最近、孫娘を抱いてその重さと温もりを感じ、その表情を見ていたら、突然「今ここに在る魂」を実感した。
その時の不思議な感覚を、今も時々思い出す。
さて、この夏行った、石見銀山。銀山の側にある、羅漢寺・五百羅漢寺で500羅漢を見た。人間と仏の中間の存在としての羅漢。十八世紀ごろから盛んに日本各地につくられた羅漢像については知っていたが、今回はゆっくり見させてもらった。
この羅漢像、日本人の長い歴史と感受性の中で、何を表わそうとしていたのだろうか。
ふと自分の孫娘のことを思い出した。
肉体が死んでからも、その人を継承する愛そのものである生命体、魂。羅漢像にはそんな生命観が息づいているのではないだろうか。
羅漢寺で500羅漢を製作した方は、銀山の過酷な労働で亡くなった人々の魂を描きたかったのだろうか。そんな妄想を抱いてしまう。
今、手元には池田晶子氏の「魂とは何か」の一冊がある。池田晶子氏はTさんから教えてもらい、一度読みたいと思っていたが、先日表題の題目を図書館で見つけ、迷わず借りた。
読み始めると、これがとても面白い。師からも魂については、いろいろお教えを受けているが、正統な魂論(オカルトではない)はケアを考える上で極めて大切だと思う。ご存じの方も多いと思うが、WHOでも魂のケアについてまじめに論じている。
<夏休みに考える 5/8>
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