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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

人間嫌いの縄文人?きっと人間好き (7/10 縄文を五感で探る)

2022-08-19 | 第十一章「五感で面白おかしく」

50年ぶりに広島県の帝釈峡に行った。 50年前は友人とキャンプを楽しむためだったが、今回は帝釈峡遺跡群を学ぶために現地の庄原市歴史博物館である時悠館を友人と見学するためだった。 時の移り変わりと人生の不思議さを味わった。 50年前の私は「これから」という可能性に燃えた若者だったが何となく人間嫌い。 今は年をとったので「そろそろ」というように先が見えているが、こころは結構自由であり人間嫌いではない。

さて、写真は時悠館のそばで撮った桔梗。 桔梗の花は自宅のベランダでも咲いているが自然に溶け込んだ帝釈峡の桔梗は格別に美しかった。 また時悠館で見た五弁(五つの突起) の縄文後期の土器を見たばかりでもあり、この桔梗はしっかりと記憶に焼き付いてしまった(とは言え今は忘れるが)。 縄文人も桔梗を愛し五弁の土器を作ったのだろうか?

ネットで調べたところ。 8世紀の万葉集にも桔梗が載っているし、桔梗は漢方などでも広く利用されているようなので、日本列島在来種の可能性も含め縄文時代にもあった可能性は低くないようだ。 最近の学説では縄文後期以降には穀物の多く(コメやそばを含め)が畑作で栽培されていたようなので、桔梗も縄文後期に入ってきた可能性もあるだろう。

ところで1万年以上の縄文時代とはいえ、口縁部に奇数の突起などがある土器が沢山できるのは約4,000年前の後期からだと聞いたことがある。 中期の土器は芸術的で得難いが、後期になると土器が多様化し別の発展を遂げる。 注口土器などもできたり、普段使いの深鉢ができたり・・・その流れに五弁の土器もあるのだろうか。 調べてみると自然界の花の花弁の中で五弁は最も多いようだ。 縄文人も見慣れた5角形なのだろう。ただ、五角形は描くのが難しい、それは土器づくりにも言えるのではないだろうか。 多分、あの花の形の土器を作りたいという願いは縄文後期以前からあったと思うが、難しいのか作れなかったのではないだろうか。

縄文後期は私が一番関心がある時期だ。 縄文後期になると当時としては大掛かりな配石遺構など土木工事が多くなる。 これは縄文中期末ごろの異常気象や中期ごろからの寒冷化と関係があるかもしれない。 厳しい時代には科学時術は進歩する。 縄文時代の後期はまだ文字がない社会であったが、長さの単位(縄文尺)は確実にあり、かなり正確に二至二分などの暦を知り、集団行動(水場の建設や配石遺構建設)も組織的に行っていた。 縄文後期は縄文時代のルネッサンスだったのではないだろうか。

妄想ついでに、縄文後期人の人間観について。 先に50年前に私が帝釈峡に行ったころの話だが、工学部で科学技術を学んでいる最中の私は、人間観という意味では厭世的・人間嫌いであったようだ。 もちろん若いのでいろいろ楽しみはしたが基本的な思想は高校の時にカトリック教会から離れ根は暗かった。 今は伝統宗教(カトリック)を信じて人間嫌いではないが、これは今のような厳しい時代の中でも心の自由を得るには大事だと実感している。もちろん科学技術を大切にすることと矛盾はない。まあ、個別の信仰・思想の世界は分かりにくいものだが、U先生が教えてくれたオックスフォード大学流の比較宗教学をもとにした人の定義はだれにでもわかりやすく人間嫌いに一石を投じてくれるように思う。

A=B(X+Y)

A: 人間そのもの
B: 魂のこと、代表的な魂の定義として「魂は永遠不変のもの、愛そのものである魂は病む事も無く、死ぬことも  ない、臨終と共に身体から離脱する知的生命体」
X:  生育史のこと
Y:  生物学的、医学的な身体のこと

こうした人間観は、基本的人権や福祉思想とも整合性が良く、世界の多くの伝統宗教とも整合性がとれるのではないかと思う。

ところで、厳しい時代の縄文後期。縄文時代のルネッサンスかはわからないが、縄文人たちはこの公式のような人間観を持っていたのではというのが私の仮説である。武器を作らず、病人の世話を大事にしたりする。ギスギスした世の中でちょっと違った希望を見つけるには大事な公式だと思う。

7/10 縄文を五感で探る

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「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

入手方法

1.紙の本の入手については・・・

  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

    住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2  

 なお、国会図書館、八王子市図書館でも閲覧できます。

2.電子書籍版はアマゾンさんで、1000円で購入できますが、

  Kindle unlimitedなどの特典で無料でも読めます。 


       森裕行

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縄文が生き甲斐になるとき?五感をとおして何かが・・(6/10 縄文を五感で探る)

