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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

空に吸われし15の心・・・でもない11の心!(愛の心理学  

2015-10-30 | 第九章「愛」

 自分と天才といわれる石川啄木を比較するのもおこがましいが、先日訪れた不来方(こずかた)城址(盛岡城址)の歌はどんな感情がベースだったかがとても気になっている。

不来方のお城の草に寝ころびて /空に吸われし /十五の心

 啄木は小学校から中学校低学年まで神童といわれ学業素行等は優秀だったようだが、十五くらいから、初恋、文学への興味、カンニング事件等で問題を起こすようになっていく。ちょうどそんな時に読まれた歌のようだ。詳しくはわからないが、劣等感とかさまざまな感情の中で、お城に行きそこで見上げた空に救われる。そんな歌ではないだろうか。空という言葉から考えるとなにか女性の気配を感じ、初恋の相手が隣にいたかなとも思う(考えすぎか)。

 私の場合も城に逃げたわけではないが、学校帰りの寄り道とかいろいろした。逃げる・逃避の典型というか原型は、11歳ころに従兄に勉強を教えてもらった時のことだ(成績がよくないため)、学業優秀な従兄になにか劣等感を感じていたのだろうか、あるいはつまらない勉強に停滞感を感じていたのだろうか、、ある日従兄がやってくると天井裏に逃げたことがあった。運悪く音をたててしまって、結局従兄に見つかってしまったが、そのときの記憶は何か鮮明である。

 私の場合、空とは正反対のイメージで、逃避はイザナギの黄泉への旅のようで、暗闇、湿気、ネズミが出てきそうな世界で歌にはならない。また、昨日も勉強会で勉強したがプロセススケールから考えると、全体的には低ではあるものの不健康でもなかった。しかし、自己伝達は問題だったように感じる。半分、ふざけていた要素も否定できない。

 あれから50年以上・・・今は天井裏がないので、天井裏に逃げることはないが、考えてみれば孫が遊んでいた室内テントと同じようなテントを家の中に置き、ときおりそこに退避している。性格はなかなか変わらない。

愛の心理学 7/10

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