イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

縄文人の愛のイメージ・・(2/10 五感で縄文を探る)

2022-07-22 | 第十一章「五感で面白おかしく」

比較文化論や比較宗教学の影響を受けたU先生の「生き甲斐の心理学」の愛の定義は(その人が心の中で愛を感じたものを愛とする)である。「生き甲斐の心理学」は臨床心理系でもあるので当然の定義だと思うが、アガペーとか慈愛など定義や意味をを学んだことがあったので、なにか拍子抜けのところがあった。しかし、いくら高邁な定義であったとしてもその人がなにも感じなければ論外なので、この定義は価値あるものと納得している。

さて、人それぞれが自分が思っている愛。それは生育史上の愛の原型(幼児期や少年少女期などで作られる)から導かれるような愛であるが、ここでは愛のイメージと呼んでみよう。勿論、定義から、それは人それぞれ異なるということがわかる。

例えば、私が幼いころは野球が流行っていて、父と時々楽しいキャッチボールをし、またラジオやテレビで一緒に西鉄ライオンズを応援した。そんなことで、私にとって西鉄ライオンズは一つの愛の原型、愛のイメージになったようだ。しかし、東京ではジャイアンツ人気が根強く、学校の友達の中で共感してくれる人は居なかった。そうして私は孤独感を味わい、いつのまにか野球にも興味を失ってしまった。

これは一つの例だが、他者とのやりとりから人は愛の原型を育み、愛のイメージを育てていく。そして、他者との関わりの中で相互の愛のイメージはコミュニケーションの大事な要素となってくる。勿論、愛のイメージはその人独自のもので、野球などやったこともなく趣味が水泳だという方にとっては、西鉄ライオンズと聞いても何もときめかない。反対に水泳の話をされてもこちらも何も感じない。

しかし、お互いに自他肯定の気持ちを持って自分を拡げようという意思があれば、相互の愛のイメージを意識し自分の愛意外にも興味を持つことになる。そして、生育史だけとは限らないが、相互の理解を通し自分の世界を拡げていくことが可能なのだと思う。

さて、縄文人についてだが、5-6年前に私は縄文小説を上梓したが、タイトルは「縄文小説 森と海と月」、副題五千年前の祖先の愛と魂」ということで、愛も意識していた。そして、想像上の縄文人の愛の物語を作ったが、今となっては何か物足りず、次作でさらに深めていければと思っている。

今月、新潟県を中心にして自分なりの縄文ツアーを楽しんだ。巻頭の写真は新潟県津南町の歴史資料館の火焰型土器と王冠土器を撮ったもの。縄文中期のこの時期。地域を越えて信仰の対象となった宗教・神話もあった推測できるが、地域独特の愛の原型の集合体のようなイメージもあるのではないかと思う。縄文中期は津南町や十日町、長岡は今と同じ多雪地域であった。冬の期間の生活は深い雪に覆われ、今でも大変なので当時の大変さは想像を超えるものだったかもしれない。豪雪の重みに耐える住居の作り方などは半端でない。それにもかかわらず、この地域に住み続けたのはサケ漁とか狩猟といった自然の恵みもあっただろうが、驚嘆するような美しい自然もあったのではと思う。津南町の美しい景観が見られる石落しでは苗場山からの30万年前に流れた溶岩が、信濃川水系の浸食で、両岸に険しいが美しい柱状節理を見せてくれている。火焰型土器の土器の底部の方は美しい縦線が見られるが、私は何かこの柱状節理を思い出してしまう。柱状節理からは石棒が作られたりするので、縦線には縦線を越えた深い意味があるのかもしれない。定期的な祭りや大事な節目に美味しい団子を作って蒸したりし、家族や部族で愛のイメージを確認しあったのだと思う。

火焰型土器の図像には、月の神話やトーテム信仰などが隠れているように私は想像しているが、皆様はどう想像されているのだろうか。さらに、躍動感のある口縁部の表現から、火焰のイメージや海や川の波・水煙を想像したり、何か不明だが生命体の躍動感を感じる方もいらっしゃると思う。それは私達が忘れたかけた愛のイメージを縄文人が囁いているのかもしれない。