2022-08-08 | 第十一章「五感で面白おかしく」

写真は何処にでもありそうな東京の郊外の公園。しかし縄文時代に嵌まりこの公園周辺に遺跡があることを知り、さらに発掘調査報告書を読んでからは、以前と全く違うように感じるようになった。

公園には犬の散歩をする男性。近くの花壇の世話をするご婦人・・・いろいろな方が通り過ぎるが、今ここの風景だけでなく、例えば10,000年前ご先祖さまが家族で竪穴住居で食事をしていたり、3500年前の縄文後期人がトーテムポールを作っていたり、高台から南西の山の端にちょこっと顔を出している蛭ヶ岳に感動する人々、そんなことをふと妄想するようになった。

人が、毛虫から蝶のように大きく変身するのは、五感体感で何かを知覚してからだと思う。それは表面的な身体や生育史のレベルではなく、こころの奥の魂で感じた時。普段はいきるための鎧で覆われている奥の奥が疼く時。そんな時に自分が観え、人生が観える。

7歳の時に1年アラスカで経験した五感の記憶の中にそんな深い記憶がある。当初は言葉がまったく分からず(Google翻訳ももちろん無く)おどおどしていたときに優しく助けてくれた小学校の先生。誰もいない公園で不思議なトーテムポールを眺めていた時の不思議な気持ち。家の裏で大きな木の枝がハンモックのようだったこと。雪の道で側溝に落ちそうになり助けてくれた少し上の女子。それが私の縄文の原型(笑)なのかもしれない。

それから60年くらいたった2014年。啐啄同時と言う言葉があるが、地域でのストーンサーク見学会で縄文に興味をもつようになり、夏に黒曜石ミュージアムを訪ねたことが決定的だった。そこから1時間くらい掛けて黒曜石採掘場を巡り、星くそ峠も登った。そこでの風景や地面に落ちている縄文人も触ったかもしれない黒曜石の破片。峠を吹く夏の心地よい風や野の花。見えないが野生動物の臭い。それが遅ればせかもしれないが縄文にうつつを抜かす人生の始まりだったようだ。縄文ワールドにようこそ・・どこかで縄文人が囁いていたのかもしれない。

人の変容はロジャースの6つの条件と関係するようだ。①自分を肯定してくれるようなラポールの存在②どこか不統合な私③統合された愛そのものの魂?の存在④無条件の優しさ⑤自分への理解⑥ちょっとした愛の伝達。

8月6日、「掘る女 縄文人の落とし物」(松本貴子監督)、素晴らしいドキュメンタリー映画を鑑賞することができた。この映画を見て感じたことは、まさしく自分の体験とかさなる。なぜ、人は縄文に魅せられるのか。文字も無く来歴もほとんど分からないモノを中心にした考古学に魅せられるのか。土器や土偶、遺構・・に惹かれ、人生を変えて行くのか。実際に縄文人が作ったものに触れてみる。時間を経ても同じ場所に立つ。そういったことが全てではないもののきっかけになるのではないだろうか。観念だけの危ない世界から、五感で立つ世界に。

6/10 縄文を五感で探る

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男性、女性を直視する縄文時代の宗教とは? (5/10 縄文を五感で探る)

2022-08-03 | 第十一章「五感で面白おかしく」

私が縄文時代にのめり込んだきっかけの一つは、多摩境の田端環状積石遺構(ストーンサークルとして有名)の見学会に行ったことであるが、縄文晩期まで700年使われたその遺構には縄文中期のものと思われる石棒(男性の象徴とも言える)の破片や土偶(女性を象徴)があったりした。

それからずっと縄文の宗教祭儀に興味を持ち情報収集してきたが、例えば調布市の縄文晩期の下布田遺跡にも中期や後期の石棒だけでなく石皿、凹み石(女性の象徴とも思える)も祭儀に使われている。こうしたことから単純化をゆるしていただくとすれば、縄文時代の宗教の底に性のイメージが深く関わっていると考えてもよさそうである。石棒の出現は前期まで遡れそうなので、それは2000年とか3000年続くようなのである(石棒や後期の石刀は違うなど細かい議論はあると思うが)。ところで日本列島での仏教の布教の歴史は約1500年、キリスト教の布教の歴史約500年(奈良時代に景教がという説もあるが)と比べても遙かに長く、その信仰は半端ではないように感じられる。

縄文時代の宗教は文字で残されたわけではないので、詳細は分からない。勿論後代に神話などが残されているし民俗的なアプローチも無いわけでもない。私などは例えば縄文時代の遺跡のそばにある道祖神や塞ノ神に今だに私達の中に息づく縄文時代からの信仰の息吹を感じてしまう。

