尺八工房まつもと 松本浩和

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九鬼周造『小唄のレコード』

2010年02月05日 | 
九鬼周造の短文『小唄のレコード』と言うものを見つけました。

短い文章ですが、何やら考えさせられます。

「無の深淵の上に壊れやすい仮小屋を建てて住んでいる人間たちなのだと感じた」
「私は端唄や小唄を聞くと全人格を根柢から震撼するとでもいうような迫力を感じることが多い」
「ただ情感の世界にだけ住みたいという気持になる」


成瀬無極と言う方は初めて知った名前の方ですが、調べるとドイツ文学者で京都帝国大学教授。
九鬼周造とは同僚と言う事でしょうか。

『神陵史によると成瀬無極氏は明治41年から三高の教授としてドイツ語を教え、大正9年京都帝国大学に転じ、ドイツ文学を講じた。無極は号で、本名は清であった。文芸、演劇に造形深く、自らセリフを朗読するのを好んだが、そのうまさは玄人はだしであったという。この無極の朗読熱心の影響か三高の、後の語学教授には、セリフ朗読の上手が多かったという。私が昭和21年の紀念祭で紹介したヤマシュウの朗読を聴けたのもこのおかげであろう。』

『「シュトルム・ウント・ドラング」を「疾風怒濤」と訳した人とも言われる』とか。
実は今日、しきりにこの言葉が気になり、繰り返し思っていました。
普段思い出す言葉でもないし、不思議です。


以下青空文庫より全文
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小唄のレコード

九鬼周造

 林芙美子(はやしふみこ)女史が北京の旅の帰りに京都へ寄った。秋の夜だった。成瀬無極(なるせむきょく)氏と一緒に私の家へ見えた。日本の対支外交や排日問題などについて意見を述べたり、英米の対支文化事業や支那(シナ)女性の現代的覚醒(かくせい)を驚嘆していた。支那の陶器の話も出た。何かの拍子に女史が小唄が好きだといったので、小唄のレコードをかけて三人で聴いた。
「小唄を聴いているとなんにもどうでもかまわないという気になってしまう」
と女史がいった。私はその言葉に心の底から共鳴して、
「私もほんとうにそのとおりに思う。こういうものを聴くとなにもどうでもよくなる」
といった。すると無極氏は喜びを満面にあらわして、
「今まであなたはそういうことをいわなかったではないか」
と私に詰(なじ)るようにいった。その瞬間に三人とも一緒に瞼(まぶた)を熱くして三人の眼から涙がにじみ出たのを私は感じた。男がつい口に出して言わないことを林さんが正直に言ってくれたのだ。無極氏は、
「我々がふだん苦にしていることなどはみんなつまらないことばかりなのだ」
といって感慨を押え切れないように、立って部屋の内をぐるぐる歩き出した。林さんは黙ってじっと下を向いていた。私はここにいる三人はみな無の深淵の上に壊れやすい仮小屋を建てて住んでいる人間たちなのだと感じた。

 私は端唄や小唄を聞くと全人格を根柢から震撼するとでもいうような迫力を感じることが多い。肉声で聴く場合には色々の煩(わずら)わしさが伴ってかえって心の沈潜が妨げられることがあるが、レコードは旋律だけの純粋な領域をつくってくれるのでその中へ魂が丸裸で飛び込むことができる。私は端唄や小唄を聴いていると、自分に属して価値あるように思われていたあれだのこれだのを悉(ことごと)く失ってもいささかも惜しくないという気持になる。ただ情感の世界にだけ住みたいという気持になる。

「どうせこの世は水の流れか空ゆく雲か……」

Avalanche, veux-tu m'emporter dans ta chute ?
〔雪崩よ、汝が落下の裡(うち)に我を連れよかし〕

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