人間が、身体と心(成育史、心理学の対象)、そして魂から成り立つと考えると。五感と身体、心、そして魂との関係はどうなっているのか興味が湧いてくる。
五感で感じる主体は人間であるが、それは構成されている身体、心に響くと同時に魂にも響いているのだろうか?魂は五感を持っているのだろうか?
そんなことを、50歳台のこの年になってボーっと考える。現代人は、不可知論的に魂を除外することが好きであるが、伝統的な哲学・宗教学の世界では、魂について深く考察をしている。
最近の宗教書を読んでいくと、魂についての記述もでてくる。カトリック神学者J・ドージャの「神のめぐみとは」の感覚と魂の関係の記述。「チベット死者の書」(ゲルク派版)も興味深い。
そして自分の魂が、豊で美しく芳しい五感をもっていると仮定すると、世界がちょっと違って見えてくる。
当然かもしれないが、美しい仏像、宗教画、宗教音楽、建築物・・・それらは身体の五感に対して造られたというより、魂の五感に向かって創られたのでは?
永遠性を希求することは魂の問題だと思う。今日は、日曜日。五感と魂についてゆっくり考えたい。
<五感・体感の意義 4/10>
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この文章から過去の青春を思い出しています。
魂の会話についての研究についての思い出です。
昔、イギリスの大学の研究室での話です。
平素の日常の会話を魂同士の会話として位置づけ場合に、案外面白い気づきがありました。
或場面でのこの会話は既に魂レベルの会話をしているなあ、と感じたことがあります。
特に素敵な異性との会話は非常に美しく、心の中で、神様と自問自答している雰囲気でした。
ある日、研究室で恩師が精神病者との会話テープを持ち出してきました。
この会話は魂同士の会話ではあるが、医学から見た場合の異常性とは何か?答えよ、という試験もありました。
何が正常で、何が異常か、という論点の試験でした。
精神病者の会話といいますが、それは生きている人間が判断したものだし、医学上の分類会話ですし、メビウスの輪から見た会話、あの世とこの世の比較をしないで見た場合の会話、色々と考えさせられました。
何が正常で、何が異常で、どれが身体の会話で、どれが心の会話で、どれが魂の会話なのか、識別は難しい。
そんな中で、研究生徒の頭の混乱を整理統合してくれた方程式が:A=B(X+Y) でした。
Aはこの世での私たちそのもの。
Bは臨終と共に離脱していく魂
Xは赤ちゃんとして誕生していらい、大脳にインプットされた価値観、考え方
Yは生物体としての身体
この方程式が心理療法をしやすくしてくれています。
日常の会話がすなわち魂同士の会話、と断定して思索していくと、非常に面白いことにきづきます。
心と身体の会話には憎しみ、戦争、暴力があります。
魂の会話は愛そのもの、病むことも無く、老いることもなく、永遠普遍の暖かい心の世界、美しい五感と体感の世界、この領域のみが、魂の世界のようです。
Bの世界は純粋な愛そのもの。
Aの世界にはBも、Xも、Yもが混在している試練の世界だなあ、としみじみ思いました。
それだけに、生きているのが面白いとも思いました。
まだまだBだけの世界にはいきたくありません。
矛盾だらけのこのAの世界でしばらく暴れまくりたい心境です。
ありがとうございました。
Bの世界に行きたくないとお聞きし、安心しました!
五感と魂の世界の関係、仮定では生ぬるく、断定するといろいろ見えてくるのだと思いますね。
A=B(X+Y)のお話をお聞きすると、いつも大学の時の卒論を思い出します。病気の診断などに応用できるとされた、レンズモデルというもので、ハンガリアのブルンスウィックという実験心理学者が1950年代考案したものでした。基本的に、考え方はとても似ています。欧米の研究者ですので、宗教心理学等のアイデアから来ているのかもしれません。