この1年くらい、新しいパソコンの購入についていろいろ模索をし、そして昨日新しいパソコンを入手した。特にトラブルもなく快調に使わせていただいている。今回は、見積まで入手しもう発注まじかという段階で2回ほどパスをした。というのも、現在使っているパソコンのディスクが以前故障で取り換えたため、まだしばらくは大丈夫という気持ちがどこかにあったのも一要因だ。ただ、その間、もう待てない・・・ということでノートパソコンでは見にくい、打ちにくいというキーボードとモニターを安価に先に購入した。某A通販で買うと結構安く、それならば外部のディスクやスピーカなどもと、これまた安価に購入し既存のノートブックで先に使わせていただいた。
最後はOSやアプリ、パソコンの本体をどうするかがなどであったが、なるべく故障しないもの、長く使えるものという観点でSSD中心のパソコン、しかも有名ブランドにこだわらず調査して購入した。
パソコン購入という一つのイベントであったが、生きがいの心理学で反省してみると、いろいろなことに気づく。
パソコンも昔と異なり、どんどんパーツ化、標準化しており、かつてのようにすべてを5年おきに買い替える長高重大時代は過ぎてゆくように思う。この中で、私のような消費者は自分の生きがい等を模索する中で、適度の熟慮と適度の思い付きで、思考・感情(情動含む)・行動を回して行くのがよいようだ。
熟慮は、例えば今後の自分の人生を考えると文章や写真の制作関係を大事にしたりするといったときに、お金なども有限なので最適な買い物(方針を決めるなど)をするときに大切だ。一方、思い付きも今を大事にするという観点で考えても始まらないことは直観でやってしまうということも必要かもしれない。目の負担を考えてモニターを買ったのは正解であった。基本の主旋律はあるものの、その場で変わる部分も多いジャズのような行動パターンが良いかもしれない。
それから、今ちょうど生きがいの心理学の勉強会を考えていたり、縄文小説をどうまとめるかということに試行錯誤をしているが、とかく、理想領域が不明確になると、部分の最適化のようなことが起こり、支離滅裂になりがち。昔、企業のマーケティング等で働いたことがあったが、基本計画をしっかり作り、しっかり手を入れていくことは、後悔のない人生を送るうえでも重要だと最近思うようになった。
自分はどこへ流れていきたいか 4/10