イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

本音を語ることで癒される

2006-04-08 | 2006年度(1/13まで)
 52歳で長年勤めた会社を辞めて、新しい仕事にチャレンジすることは、結構精神的にきつい。その中で、ああ、あんな失態をやらかして・・など赤面することも多いが、なんとかやってこられたのは、人に支えられたということ以外にない。そして、不思議なことに支えられる場面では、自らが恥を覚悟で本音を語っていた。

 本音を語ること。思い出せば6歳から7歳にかけてのころに原体験があるように思える。アラスカの現地の小学校に通い始めたころ、周りには日本人が一人もおらず、英語ばかりの世界であった。異文化の中に溶け込めず、一時は思い起こせば、不安神経症のような身体症状を呈してこともあった。急に心臓に痛みを感じ、父親が職場から駆けつけたこともあった。そんな中で、ある日小学校で、何も語らない私に小学校の先生が、色付のカードを見せて、「これは何色か?」と尋ねているようであった。優しい先生で、心配してくれるのがよくわかった。そして勇気を出して、「赤、紫・・・」と日本語で語った。先生は、びっくりしたようであったが、クラスの生徒に、日本語で色の名前が、「Aka, Murasaki...」というんだと喜んで話してくれた。人に本音で語り、それに応えてくれることの喜びはなんと大きいことか。そんな体験の下で、異文化の環境になじんでいったと思う。

 本音を語らず、どこかで抑圧して、こころの負担になったこともある。アラスカに行く一年前、通学途中で外堀通りで友達が飛び出し、バイクにはねられた。事故後、駆け足で小学校に行き、職員室の先生に報告したのはよいが、状況をきちっと本音で語らないために怪訝な顔をされて無視された。はねられた友達とふざけて遊んで登校していた事実、はねられてピクリともせず倒れた状況などを語れなかった。会った先生が、よく知っている先生であればよかったが、殆ど面識のない先生であったこともあり、仕方が無かったかもしれない。

 その後両親や、亡くなった友達のお母様とお話したが、本音の部分を正直に言い出せず、その後の人生の中で禍根を残した。この問題を意識して思い出し、亡くなった友達に、こころから謝ったのは50歳を過ぎてからであった。