経済的な問題は、自分の生き甲斐の問題と切っても切り離せない大問題だ。

 昔、20年くらい前であろうか、ライフデザインのセミナーを受講したことがある。その時、人生における経済問題に関していろいろ学んだ。既にリタイアした講師の方から親身になって、「余計なお金は残さない。必要なお金(生涯を通じ)だけを稼ぐ。」そんな哲学をしっかり学ばせていただいた(でも、実際はその勉強の成果が出ず、軸がブレてしまう経験も・・・)。

 お金はいくらあっても在り過ぎて困ることはないようであるが(そこが魔物的であるが)、自分のお金に対する理想が現実離れして高くなり、その為に大きな過度の不安(現実とのギャップ)を背負いこむことになりがちである。

 また、お金を稼ぐことは、必ずしも生き甲斐のベクトルと重ならない。重なる人は本当に幸せだと思う。その為、お金稼ぎを最適化し、生き甲斐追及の火種をともし続ける必要がある。

 「恒産なくして恒心なし」も真実かもしれない。勿論その恒産は具体的に何かをきちっと知る必要はある。会社勤めをしていたときの、収入減の不安は大きかったが、納税や社会保険料の軽減や、生活の変化を考えておらず、後で考えると余計な不安だったと反省することも。

 既に廃坑となっている石見銀山。多くの人々の人生を見つめてきたのだろう。

<夏休みに考える 7/8>

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狭い道でゾッとする!

2009-08-19 | 第九章「愛」

 夏休みが終わり、先日八王子での仕事場に行くときに通り馴れた路地裏で、忘れられないような恐ろしいめにあった。

 一方通行の狭い道だが、白線があり歩道の部分を歩いていた。前からは杖をついた女性がこちらに向かって歩いてこられる。無意識に、道を開けようと右側に身体をずらそうとした瞬間、背後から猛スピードの自動車が、ほとんど数センチの間隔で自分を抜き去りそのまま立ち去った。抜き去る時の風・感触が忘れられない。

 前方の女性が驚き、声をかけてくれた、何と言うことだと怒っていた。私も変にひょうきんに、「ああ、びっくりした!」などと呟き、そこで別れた。

 背後に何か気配を感じていたので、通常であれば右に大きく身体をずらすのを躊躇ったのかもしれないが、何が自分を助けたのかよく判らない。頭で考えると、ゾッとすることであるが、その怖さをどうもまだ実感していないようでもある。プロセススケールはまだ低のようだ。

 しかし、何はともあれ、難無きを得て、神に感謝である。想えば、自分がここまで存在してきたのも(人類の四十億年以上の生命の歴史を辿り)、確率論的に言えば殆どありえないことなのだから、余り驚くこともないかもしれない。

 ただ今思うと、メメント・モリ。隣に潜む死を想い、日々を大切にしろとの警告と受け止めよう。

(写真は田舎で川沿いの土手の上を自転車で通りがかるとき、草むらに映る自分の影を撮る)

<夏休みに考える 6/8>

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魂とは・・・

2009-08-18 | 第九章「愛」

 最近、孫娘を抱いてその重さと温もりを感じ、その表情を見ていたら、突然「今ここに在る魂」を実感した。

 その時の不思議な感覚を、今も時々思い出す。

 さて、この夏行った、石見銀山。銀山の側にある、羅漢寺・五百羅漢寺で500羅漢を見た。人間と仏の中間の存在としての羅漢。十八世紀ごろから盛んに日本各地につくられた羅漢像については知っていたが、今回はゆっくり見させてもらった。

 この羅漢像、日本人の長い歴史と感受性の中で、何を表わそうとしていたのだろうか。

 ふと自分の孫娘のことを思い出した。

 肉体が死んでからも、その人を継承する愛そのものである生命体、魂。羅漢像にはそんな生命観が息づいているのではないだろうか。

 羅漢寺で500羅漢を製作した方は、銀山の過酷な労働で亡くなった人々の魂を描きたかったのだろうか。そんな妄想を抱いてしまう。

 今、手元には池田晶子氏の「魂とは何か」の一冊がある。池田晶子氏はTさんから教えてもらい、一度読みたいと思っていたが、先日表題の題目を図書館で見つけ、迷わず借りた。

 読み始めると、これがとても面白い。師からも魂については、いろいろお教えを受けているが、正統な魂論(オカルトではない)はケアを考える上で極めて大切だと思う。ご存じの方も多いと思うが、WHOでも魂のケアについてまじめに論じている。

<夏休みに考える 5/8>

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