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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

都心に行くのも、富士山に行くのも掛かる時間は同じ?・・・(富士山を想う 3/10)

2015-05-16 | 第一章「意識と知覚」

 私の家から都心に行くにはだいたい一時間半くらいかかる。そして、年に何回も都心に行く。最近は職場が都心でないので、行く頻度が激減したが、それでも月に何回かは行く。

 そんな私が、縄文小説を妄想して、主人公を多摩の住人と設定し、都心や富士山、そして信州などに旅行する。すると不思議なことに、都心も富士山も距離的にはさほど変わらず、とっても違う時空間があることに気づいてしまった。

 私の中のかつての知覚?は都心はともかく、諏訪とか富士山は遠い存在(リゾートとか)だった。心理的には、そういう場所に行くには片道3時間くらいのイメージがあった。サラリーマン生活のお蔭で?私にとっての都心は心理学的にいうと私の一部で感覚が特殊だったのだ。

 縄文に興味をもち、信州や富士山に興味を持ちだすと、信州も富士山も都心のように自分の一部になり始める。自分の知覚時計も3時間から1.5時間といったように今では健全に修正されつつある(笑)。

 さらに、縄文時代をいろいろ思索すると、自分の一部である地上の交通(電車、車・・・)が揺らぎ始める。川とか海といった水上交通が意識にあがってくる。この前品川考古館ではっと気づいたのだが、例えば、近くの府中、大国魂神社は昔は武蔵の国の中心的な神社であったが、そのくらやみ祭りは品川沖から始まる。何故品川?と思っていたが、非常に簡単だ。多摩川の上流と下流なのだ。

 人は、自分の一部になってしまった習慣に助けられることも当然あるが、その反対に苦しめられることもある。そんな時、例えば私の経験のような都心と富士山・・そんな自分の中のマップを再構築するのはとても大事かもしれない。視野を広げると違う世界が見えてくる。

富士山を想う 3/10

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