イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

心をどこまで分割できるか?

2008-10-13 | 第十章「今ここでの恩寵」

 デジタルカメラは、10年以上前にカシオのQV10がヒットしたときから使っている。当時は25万画素であったが、パソコンにデータを取り入れることができ、結構楽しめた。そして、現在ブログの写真に使っている携帯(デジタルカメラ機能付き)は500万画素である。

 画素が増えると、パソコンなどに転送する時間や、使用するメモリー容量が大きくなるなどで、結構不便なものだが、最近はパソコンのメモリや転送技術、プロセッサーの性能などもケタ違いに良くなり、500万画素が実に軽快に利用できる環境になっている。簡単な画像修整ソフトを使えば、表現力は10年前と比べ100倍!という感じである。

 画素が増えるということは、ひとつの風景をきめ細かく分割していくことでもある。

 美しい写真もこの、きめ細かい分割が重要である。音楽でも、一流の音楽家の音色は、ひとつの音をだすにしろ、奥行きが全然違う。それは、豊な感受性で音を一般人より遥かに分割して感じ、また、それを表現する術を知っているからなのだろう。

 こころに関しても、同様であるようだ。感情とか状態を豊かに感じることは、この分割と関係があるようである。師は、私より遥かに感情の機微を見抜く。

 感情の曼陀羅をより深く理解する。カールロジャースのプロセス・スケールを日常で利用する。これは、どうも真の回答を自分の中に見出すというための基礎訓練のように思う。

 自分のこころを把握する画素はどのくらいだろうか?

 自分の修行不足を謙虚に思うし、身体の状態とも関係するので、身体についての関心も高くなる。

<真の回答2/4>

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