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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

縄文の人々の見た北極星・・・(月を解釈する 6/10)

2016-07-20 | 第四章「愛とゆるし」

 昨日は、つつじが丘で勉強会があった。今の世の中も毎日事件が起こりニュースから目が離せなかったりするが、個人の生活でも普段は考えられないことが起ることがある。前期高齢者の拙い私のことを考えても、幼いころからちょっと間違えれば命さえ危ないこともあった。へえ、こんなことも起るのかと感心するようなことも。これから先も災害、病気やケガ、死などがあることは間違いない。

 そして、時には命をかけるような判断を瞬時にしなければならない状況もあるかもしれない。それは運といった人間の限界を超えた領域かもしれない。その中で、生身の身体を持ち、生育史を持ち、魂を持つ自分をどう律していくかは大事だ。

 この2-3年防災に関して随分考えるようになった。3.11が直接の原因であるが、今月になってからも近くの防災センターに行った。そして、いろいろな発見をするのだが、この2-3年で一番驚いたのは、「津波でんでんこ」という考え方だ。これは実に深い言葉であり、とても理に適っているように思える。自分の生育史を考えても、これを幼いころから知っていたならなと思ったりした。

 幼いころに友達が交通事故でなくなったが、これも津波でんでんこの哲学を知っていたら、へんな罪悪感や恥辱感に悩まされることはなかったと思う。

 ちょっと残念だったのは、このWikipediaの津波でんでんこの説明には先祖代々の知恵ではないとあった。しかし、縄文時代の人々であったらどう考えたのだろうか。生きる力も強く、魂への想い(思想的にも)も強かった当時はきっと津波でんでんこと同じことをしていても全く不思議でないと思う。

 さて、写真は小牧野遺跡から見た青森市と陸奥湾である。縄文海進の時代はもっと、陸奥湾が近くまで来ていたかもしれない。そして5,000年前とかに縄文の人々も同じように海を見たり、竪穴住居に住んでいただろうから、夜の陸奥湾を見ることもあっただろう。この方向は北であるので、空に北極星や大熊座、カシオペア座なども当然見えただろう。

 ただ、5000年前という時間は結構長く、地球の地軸の歳差運動の影響は避けられない。そして、当時の北極星は今のこぐま座のしっぽではなく、りゅう座のツバンだった。そして、ツバンを中心に大熊座と小熊座が時計のように回り、あるいはりゅう座がぐるぐる回っていた。その光景は今以上に印象に残るものであったかもしれない。縄文中期の土器に山椒魚紋が関東や中部では描かれることがあるが、この星座をイメージしていたのでは・・・そんな妄想を朝からしてしまう。

 文章が支離滅裂になってきたが、津波でんでんこの話と縄文時代の北極星は、別の話であるようだが、私にとっては何か似ているという感じをもっている。命という普遍的な価値。万とある星の中で唯一動かない星。

 支離滅裂にもう一つ。今日は満月だそうだ。

月を解釈する 6/10

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