縄文人の愛の原型の中で私達にも直感的に分かる物もある。八王子市の宮田遺跡の子抱き土偶や石川県上山田貝塚のおんぶ土偶などを見ると、幼児への母の愛が5000年の月日を超えて、あるいは地域や言語を越えて瞬時に伝わってくる。幼子に帯する母親の無条件の愛は今も昔も変わらないのではないだろうか。

こうした愛のイメージが描かれた縄文土器や土偶は10、000年以上作り続けられてきた。さらに優れた土器や土偶は日本だけでなく世界でも展示会では大きな反響を呼ぶという。普遍的な愛のイメージを抱かせるのかもしれない。

なお、このブログを書くに当たり、NPO法人国際縄文学協会の雑誌「縄文」vol31を参考にさせていただいた。感謝いたします。

2/10 縄文を五感で探る

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「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

入手方法

1.紙の本の入手については・・・

  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

    住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2  

 なお、国会図書館、八王子市図書館でも閲覧できます。

2.電子書籍版はアマゾンさんで、1000円で購入できますが、

  Kindle unlimitedなどの特典で無料でも読めます。 


       森裕行

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他者との違いを楽しむ縄文の世界(1/10 縄文を五感で探る)

2022-07-20 | 第十一章「五感で面白おかしく」

人を愛し愛されるノウハウは個人の幼い頃の生育史に縛られやすい傾向があるので、自分だけでなく他者の世界を柔軟に知れば、だいぶ世界は広がり心の世界は豊かになると思う。大事な人とのかかわりあいで、意見の相違など「違い」とどう付き合って行くかが大事なようだ。

普通は「違い」に遭遇すると愛の孤独を感じ、心を開くというより閉じる方向に行きやすい。つまり防衛機制を働かせ自他肯定のスタンスが崩れやすい。このときにうまく間をとったりしながら傾聴モードに切り替えて、相手の愛の原型を探ったり、こちらの愛の原型に関する思いを語ったり出来ると良いのだが。

とはいえ、なかなかそうはいかない。好転する時を待つことも大事だと思う。その時に、日常生活を五感体感でイキイキと真善美に触れつつ過ごすということがとても大事な気がする。今の世の中はマスコミその他が騒がしく、自らの喜怒哀楽が他律的に決められやすい(どちらかと言うと怒りや哀しみの方向)こともある。自己否定の雰囲気や他者否定の雰囲気の中では、心を開くというより閉じる方向になってしまう。

比較文化論、比較宗教学を取り入れた生き甲斐の心理学の人間観は、人は身体(医学の領域)、こころ(生育史で臨床心理学の領域)、そして魂(一つの代表的な定義として、人が死んで身体から離れる生命体であり愛そのもの。これは宗教や哲学の領域)からなるとしている。

そんなことを考えつつ、騒がしい現代日本から離れ縄文人のことを考えると、暦に従って祭りを楽しんだり行事を楽しむ姿が思い描かれる。そこでは五感体感を通して真善美にふれる機会が定期的(二至二分など)にあるのだと思う。縄文後期に宗教に関係すると思われる配石遺構やストーンサークルが増えたりするのもこのようなことと関係しているのだと思う。

このような縄文時代からの文化遺産は今でも正月などに生きていると思う。身体を休め、美味しい物を食べたり五感を楽しませる。太平洋戦争が終わるまでは数え年が普通であったから、正月は皆の誕生日。それ故お年玉を楽しんだりもした。さらに除夜の鐘や初詣、ミサで祈る習慣は魂の領域かもしれない。

さらに縄文の面影をより残している事例もあると思う。私は何年か前に沖縄の久高島を訪れた。そこにはそれこそ縄文時代からと思われるような暦を中心にした生活が息づいていた。

親子、夫婦、職場、地域・・・いろいろな人間関係があるが、違いを楽しみ愛の多様性を楽しみたいものである。

1/10 縄文を五感で探る

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「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」

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希望は最後の切り札・・今も縄文時代も (10/10 五感と縄文)

2022-07-12 | 第十一章「五感で面白おかしく」

先日の旅ほど素敵な縄文時代の文化に親しんだことはなかった。国宝級の土器や土偶、石棒などを博物館で楽しませていただいたが、東京ではなかなか味わえない、縄文の雰囲気の溢れる遺跡公園や景観を五感で味合わせていただいたことは至福の時だった。