一方考古学的にも有機物は残りにくいので、石棒や土偶などといっても、本来どのようなイメージで信仰の対象になっていたかは霧に覆われているところもある。そういうこともあり、それを見る私達は何か露骨で原始的なイメージ、あるいは暗いイメージを抱きがちになる。そして、原始的で劣ったもののように考えられがちだが本当にそうなのであろうか。

例えば現代に世界的に信者の多いキリスト教には旧約聖書の雅歌がある。また、仏教にも奈良時代に空海が唐から持ち込んだとされる理趣経がある。いずれにしても日本でも現代語訳がなされ宗教者によってその象徴の意味等は深く研究されている。これらの書物は性に関係する人類の宝で、今の私達の生き方にも大きな影響を与えるものではないだろうか。

キリスト教も仏教も日本列島人からすれば、外来宗教だが、性を否定的に見ているわけではなく、むしろ明るく健全に私達が直感で解釈できるものではないだろうか。そのエネルギーは芸術や科学をはじめ文化の源泉となっているようでもある。

そのような背景から、縄文時代の世界に誇るような土器や土偶などの芸術品も、高い宗教性をもった性をきちんと見据えた縄文時代の宗教から来ているのではと推察するのも大きな間違いではないように思う。

大事な男女の性を健全に昇華した縄文時代の宗教は多くの真善美を生み出し一万年も続いたのではないだろうか。

5/10 縄文を五感で探る

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真善美が広げてくれる自由な世界・・今も縄文も (4/10 縄文を五感で探る)

2022-07-30 | 第十一章「五感で面白おかしく」

人は生涯を通して「思い込み」と共に暮らす存在のようだ。私が「生き甲斐の心理学」を学ぶようになったのも、6歳の時のある事件とその解釈(思い込み)と関係があるように今となっては考えるのだが、その時の「思い込み」は何と50年たってから解放された。これは一つの事例だが、多分私はまだ多くの「思い込み」を持ち、生涯を終えるに違いない。

さて、最近私は大栗川の下流域(聖蹟桜ヶ丘周辺)を良く散歩するようになった。この下流域に私は40年前ごろから20年近く暮らしていた。しかし、当時は縄文時代に興味は殆どなく、大栗川の下流域も交通公園や市民プールで楽しんだりするくらいだった。

ところで、この20年くらいだが、東京の下町の川の歴史の面白さに気が付き、ある時隅田川で水上バスを楽しんだ。その時私は不思議な感覚を持った。例えば勝鬨橋であるが、その上を数知れず都電やバスや自動車で渡ったが水上バスで、橋の下をくぐったのは初めてであった。そして、東京が水の都市であることを初めて実感したのだった。その時の驚きと感動。視点が橋の上と橋の下ではかくも異なる。

そして、縄文時代だが、ある方から縄文時代の交通は川と尾根道が鍵かと親切に教えていただいた。にも拘わらず、私は橋の上を車で移動したりで縄文時代の川の意味を本当に知っていたとは言えなかったようだ。もちろん当時と同じように川を丸木舟で移動などできないが(してみたいが)、視点を意識して変えることはできるように思う。

次の写真は大栗川が多摩川に合流するちょっと前に多摩センター方面に流れる乞田川と合流する地点である。写真ではさざ波が立っている方(右下)が乞田川。左から大栗川が乞田川と合流して巻頭の写真のように東北東に流れ多摩川に合流する。そして右側の丘が連光寺方面で坂を上ると明治天皇が行幸された地点や対鴎荘跡、桜ヶ丘カントリークラブや米軍の保養場がある。景勝地なのである。因みに一昔前はこの地は鮎漁でも有名だったそうだ。

蛇足だが、向ノ岡遺跡、桜ヶ丘ゴルフ場内遺跡という縄文時代の遺跡があり、ストーンサークルではないかという配石遺構まであったようだ。ここに大きな縄文の村があったのではないかと想像するのは私だけではないようだ。

最後に、「思い込み」について戻ってみよう。「思い込み」が強い生活はストレス曲線の多い生活を招きがちだと思う。それを長期にわたって解決していくのは何だろうか。なるべく防衛機制を解放していく生活。U先生のブログを読んだり、縄文時代のことを考えてみると、真善美を意識して生活をすることではないかと思う。美しい入り日を見たり、月や惑星、星々の動きを見たり、美しい景色を見たり、上手な歌や芸術品、もちろん美しい漆木工や土器、そして定評ある宗教や哲学に触れること。もちろん豪華でないかもしれないご馳走を食べることもあっただろう。世界に誇る日本食も縄文時代の長い伝統と関係するのは言うまでもない。

4/10 縄文を五感で探る

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座禅をしていた縄文人がいたか・・柔軟に変化をする(3/10 五感で縄文を探る)

