7歳の時に、両親と過ごしたアラスカの一年で、印象深かったのは、乾いた雪に触れたことであった。パウダースノーというのであろうか、さらさらとした雪で、握っても結べない。
東京育ちの私は、雪だるまが作れる湿った雪しか経験がなかったので驚いた。きりっとした冷気の中、雪玉も作れず、ただ砂のような乾いた雪。その感触は忘れられない。
啄木の「一握の砂」は、様々な自然が描かれている。啄木は秋の名詩が多いようであるが、冬の詩もある。その中で、次の詩はとても神秘的で好きな詩だ。
ごおと鳴る凩(ゴガラシ)のあと
乾きたる雪舞ひ立ちて
林を包めり
さて、人間には性欲、食欲があるが、そのほかに見神欲(ケンシンヨク)デジデリウムがあるという学説がある。この学説についてはU先生に教えていただいたのだが、とても納得できる。特に芸術の分野では、見神欲抜きで語れるものは少ないのではないか。
啄木というと社会主義者とか無政府主義など、神仏とちょっと無縁な世界の住人のように思っていた。しかし、父は教養ある僧侶であり、妹はクリスチャンであり、宗教的な環境であったのだろう。そして、本人は宗教・哲学も研究していたらしい。
次の詩も好きな詩である。
はてもなく砂うちつづく
戈壁(ゴビ)の野に住みたまふ神は
秋の神かも
目になれし山にはあれど
秋来れば
神や住まむとかしこみて見る
啄木が見た山は岩手山かと思うが、先日テレビでその紅葉の場面があった。素晴らしい! 個人的には東北は殆ど縁がなく、仙台に仕事で2度行ったほどである。行ってみたい!
(一握の砂 10/16)
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