津南町の石落とし

縄文時代は氷河期のころまで遡れるが、その一万年以上の縄文時代は私たちの列島の祖先に様々な災難をもたらせたのだと思う。その中にあって、すべての縄文人は生きそして死に私たちに命のバトンタッチをしてくれたのだと思う。そして、その遺物をじっくり見たりしていると、今この近くに縄文人が現存するようなリアルさを感じてしまう。

人間は、死に対して実に無力である。 身体は簡単に滅んでしまう。 しかし、祖先たちは死に対しても絶望せず希望を持ち続けた。 今回の旅では夥しい数の土器(氷河期のころの土器から弥生時代。 地域的にも関東だけでなく甲信越まで。 )をゆっくり拝見することができた。 その中で、井戸尻考古館等で習った図像解釈も少しは頭に入れていたので、例えば縄文中期には一貫した神話の世界(よくわからないなりに暦のような自然現象、この世の創生、穀物などの恵、人間の誕生と死と魂)があり、地域を越えた縄文時代の人々の質の高いいイメージ・希望を垣間見たようだった。

希望という言葉は、様々なイメージを喚起するが、U先生から習ったギリシャ神話のパンドラの箱の話が私にとって一番深いところから考えさせていただける。 開けてはいけないという箱を開けてしまい災いがたくさん出てしまうが、希望だけが不思議に箱に残ったという神話。 ここからは私の妄想だが、箱というのは人のことかもしれない。 私という人間を例えてみると沢山の災いが充満しているかもしれない。 しかし、それでも希望が私のどこかに張り付いてくれ救われるのだ。それは愛そのものの魂かもしれない。

話を戻そう。 パンドラの箱を開けると様々な災難が飛び出す。 世の中には神も仏もいないようなことがときどき起こるがそういう状態なのだろう。 それは縄文時代も現代も同じかもしれない。 しかし、その中でさえも希望が不思議になくならない。 私も最近、年も年なので自分のお墓をどうするかを真面目にあれやこれやと考えているが、お墓に留まらずその奥の死という理不尽な現象について考えると、本当の希望の意味が現れてくるようにも思う。 厳しい現実の中で何を待ち望むのか。 それは一見現実から乖離されているようであるが、日々の身近な問題・何をするかを考え、行動することでもあるようだ。

希望はかなり普遍的で観念的のように思われるが、反対に極めて個性的なところもあるように思う。 個性とは何だろうか。 天職とか天命という言葉があるがそれと裏腹かもしれない。 自分の過去の経験に希望の原型といったようなものがいくつかあり、それと響きあうように現在の問題解決がなされる。それは五感の世界でオーケストラのように豊かな世界・めぐみを到来させるのではないだろうか。

馬高縄文館前で猪風来さんのモニュメントに出会う

10/10 五感と縄文 

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愛の原型を意識すると愛の多様性に気がつく・・今も縄文時代も (9/10 五感と縄文)

2022-07-05 | 第十一章「五感で面白おかしく」

一家団欒で家でご馳走を食べるのと、一家で外食を楽しむのとどちらが嬉しいか?私は外食も勿論好きだが、父の影響か家でご馳走を食べるほうだった。ところが妻は外食が特にお好きのようだった。

他者との愛し愛される幼い頃の経験は原型となって、その人の人生を左右するという理論がある。それを踏襲すると、私のそれは家でご馳走を皆で楽しむという愛の原型があるようだし、妻の場合はどうも外食を家族で楽しむという原型があるようだった。この場合、愛の原型のことを知らないと、夫婦間のちょっとした深層意識のずれは、微妙な問題になったりする。外食に愛を感じる人は家でのご馳走はここ一つ喜べないし、場合によれば煩わしくは感じるかも知れない。

人それぞれの愛の原型を意識すると、例えば私が外食は良いものだと思うようになり(教育されたのかもしれないが)、愛の多様性をより知ることになる(負け惜しみかもしれないが)。勿論その反対もあり、円満になっていくことも。

