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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

受容する覚悟。縄文人の凄さ・・・ (縄文時代の楽しみ方 2/10)

2020-03-27 | 第五章「和解と平和」

 小池知事の自粛要請が出る前の2-3日。桜を楽しむために縄文遺跡周辺とその近くの公園に車で廻った。写真は東京都稲城市の稲城中央公園の近くだが、この日は多摩ニュータウン遺跡No.9やNo.471のある京王若葉台駅周辺を楽しんだ。5000年前は大河であっただろう多摩川上流の三沢川流域。東博での2018年の縄文展でも出品された東京都埋蔵文化財センターの有名な土偶(ほほえむお化粧土偶)が発掘されたところもある。

 さて、発掘の際の報告書や研究者の著書を読んで感動することが最近多くなった。62歳ころから縄文時代に興味をもち、遺跡を訪問するようになって7年くらいだが、やっと専門家のお話が少しは分かるレベルになってきたのかもしれない。逆に言えばまだまだ素人なのであるが。何でも10年間くらいやらないと一人前にはなれないと誰かが言っていたがそうだと思う。

 この2-3日興味を持って感動し続けているのは、縄文の村といっても私たちの想像するような村とは随分違うということだ。村にすむということは血縁関係と関わりがある。ここまでは皆納得できるところだが、そこから先がどうも違うようだ。

 私の生まれ育った家は母方の祖父母がとなりで、親戚もよく来たりしていたので、何か母系的な村に住んでいるようであった(もちろん祖父が家長ではある)。一方、夏になると広島の父方の祖父母の家に幼い頃から行って滞在した。その時期はブドウ畑の収穫期であり、高校野球のラジオ放送を聞きながらお手伝いをしたものだ。親戚の従兄弟も出入りし、縄文時代であれば村人総出で栗拾いをしたりするようなものだったかもしれない。

 ところで、縄文時代は、馴染みのある父系制でも母系制(疑似?)でもなく双系制社会(財産分与が父方母方別々など、また卑弥呼や古代の女性天皇はこうした伝統の片鱗だったかもしれない。双系制の話は別としても、村(多摩の例だが)はひとつの集団ではなく二つの集団、時には複数の集団が一緒に中央広場を囲んで環状住居をなして住んでいたようだ。そして、各々の集団のリーダ級の人(家長?)は中央広場に決められたやり方で埋葬される。

  

 この写真は、八王子市松木の富士見台公園にあった看板。近くにある多摩ニュータウンNo. 107遺跡の縄文時代の発掘現場である。縄文中期後半の320年くらいの期間にできたお墓を上空から見ると白っぽく環状住居ならぬ環状墓抗が見えてくる。これも東西南北の4つの集団に分かれていて、環状のお墓群になっているのが驚きだ。生きているだけでなく魂となって身体を離れても変わらないような願い。

 例えば100人位住む村があるとする。そこに何かの縁で結びついた二つとかのグループが住む。この縁はそれこそ母方とか父方という結びつきもあっただろう。しかし、私は縄文小説を書く中で気づいたのだが、自然災害、部族同士の利害、そんな中では決して単純ではなかったと。例えば、火山災害で難民化したグループを従者のグループとして考え、一つの村に二つのグループを想像した。

 記紀には海幸山幸の話があるが、これを同じ村の人と考えられないだろうか。ある村に漁業をするグループ、狩猟をするグループがあり、文化は違うものの共生する。縄文後期の気候変動の大きい時代には生活を安定させるために、こうした二つのグループの手組みもあったかもしれない。そのために中央広場を持ち共食し、祭儀を共にする。

 縄文時代の共生。それは、多様性を大事にし共生する文化だったように思う。春になるとモンキチョウが萩の花に群がる。植物と動物の不思議な関係など自然界には不思議なカップルが沢山ある。人間と犬などは直ぐにわかるが、例えば今や切実な問題となっている新型コロナウィルスと人間の関係も単純ではない。命を奪うという恐ろしいこともあるが、補うところもある。こんな時代に不謹慎なといわれてしまうが、石弘之著「感染症の世界史」(角川ソフィア文庫2018年)を読んでいたらウィルスが人間を含む哺乳動物の胎児を守っているという学説は定説のようだ。そういうこともあるんだなと思う。

 欧米の国々、世界中の国々は新型コロナウィルスを敵視し戦時体制を組む。それに対し日本は平和憲法の縛りで不思議なほどゆるく対応している。今の状況では日本も戦時体制を組む方が良いのかもしれないが、そのふるまい方は独特だ。明治維新の前の幕藩体制の時に列国から日本の主権がどこか見えにくかったのと同じだ。まあ、命あっての・・であるのできちっとした現実に基づき覚悟を決めて対応してもらいたい。ただ、共生とは何か生物多様性とは何かは、私たちも考え続けなければならないと思う。

 さて、この共生を考えるとき。私が「生き甲斐の心理学」から学ぶことは受容ということである。よく、傾聴の話の中で、受容と共感、そして純粋と一致がでてくる。この3つを押さえると傾聴になるという。中でもこの受容は分かりにくい。私もそうだったが賛同することと思ってしまう。しかしそうではなく、相手の立場を深いところで理解し、相手をゆるすと言ってもよいのだろう。世の中傾聴とかコーチングとかで受容と言葉は良く聴くし、傾聴訓練などをしていくと受容なんて簡単・・・と思うようになる。しかし、受容というのはそんなテクニックの問題とは違うようだ。

 U先生の「生き甲斐の心理学」のブログに次のような一節がある。「現実を、森羅万象の解釈を、きちんと受けとめるには、相当の覚悟が必要ですが、私を含めた凡人は、ついつい現実を避けて、逃避的な夢に走ります。そうしないと厳しい現実に耐えられないからです。」(2007年8月21日)U先生が凡人とは思わないが、この覚悟という意味はとても深い。生命体、あるいは魂の問題と言ってもよいのだろうか。

 私たちの縄文時代の祖先は、強烈な火山爆発、地震、津波、・・・もちろん気象変化による食糧難もあっただろう。あるいは複雑な人間(人間集団)関係や疫病もあったと思う。そんな中でも命のバトンを後世に残しここに至っている。私は思うのだが不思議なほどに彼らは受容性があったのだと思う。そうでなければ10,000年以上の文化は崩壊しただろう。私たちは受容性についても学ぶ必要があるようだ。

縄文時代の楽しみ方 2/10 

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