昨晩、テレビを見ていたら、大学駅伝の寮母さんのお話があり、一期生のOBが出場できなかったことを寮母さんが悔いていたのに、一期生たちはそれを良しとしていたという感動的な話があった。出場できなかったという現象を悔い、暗く生きる人がいる一方、反対にそれを人生のバネとして明るく生きる人も存在していたのだ。
こうした天と地ほど差がある体験の解釈を、生き甲斐の心理学はとても大切にしている。
最近、私は母の世代の歴史をいろいろ自分の生育史の関係で勉強しているのだが、戦後の食べるための苦労話には胸を打たれる。母は都心に住んでいたが、私が今住む多摩までよく買い出しに来たようだ。そして、新宿あたりの闇市のお世話にもなったようだが、闇市はどうも明治生まれの祖父などには抵抗があったようだ。その関係で祖父は栄養失調になったが、娘や息子の柔軟な生活力でなんとか乗り切ったようだ。
体験の解釈とは何だろう。それは、恐らく主観的な解釈(物語・理想)の線引きをどう意識するかだ。そして、もう一つの現実の解釈とのギャップであるストレス(暗い感情)をどう意識するかが重要だ。ストレスを感じて、柔軟に再解釈を適時行い、行動することでストレスを解放すれば健康でいられる。しかし、祖父のように諸般の事情から体験の解釈が固いままで、身体の健康まで損なうこともあったのだろう。
体験の解釈が明るい傾向の人とは、どんな人か。本人の生き方(自己実現)に深く関わる問題に簡単に妥協したりすることはどうかと思うが、重要でない様々な問題の取り扱い方がポイントかもしれない。杞憂という言葉があるが、最近はテレビから流れてくる情報のうち、どのくらい重要な情報があるのか疑問に思う。ほとんどは、知らなくても自分の人生に影響を与えることはない。そして、そんな情報に翻弄され余計なストレスが湧きだし、時には大切な時間を無駄にもしてしまう。解釈が明るい傾向の人とは、日々のストレスの扱い方が上手ということかもしれない。
さて、そんなことを言う私はどうだろうか。生き甲斐の心理学を学ぶ前、私はずいぶん暗かったと思う。余計なストレスを背負っているのに、重要な生き方に関するストレスには無反応だったり。そんなところあったようだ。
これは、ストレスに対する認識が甘かったというこもある。不要なストレスを感じても大丈夫だという気持ちどこかにあったかもしれないが、これは、恒常的に自分の心身の健康を損なう原因になりがちだ。人間は暗く生きるほど、頑強にできているわけではないうようだ。こころは結構もろいもの。その自覚は大事だ。暗いことを生き甲斐にしてはならない。
これから、しばらくこの解釈の問題について考えてみたい。
明るい解釈と暗い解釈 1/10
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