愛の原型は結構大事であり、人間関係に大きな影響を与える。自分の愛の原型を意識したり、大切な人の愛の原型を意識すると人間関係も少し変わってくるようだ。愛の原型も自分で直接経験したこともあるが、間接的な経験もある。先の家で一家でご馳走をということは、父の考え方がベースでどこかで私があたかも自分で直接経験したように思い込んでいたふしがある。また本来なら愛は自他肯定的なスタンスに向かうと思うのだが、例えば自己否定・他者肯定に流れるような原型もあるかもしれない。自分の人生をより豊かにするためにも、自分の愛の原型について、時々立ち止まって点検すると生き方が豊かになるようだ。愛の孤独を感じる時は特に必要かもしれない。

さて、縄文時代のことだが、土器や土偶の多彩さは、縄文人の愛の原型の多彩さを表しているようにも思えてしまう。だんだん考古学の成果で分かってきていることの一つに、結婚相手は自分の村(中期など)だけでなく、遠方の村からということもあったようだ。縄文時代も交易(干し貝や黒曜石は有名)があったが結婚相手を遠方から求めるということもあったようだ。多摩の村に信州から嫁かくる。信州からの嫁は多摩の流儀の土器を教えてもらい作って使うが、信州の土器に愛の原型があり、どうしても信州の土器が作りたくなって、家族に夫も理解してもらって土器も作ってみる。作った土器で食事をして妻も当然大喜びだが、喜ぶ妻に何か元気をもらって愛の多様性を知った家族もいる。そんなこともあったのではないだろうか。

9/10 五感と縄文 

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コツコツと旅する人生・・今も縄文時代も (8/10 五感と縄文)

2022-07-02 | 第十一章「五感で面白おかしく」

縄文小説を書くために最近学生時代に読んだ「悲しき熱帯」を納戸の書棚から引っ張り出して、それこそ40~50年ぶりに読んだ。昔読んだ本は、良かったとかつまらなかったという感想の記憶は微かに残っているものの、内容はすっかり忘れているのもおかしい(笑)。

そして、ところとどころ読み直すともう一つ気づくことがある。かつては抵抗なく読め好印象だったのに、今読むと抵抗感を感じたり、印象がかなり変わってしまっていたり。その一番の原因は、自分の哲学というかアイデンティティがいつのまにか変わったこと、現実吟味力も学生のそれと違っていること、防衛機制の使い方も変化しているということかもしれない。

心理学の用語ではわかりにくいかもしれない。平たく言えば個人が成長したとか、年輪を積んだとか、個性的になったとか、そういう領域のことなのだろう。前回のブログでの「解釈を変える」は主にある時点での自分の解釈を変えることであったが(現実の再考察)、今回はちょっと違う理想の変化ということになるなのだろう。そして、これは日々の中で「私は何の為に生まれてきたのだろうか?」というような根源的な自問自答から生まれる。心理学というより宗教とか哲学の世界の問題であり、自問自答は旅に似たなにかである。

会社に入ってある職務を身につける。好きなスポーツをやりはじめること。修行というか旅というか。そんな中で少しずつ何かが見え変わって行く。さらに奥の深い真善美の領域もあり、例えば人生最大の問題である死とか病といったことが旅の途中で突然立ちはだかって来たりする。

その時、宗教や哲学の領域の問題が出てくるが、これは頭だけで理解するものではないようだ。身体性、五感と密接な喜怒哀楽の世界と関係するようだ。長い階段を苦労して上がってたどり着いた神社。長い旅の末にたどりついたお寺。何か入りにくいが意を決して入った教会。普段は着ない浴衣を着て参加したお祭りもそうかもしれない。日常と非日常の境で、山道で突然展望が開けるところにでたように分かることもあるようだ。悔いの無い人生を歩むには旅が必要なのであろう。

さて、縄文時代の祖先の旅はどんなものだったのだろうか?縄文時代の文化とも関係が深いと思われるアイヌ民族や東北地方の聖域は祭り。沖縄などの南西諸島の聖域や祭りなどを調べてみるとその一端が少し見えてくる。また、考古学の成果で宗教用具の土偶、石棒。あるいは縄文後期の環状列石や配石などは、多大な非日常的な労力なしでは考えられず、それこそ縄文時代の祖先の精神世界の旅を感じてしまう。こうした精神文化の上に日本の豊かな古代や中世の宗教が花開き、近世でも250年にわたる隠れキリシタンの時代があったりしたのだろう。

8/10 五感と縄文 

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