2022-07-25 | 第十一章「五感で面白おかしく」

U先生の「生き甲斐の心理学」を学んで20年くらい経つが、U先生のご紹介もあって10年位前から太極拳・気功をA先生から学んでいる。私は身体を動かすことは幼い頃は好きだったが、時々思いついたように1年くらい、ジョギングにこったりすることはあっても、大人になってからは全く続かなかった。しかし、太極拳・気功はA先生のご指導のすばらしさもあり、ずっと続けることができている。

続けられたのは、体調がよくなったとか、楽しい時間とかいくつの理由があるが、もう一つ大事なことがあることに気づいた。それは自分の身体性の不思議な世界に触れられるということだ。昔、友達と有名なお寺で短時間であったが座禅を体験させていただいたことがあった。その時の自分の内部に沈潜する体験にも似ているように思う。呼吸を整える事もあるのだと思うが、朝から晩まで絶え間なく入ってくるいろいろな出来事と、それに対応する思考や感情、そして行動をし続けると、自分が身体を持つ人間であり、さらに宗教的に言えば例えば愛そのものの魂を持つ存在でもあることを忘れがちにさせる。そして、いつの間にか様々な思い込みにしばられ、今ここにある問題を柔軟に対処することができなくなっていく。

この身体性との一致などの領域は、日本では座禅の文化があり、キリスト教の宗教者も含め海外から興味を持たれ研究されている大事な領域である。また、つらつら考えると現代のように仕事を8時間以上したり、デジタル化で場合によれば24時間働くような時代は産業革命以降のようで、20万年とかの人類史から見るとごく最近の現象かもしれない。当然ながら縄文時代も狩猟採取(畑作はあったとしても)という厳しい時代ではあるものの、文字禍もなく自分の内なる声を聞こうとする力は現代以上だったのではと推察してしまう。集団的な戦争がなかったこともその所産かもしれない。

さて、写真は何年か前に、多摩動物公園の昆虫館で撮った写真。青虫が蛹になり蝶になる。完全変態のこの変化は学生のころに出合った等価変換創造理論(故市川亀久弥先生)の本で引用されていた。蝶の一生を考えると、まず青虫のころはむしゃむしゃと葉っぱを食べ成長していくが、ある段階になると蛹(さなぎ)となる。蛹の段階では青虫の身体はアミノ酸レベルまで分解し次に蝶として生殖活動をするための身体に再構成していく。内部では大きな変化があるのだが、外見は静寂そのもの。蛹は実に不思議な変化の時なのである。成長するための様々な青虫の属性は蛹の中で解体し、生殖し卵を産み付けることに特化し空を飛べるなどの機能を持った蝶に再生されるのだ。

このような変化は、蝶だけでなく似たような現象がいろいろな所に散見される。身近な人の成長のプロセスにもあるようだし、文化や歴史の中でも垣間見ることができるのではないだろうか。それは、外から見ると蛹のように静寂の装いをしているが、内部では基本的な方向性に基づき再構成の努力がされている。

今月7月の初めに新潟県の旅をしたが、自分なりに気がついたことがあった。縄文時代の時系列的変化や地域的な特性の違いのなかで、例えば土器が大きく変わる現象がある。越後の火焰型土器。これは長い縄文時代の伝統や地域性を踏襲して生まれたものだと思うが、次の時代の三十稲場型土器は火焰のイメージなど全くない蓋付きのシンプルな深鉢に変わる。考古学の世界では図像解析を研究されている方が少なく、先の青虫が蝶になるような変換の分析まで行われた例は見ない。しかし、私は学者ではないが火焰型土器(中期)と三十稲場型土器(後期)にはある種の共通点(文化のDNA?)があるように思う。沢山の土器を分析し学術的な説にするのが本道だと思うが、素人の恐ろしさ?であえて解釈させていただくと。何百年といった時間を経て、火焰的な装飾が消え、シンプルな把手と文様、蓋(土器)になっているのは驚きだが、後期の土器は火焰型土器とおなじように口縁部の猪の象徴が蓋などに残っているように見える。また、口縁部や胴部の装飾や文様は後期のシンプルな図像(把手など)の中で基本的に同じ神話(月に関わる神話?)を表しているように思う。縄文中期から環境が冷涼化し特に中期後半からそれが加速していくが、蛹の時代で取捨選択された中期の遺伝子は後期にきちっと残されているのではないだろうか。しかし、ここまでシンプルになったのは何故か興味深い問題は数多くあるように思う。

ただ、このような変化をもたらした人々は、私達と同じような人間。身体とこころ(生育史)、魂(宗教の分野)を持った人間であったことは確かであり、当然ながら身体性と一致している人間だったに違いない。ひょっとしたら、激動の時代。敷石住居の中で座禅をしていた縄文人がいたかもしれない。

3/10 縄文を五感で探る

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